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アイスランド旅行記③出発の朝

・前回までのあらすじ

旅行に必要なものを揃えて、いよいよ準備万端!出発2日前、荷物がバックパックに入りきらないことに気づき、呆然とする私。スーツケース2個持ちの偉大な友人に助けられ、九死に一生を得る。

・出発の朝

予約した飛行機は、2017年2月18日12:30発のSK984便。スカンジナビア航空の、成田空港発コペンハーゲン行きのチケット。

日本からアイスランドのケフラビーク空港までは直通便が無いので、デンマークのコペンハーゲンで乗り換える。(他にもロンドン経由、アムステルダム経由、ヘルシンキ経由などがあります。今回は、価格と乗り継ぎ時間でコペンハーゲン経由を選びました。)


↑eチケットの旅程表。この日時は現地時間なので、実際には成田〜コペンハーゲン11時間30分、コペンハーゲン〜ケフラビーク3時間10分。東京からアイスランドまでは、計15時間近くかかる!乗り継ぎ時間も入れたら丸1日近くかかる計算。

朝7時前に家を出発。6:58に撮った写真が、この旅の一枚目になった。
家を出て20歩ぐらいのところで後ろを振り返り、空と家を写した写真。「よし、行ってくるぞ。」っていう気持ちで撮ったのかな。毎朝家を出るときは、帰ってこれない可能性なんて考えてないけど、この時は少しだけ思った。いつもの外出よりは、その可能性が1%でも高かったから。思いっきり家の外観が写っているのでここには載せられないけど、この旅行のアルバムを作るなら間違い無く1ページ目に貼るべき写真だ。

さて、成田空港までは、お母さんも付いてきてくれることに。当時の私は節約のことしか頭に無く、在来線で向かいました。何時間かけて成田空港まで行くのか。今思うと効率が悪すぎるよ…とほほ。

日常的に使っている在来線も、主要駅を過ぎたあたりから人はまばら。見知らぬ千葉の駅を通り過ぎて行きました。普段乗る電車は、こんな知らない場所に向かっていたんだなぁ。と感慨深くなる。空港が近づくにつれて、スーツケースを持つ人が目立つようになった。みんな家族や友達と楽しい旅行に行くんだろうか、と思うと、徐々に心細さが芽生えてきたのだった。

・成田空港に到着

搭乗手続きのために、かなり余裕を持って到着。

私の飛行機経験は、高校の修学旅行で一度きり。今日はツアーコンダクターも先生も、友達もいない。テレビでよく見る成田空港のターミナルで、何回も確認した手順通りに手続きを済ませていく。

搭乗まで時間があったので、両替をすることにした。アイスランドで使える通貨は、アイスランドクローナとユーロ。クレジットカード大国なので、現金よりクレジットカード支払いが主流だと聞いていた。両替はほどほどにしておくつもりだった。使い切れなくても困るし、ワークキャンプの間の生活費は既に支払ってある。現金で大金を用意する必要は無いと考えて、あらかじめ銀行でいくらかユーロに両替していた。

でも、やっぱり母親は慎重。「もう少し両替しておいたほうがいいんじゃない?」と言われ、空港の両替所でユーロを増やした。いくら両替したのか、はっきりとは覚えていないのだけど…この行動が、後に私の命を救う(冗談じゃなく本気で)。それについては、今後の回でじっくり語ります。

・一人旅の始まり

1人になる瞬間がやってきた。セキュリティチェックのゲートをくぐったら、もう飛行機に乗るしか道は無い。日本には引き返せない。

成田空港まで付いてきてくれたお母さんと、ギリギリまで会話を交わして別れた。大学で義務的に参加した危機管理オリエンテーションでは、「リュックはスリに会いやすく危険なので、肩掛けのカバンをたすきがけにして前に出して歩くように」と言われていた。これを素直に聞き入れた私は、肩掛けカバンの中でも容量の大きい、父親の通勤バックを借りてお手回り品バックにした。(ほかの参加者は普通にリュックだったし、危険を感じるようなこともなかったので、結果的にはリュックでも良かったなと思う。)この通勤バック改めお手回り品バックをカゴに入れ、セキュリティゲートを通る。問題無く通過。バックを回収して、階下に降りるエスカレーターへと向かう。

成田空港を利用したことのある人なら分かるだろうか。このエスカレーターは、さっきまでいたターミナルの方を向いて降りていく形になっていて、お見送りする人と最後に顔を合わせられる場所なのだ。このエスカレーターに乗って母と手を振り合ったとき、急に泣きそうになってしまった。

それまでどうにかして考えないようにしていた不安が、洪水のように私の心に押し寄せてきた。

この時、母が撮った写真がある。エスカレーターに乗って、母に向かって両手を振っている写真。これを見ると、私は普通に笑っている。泣き顔ではない。私が泣きそうになっていたことに、母も気付いたかどうか微妙なところだ。でもこの写真の1秒後には、確実に涙が流れていたんじゃないかと思う。

応募してから2ヶ月間、ずっと怖かった。そしてこのエスカレーターを降りる瞬間が、不安のピークだった。言葉の通じない異国の地で生きて帰ってこれるのか。ついさっきまで、母と2人で空港のお店を見て楽しく過ごしていたけど、ここからはひとりぼっちだ。

私は子供の頃から、心配性ですぐ不安になる性質。あることないことを想像しては、不安をコントロールできなくて泣いていた。今思うと、幼稚園か小学校低学年の頃、毎年キャンプに参加していて、あの頃も同じだったな。1泊や2泊の短いキャンプだったけど、バスに乗り込んで母親に手を振る瞬間、ものすごく心細い気持ちになったことを覚えている。隣には友達がいて、頼れる先生がいて、それでも寂しかった。だけど、現地に着いたら楽しくてしょうがなかった。いつもそうだった。何事も、始まる瞬間が怖くて、最中は楽しい。軌道に乗ってしまえば、自分のペースに持っていける。そういう性格なんだ。

旅を通して気付いたこと、学んだことはいくつもあるけど、こういう自分の性格を言語化して、コントロールする方法を発見できたことはすごく大きかった。他の人は、わざわざ大掛かりな旅に出なくても、日々の生活で気付いて勝手にコントロールできているのかもしれない。でも、世の中には「自分探しの旅に出る」ことに価値を見出す人がいるように、私は一人旅に出てやっと自分の感情との向き合い方がわかった。19歳という、人と比べれば遅めの自立だったんだと思う。


まだ日本を出ていないのに、既に感傷的になっている私。旅はまだ始まったばかり!次回、コペンハーゲンへ12時間のフライトです✈️


↑飛行機の中で撮ったボーディングパスの写真。現物もとってあるけど、インクが薄くなって読み取れなくなっていたので、写真に撮っておくのは大事だなぁと思った。

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