文通・毒親育ちの私を助けてくれたもの

今は残念ながら廃刊となったが、ファインドアウト、という雑誌が以前あった。いわゆるオタク向けの雑誌であるが、

・イラスト
・同人誌等の通販
・文通募集

という内容だったように思う。
この雑誌を友人に見せて貰った私は、すぐさま文通に応募した。
友人たちもファインドアウトを見て次々と文通に応募していた。

いまのようにツイッターやメールなどない時代だ。
私に限らず、友達たちも、自分と同じ趣向の話ができる「オタク友達」に飢えていたのだ。

私は最大で、たぶん10人くらいの人と文通をしていた。
手紙を交わす頻度は人によって違ったが、早い人で一週間ほど、遅い人で二ヶ月ぐらいで返事が来ていた。
年齢も様々で、私は中1だったが、文通相手は同年代~高校生ぐらいが多かった。
彼らの手紙に書いてある空想は、友人たちとの話では出てこないようなユニークなものも多く、いつも読むのが楽しみだった。

特に2~3人の人とは熱心に手紙を交換した。
便せんにびっしりと文章を書き、裏にはイラストも描いた。

このイラスト、今見せられたら「闇歴史!」と言って逃げたくなるようなものだが、当時の私の全力だった。
お世辞にも上手いわけではないが、まあ……どうにか見られるものだ。

……ただ、今になって考えてみれば、私の家にはイラストの参考になる資料がなかった。
アニメや漫画のない我が家だったから、私は、友人宅で読んだ漫画や見たゲームの記憶だけで、好きなキャラクターを必死に描いていた。
だから、道理で微妙に似ないはずである。
あまりに参考になるものが少なかったのだ。
絵を見ずして絵が上手くなることなどないのだろう。
近頃、15年ぶりくらいだろうか……久しぶりにイラストを描いてずいぶん上手くなっていることに私は驚いた。
中学生の時、あれだけイラストを描いても上手くならなかったのに、全く描かなかった今のほうが上手いのだ。
一人暮らしを始めてから、たくさんのイラストや芸術に触れるうちに、私の中に「好みのライン」が蓄積され、描けるようになったのだろう。

そんなイラストであったが、文通相手は感想をくれ、ものすごく嬉しかった。
なんだか「ゲームや漫画を知ってる自分、好きな自分」が肯定された感じがした。
そこまで大げさな……と思うかもしれないが、両親から「下らない」「気持ち悪い」「時間の無駄」と言われ続けたイラストを、見てくれる人がいたのだ。
それだけでとても嬉しかった。
そう……私は「気兼ねなく自分の趣味が発揮できる場所」が欲しかったのだ。
それに私宛の手紙ということは、「私が必要とされている」感覚があって、心の支えにもなった。

文通は私の生活における大きな楽しみであり、娯楽だった。
親はいい顔などしなかったが、私宛の手紙を開封したり、捨てるまではしなかった。
というのも、小学生のころから郵便物のチェックは私の役目だったので、私宛の郵便物は両親の目につく前に抜き取っていた。
だから親が目にした私宛の手紙など、全体の十分の一以下だろう。

ちなみに文通は、だいたい受験期にはいったころか、ジャンルが変わった頃にぷつっと途絶えることが多かった。
少し残念に思いつつも、「ジャンルで気が合うからって、全てに気が合うわけではないんだな」と中学の時点で私は感じたのだった。
しかし、当時の暗澹とした私の暮らしでの、光であったことは断言できる。

このとき、私と文通してくれた人たちにはありがとうと言いたい。
当時、私の文章やイラストに、付き合ってくれて、ありがとう。
あなたたちと話すのは、心から楽しかったです。


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