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新燃岳平成噴火を読み解く

霧島山新燃岳で発生した平成噴火(2008-)について,まだ活動は継続中ですが,時間経過とともに見ていきたいと思います.

新燃岳平成噴火は,2011年に突然起こったわけではなく,今になって考えれば,2008年から始まっていたのです.

2008年(平成20年)8月21日16時10分,福岡管区気象台と鹿児島地方気象台から,霧島山(新燃岳)の火山の状況に関する解説情報が出されます.19日から小さな地震が増えた.振幅は小さく,微動は発生していない.現地調査をしたけれど,特段の変化はなく,「火口周辺に影響をおよぼすような噴火の兆候は見られない」というものでした.当然,新燃岳の火口縁を歩く登山道は誰でも行ける状態のままでした.

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気象庁から出された解説情報(気象庁,2008)


しかし,翌8月22日の夕方,事態が変わります.前日の解説情報からほぼ1日経った17時15分,霧島山(新燃岳)に噴火警報(火口周辺)が出されます.16時34分頃から振幅の大きな火山性微動が観測され,「今後,火口周辺に影響を及ぼす小規模な噴火の発生可能性があります」と言うのです.

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気象庁から出された噴火警報とその時の微動(気象庁,2008)


そして,その50分後の2008年8月22日18時05分,火山の状況に関する解説情報が再び出されます.「新燃岳では,本日(22日)16時34分頃に噴火しました」「気象台からの聞き取り及び住民からの連絡などによると,新燃岳の北西およそ10kmの小林市付近で,降灰混じりの雨が降っているとの情報を得ました」.つまり,50分前に噴火警報が出された時(17時15分)どころか,その41分前の16時34分の微動発生と同時に新燃岳は噴火していたのです.

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気象庁から出された解説情報(気象庁,2008)と翌日(8月23日)の南日本新聞に掲載された降灰写真(南日本新聞,2008)


この2008年8月22日夕方の新燃岳噴火は,天候の悪い夕方に発生したので,夏休み期間中でしたが,幸い付近に登山者は居らず,人的な被害はありませんでした.噴火翌日の24日の気象台の調査では,火口周辺に大きな火山弾がたくさん確認されていますから,本当に不幸中の幸いだったと言えます.

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新たにできた割れ目火口と火山弾(気象庁,2008)


前日までは微動もなく「噴火の兆候はない」とされていたのに,その翌日に噴火したこと,降灰が確認されるまで噴火の発生がわからなかったこと,噴火前に噴火警戒レベルを上げられなかったこと,は,大変重要なことだと私には思えました.噴火警戒レベルは,この噴火の前年(2007年)に導入されたシステムです.

この噴火の時,私はスロベニア共和国に別の調査で出張していましたので,噴火直後に詳しい調査ができなかったことを少し悔やんでいます.


2008年8月22日の噴火後は,新たな噴火もなく,地震数も減少しました.多くの人はそれ以上の進展を考えていなかったようですが,江戸時代の噴火(享保噴火)のことを考えると,1年くらいは油断できないと私は思っていました.そのことが2008年9月28日の南日本新聞に掲載されています.

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南日本新聞Webニュース(2008.09.28)


つづく

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