根治が望めない難病患者の希望

末っ子は先天性の難病患者だ。

幸い軽度だが、身体の変形、痛み、痒み、運動の制限、口内の損傷などが生涯に渡って続く。

そして遺伝性である。

軽度でも、一般とは違う。

身体の一部変形は、度重なる炎症や損傷によって起こる。
それであれば病気による後天性とも言えるので、努力しだいでどうにかなるのではないかと勉強をしている。

勉強と言っても、私は医師ではないから専門的なことはわからない。
論文を読んだこともあったが、理解できない部分が多かった。

結局はネットで、その部位の治療を挑戦的に行っている医師の講演会を探す程度だ。
講演会の内容は講演会の広報ではわからないが、講演会を聴講した学生のブログなどで内容を知れる場合がある。

成功例があると知り、嬉しくなる。

しかし末っ子の担当の専門医に話すと、まず成功しないと全否定されてしまった。

希少難病のため専門医が非常に少なく、日本には数えるほどしかいない。
その先生に直接診てもらえるだけで幸運だ。

でも……本当に可能性がないのだろうか。

末っ子は変形したりなくなってしまった部位を見て、「あーしの、どこいっちゃったの?」と言う。

「いつか医療が進んで、移植ができるようになったらママのをあげるよ。ママはなくても困らないから大丈夫。」と言うと、「やったー!」と喜んでいた。

まだ3歳の女の子。

可能性を感じていたい。望みを持っていたい。

気をつけていれば一生を生きられる。命があって、一般生活に混ざれるだけマシだと思う。でも希望を持ちたい。探したい。

無闇な希望は患者を追い詰めることがある。
事実を事実として伝えるのが医師のあるべき姿だと思う。

でも、希望を持ち、可能性を見立てて新たな道を探す医師と、確立された方法で患者を診ていく医師との違いは何だろうかと考える。

末っ子の定期検診の帰り、車を運転しながら視界がぼやけた。
末っ子は後部座席で美味しそうにお菓子を頬張っている。

人より辛い目にあったぶん、幸せを感じられる人になってほしい。

私はどうしたらいいのだろう。

どうしたら末っ子を幸せにできるだろう。

隠れて泣いて、ちょっとスッキリしたら、気合い入れて頑張っていこう。

それしか、ない。

ブログに、病気のことやその他色々書いてます

難病による体の欠損・子どもが病気を自覚していく過程の親の動揺

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