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エッセイの書き方を知らない【第九回】苦役を知らない

最近、西村賢太の「苦役列車」をまた読んだ。これを買った当時、僕は大して西村賢太の事を知らなかった。芥川賞の受賞会見で「風俗に行こうと思ってた」とファンキーな事を言っていた記憶はあるが、中身を読もうとまでは思わず、ただ一つの時節のニュースとしてそのまま聞き流していた。

そんな僕がなぜ「苦役列車」を買って読もうと思ったのか。単純な話で、ブックオフの100円コーナーで見かけたからだ。僕がブックオフに行くときは、大体が『お金はないが新しい本が欲しい』時である。そうして、そんな時にハズレを引かない方法は、何かしらの賞を受賞していて、ブックオフに並ぶくらい重版がかかった本を買う事だと思っている。もしくは名前は聞いたことがあるが読んだことの無い作家の本をさらっと買う事だ。もちろんこの二つの方法は外れる時もある。芥川賞は文体や物語の向き不向きによる当たり外れが大きい。逆に本屋大賞を取っていたり、ノミネートされている本は結構個人的に当たりの本が多い。

では何故僕は数多くの作家たちの本が並ぶ100円コーナーで、芥川賞作家の西村賢太の本を手に取ったのか。それは西村賢太という人名を見た瞬間に、あの会見の様子がフラッシュバックしてきたからである。あんな会見をする人の書く小説とはどのようなものか、単純に興味を惹かれたからに他ならない。僕は本棚からハードカバーの「苦役列車」を引き抜くと、持っていたカゴの中に迷わず入れた。

帰ってから実際に読んでみて、なるほど凄いなと思った。文章力や表現力はもちろんの事、主人公である北町貫太の協調性や社会性の無さ、そして自尊心の高さによって引き起こされる問題や事件を赤裸々に書き切り、その時の心情も事細かに綴られるシンプルな言葉たちに心惹かれた。確かに主人公はどうしようもないクズであり、最低なダメ男であることに違いない。正直なに言うと、この内容は読んで離れる人がいても仕方ないと思う程度には酷い話のオンパレードである。露悪的だと言ってもいい。けれども、ここまで人の嫌な部分や欲求、欲望を書き切っているのは凄い事だ。言い訳もせず、嫌われることも恐れずに書き切る度胸が素晴らしい。いや、書いている本人としては、これは当然の心の動きや行動であり、恥じるべきことなど何もないという考えなのかもしれない。兎にも角にも、読み終えた後にこれまでに僕が経験した事の無いような感覚に襲われた。それが何だったのかは分からない。けれども僕はその感覚をまた味わいたくなり、他の西村賢太の小説を読み始めた。

僕はお世辞にもいい人生を歩んできたとは言えない。西村賢太ほどの破天荒な人生を送っている訳では無いが、世間一般の普通や平凡からは遠く外れたような存在だ。時折そんな自分が本当に嫌になるときもあるし、現実を見てしまって絶望する事だって普通にある。けれども西村賢太の本を読むと、こんな自分でも生きてていいんだなと思えるような活力が得られる。それは底を見て自分はそれよりマシだと思うような歪んだ考え方では無く、本人のバイタリティ溢れる生き方や姿勢にエネルギーを貰っているのだ。(それが多少歪んだバイタリティだとしても)

しかしいくらエネルギーを貰っても、現実が離れていく訳では無い。人生と言う名の列車に揺られながら、永遠に苦役は続いていく。この一文を胸に刻みながら、肉体と心にムチ打ち、進んでいくしかない。

苦役が続く人生、それでも生きていこう。

【結城】

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