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才能のある友人と、自分


先日、友人がnoteを始めた。はっきり言って自分よりも上手い文章を書いている。


しかし同じ浪人生であるその子は今現在鬱で病院に通っている。そして私よりもうまく社会を生きているとは言えない。

どうしてそんな人間が自分よりも上手い文を書くのか、なんて思ってしまう。(もちろん人には得手不得手があるのはわかっている。その上での純粋な疑問だ。)




自分の通っていた学校は都内で有名な進学校だった。はっきり言って変わり者が集まる学校であった。大多数は変わり者の多い中で居心地良く過ごしていたが、変わり者度が特に高い人は転校したり、中退している。

学校を途中で出たうちの一人が、浪人生の友達と同じタイミングでnoteを始めた。これまた文が上手い。研鑽すればその辺の小説家よりも面白い文が書けるんじゃないかと思うほどである。


その人も例に漏れず変人である。いや、むしろ彼の人を除いて誰を変人というのか。





自分と隔絶した世界にいるその変人の様に、才能のきらめきが誰からみてもわかる人間が何をしても、まぁ才能あるしな…と流して何も思わない。

しかし傷を舐め合っていた友人が思わぬ所で才能の片鱗を見せると、失望感とともに嫉妬を感じるのは何故であろうか。




なんとなくは自分でも分析している。多分意識しない所で友人を見下していたのだろう。それによる失望と嫉妬なのだと。



約20年生きてきて人を見下すのか、と少し自己嫌悪を覚える。しかし一度も人を見下さなかった聖人君子のような人間などほぼいないだろうし、また俺よりも年上で人を見下す人間はごまんと居る。そして自分の抱いた醜い感情も、人間ならではの人間臭いものではないか、なんて許容してみる。




にんげんだもの。   セイを



追記: 某変人が新しいnoteを書いたので読んだ。ため息が出るほど個性的で読みやすく上手く旨い文章だった。 かの人が持つダイヤモンドの原石と、自分の持つ水晶を内在する石を見比べて嘆息するような感覚。
これだから「才能」ってやつは……。

サポート頂けたら参考書とか買う…かも。よければお願いします。