親しさの再起動、村上春樹を参照して
要約:村上春樹読んで、親しさについて考えた、文化メディアの批評性は停滞して親しさを紡ぎ直せないよって話と〈観光〉がつくるストーリーから脱没入しよーって話。
村上春樹が描出した男女の親しさを表出する行為は現在でもカルチャー誌に横たわっていることは間違いなく、柴門ふみ、フリッパーズギター・POPPYEと時代のアイコンと相互作用的に影響し、近しい領域として「村上春樹」は今日も一つのカルチャーとして存在している。彼は親しさの表象をいくつも掬いとって描写した。それはJazz喫茶DUGで待ち合わせてソルト&ピーナッツと黒ビールを飲み食いするとか、昼間に井の頭公園でケルアックを読んだ後に新宿の武蔵野館でゴダールを見に行くとか。彼は若者の営みを切り取って編集しなおし、健全だとおもわれる日常生活を再構築して提示したのだ。それが今日のSNS全盛期のInstagramの投稿にも亡霊になって引き継がれているわけである。
親しさとは何かを随分と考えてきた。ご飯を食べに行くこと、一緒に出かけること、付き合いが長いこと、友達を紹介すること、気持ちを吐露すること。相手のことをよく考えること。彼の小説「スプートニクの恋人」の中で僕とすみれ(恋仲ではない)は本を薦めしあったり、深夜に電話で話し込み、すみれは僕に小説を見せたりもしている。このような行為の集積が友人関係を構築しており、その過程は僕達の実生活の友人関係の構築においても小説の中の彼らにしても大きくは変わらないだろう。
ただ小説と実生活は異なる。「スプートニクの恋人」の中での2人は小説の登場人物であり、かつ1つのストーリーであり関係性が断絶することはない。一方で実生活は長く複雑であり、仕事、交友、心情の変化など複数の要因によって友人Aとの関係性が途切れ、自分の中から忘れ去ってしまい空白ができることは当然ある。そのような状況になると適度な距離感が再び掴めず親しさのテンションは緩んでいく。そしてそのまま冗長に伸びてどこかにいってしまうこともある。ゆえに小説にはない糸を張り直す行為が実生活には必要なのであり、文化はそこに接近する役割を担っている。
実際に村上の生み出した表象は親しさの糸の張りを保つ張力として機能し、時によってはネットワークのように張り巡らされ、親しいものの間のテンションになっていた。しかし、一度緩んだ糸を張り直す力を村上春樹からすくい取ることは簡単ではない。それは彼の小説のモチーフに繰り返し描写される〈あちらの世界〉や夢分析的な他者への近づきを物語だけではなく実生活にも射程を伸ばすには技量が必要であり、越境する批評的態度を要求しているからだ。それゆえ、今日では彼の表象のレトリックの部分に限ってPOPEYEのCity girl特集と量産化された渋谷の夜を歩き回るPVの中に幽霊として復活しており、そのリサイクルの中に迷子になった私は糸の張り直し方がわからなく、おろおろしているのだ。
渋谷の夜を歩き回るPV①
量産化の背景にはyoutube、ニコニコ動画の登場があり、個人による映像技術獲得のハードルが下がり、加えてオタクメディア、サブカルチャーの広がりが2次利用、オマージュを積極的に促したことにあるといえる。誰もがクリエイターになれるようになったことで生き返らせた世界観の一つとして村上の世界観や大友克洋(これはこれでサイバーパンクの一意性を引き起こしている)の復刻がなされていると言える。誰もがクリエイターになることでカルチャーのベクトルの総和はマイナスに突き進んだ。村上の作品に途中に見られる〈向こうの世界〉はカゲロウプロジェクト、fateなどに引き継がれている作品もあり表象の刷新がされていないわけではないが過去のコンテンツのリスペクトという形をとりながら量産化を行うことは、いつか何かを生むために残しておいた空白を埋め、既視感のないオマージュ印の無いものを受け入れない雰囲気をつくったような気もする。とかくリスペクトを標榜した大量生産は、途切れつつある親しさの糸に対する処方箋をカルチャーが提供していないことを指している。
村上はその都度、小説でしか書き得ないものが現実に近似していく様を創ってきた。1999年に上梓された「スプートニクの恋人」の関係性の紡ぎ直しを例に取る。25歳の小学校の先生の僕と大学をやめて小説家になろうとしているスミレ。この2人の親しさの糸は適度に好意を重ね、適度に傷付け合う実生活でもよく見られるありふれた男女関係である。この小説の重要な登場人物にミュウという女性が登場する。彼女が入り込むことによってこの小説は実生活の秩序に同化していこうとする。
ミュウは37,8歳になる女性でピアニストを目指していたが、父親の死後、会社の事業を引き継ぎワインの輸入事業を行っている。彼女との出会いによってすみれの感性の根本に据えられていた小説、映画、生活様式は揺り動かされていく。ミュウは自らの若かりし頃をすみれに投影しながら、彼女の洒脱な顔立ちと垢抜けていない服装や振る舞いが気に入り彼女を雇う。ミュウはウイルスのように、すみれの感性の犯していきすみれは<恋>に落ちる。物語の中でミュウとすみれはイタリアの仕事が一段落が付き、ギリシアのリゾートに赴いてバカンスをとることになるのだが、すみれはそこで忽然とミュウの前から姿を消してしまう。すみれの消失は事件になり、彼女は煙のように消えていってしまったのだ。その後、しばらくの時間が過ぎて僕は東京の交差点でオープンカーに乗ったミュウを見かけるのだがそこには過去を引きずった彼女の顔が映しだされミュウとすみれが会わないことを暗示していた。一方の僕はすみれのことを頭の引き出しの中にそっとしまい込み、違った人間関係に巻き込み引きずり込まれていた。そんな中すみれは忽然と僕との関係性を再びたぐり寄せることになり、二人は繋がり直し親しさの緊張を張り直すのだ。
すみれからの電話の会話
すみれ「ようやくわかったの。あなたはわたし自身であり、わたしはあなた自身なんだって。ーわたしはどこかで何かの喉を切ったんだと思う。ーわたしの言うこと理解できてる?」
僕「できてると思う」
すみれ「ここに迎えに来て」
ストレートで傲慢な物言いに込められたすみれの熱量は2人の親しの最高到達点を更新し、その完膚なきまでの傲慢さが彼女を〈大人〉に近づけて小説は終える。
執筆された頃の2000年代前後、村上が40歳の頃だったことを推察するに作者=大人=ミュウであったのではないか。そして作者は若者の傲慢な開き直りをpricelessなものとして書き、大人と若者の境目を示したように思える。大人は今までの思い出と負った傷を一緒にして醸成していくことを既に身につけているのだ。反対に、〈思い出〉の断片をむき出しの状態で求めているものが若者であることを小説の中で提示したのだ。
彼の小説は一貫して〈私〉と対峙する他者との関係性が横たわり、極限的な環境設定と軽妙な文体をもとに話が展開するが、2002年の海辺のカフカ、2008年の1Q84を書いて以降の小説の題材は以前の私小説のような人の営みを再構築する以上に日本社会のパロディを背景に感じさせ歴史の骨格を強く打ち出しているように思える。それは彼が小説を書く意味を他の映画、アニメ、ドラマ、演劇、などのメディアで作ることが難しいことに取り組んでいる現れである。しかし、それは小説の中に潜り文化表象の座を降りて歴史家になることを意味する。
このような過程を経て交友の結び方の表象は人文知からSNSとその片棒を担いだデザイン思考に譲ることになった。それは時代文化の担い手がその時代の親しさとはこうであるという解を示したり、批評することが乏しくなったことを意味するのかもしれない。
後記
批評誌や人文書を読む人の人数は今後も増えない。だから批評、編集を行う媒体を変えることを求められ、UNLEASHとか良質なwebメディアができたり、auguments,Rhetoricaに見られる手売り販売して書き手と読者を直接結びつけようという試みができている。注目したいのは劇団Port Bの新・東京修学旅行プロジェクトである。メディアとして〈テキスト〉ではなく〈ツアー〉を用いることで批評、編集を行っていく。〈観光〉はフィジカルに知の集積を〈観光客〉に要求をさせる媒体である。
それが親しさの再起動する装置としてはたらくかどうかについては観光客が構築する〈劇〉が現実に同化することが求められる。それはTInderという劇の中で出会った男女がリアルワールドに脱出するようなことに近い。深く沈んでいったら、君も引きづりこまれてたんだ。ごめんね。でも、やっと触れ合えたじゃない。そんな感じ(これが2人から広がらないのがダウナーの良くないところなんだが)
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