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右翼でねらーでハロオタの父が死んだ時の話

以下、以前備忘録として書いたものです。
今後のために掲載。
※当時の私の気持ちなので、今とは多少異なっています。

***

2018年8月27日、父が死んだ。

それはそれは唐突な死だった。

元々腎臓を悪くしており、透析手前ではあったものの、ダイエットをし、前の晩はいつものようにビールを飲み、朝には祖父と畑に行き、帰ってきてAmazonプライムで動画を見ていた。

その日の朝、ふと食卓に目をやると母と2人で並ぶ後ろ姿があり、最近仲良くないけどやっぱり夫婦だよなあと思いつつ出勤をした。


連絡があったのは夜19時頃。
わたしはその日残業をしており、実際に連絡を確認したのは19時半だった。
弟から「お父さんが救急車で運ばれた」とメールがたくさん来ていた。
前述の通り、父は腎臓が悪い。その上その日は暑かった。
どうせ熱中症か何かだと思ったが、念の為弟に電話をした。



開口一番、
「お父さん、おかしいよ」 と弟は言った。



昼間、ご飯を食べた時頭痛がしていたらしい。
ベッドで横になると言い、寝室であくびをかいて寝ていたが、母が仕事から帰宅し、夜ご飯ができたので呼びに行っても起きない。でもいびきはかいている。でも、何かがおかしい。
母が119に電話をして、指示通り父の身体を横に向けたら吐き、下も漏らしていたよう。

その時すでに父の意識はなかった。

救急車で搬送され、病院で検査を受けているあいだもずっといびきが聞こえていた。

普通に寝てるんじゃないかと思った。

検査結果はくも膜下出血だった。
検査時既に直径8cmに至るほどの出血量で、脳幹が曲がっており、単純に言うと重症だった。
担当してくれたのは脳神経外科の中でもかなり偉い先生で、そんな先生の治療でも、もう父の意識は戻らない。手術もできないと言われた。


嘘だろって思った。

今も思っている。


そんなこんなで父が息を引き取るのを待つだけの時間が続いた。
病院に泊まったが、一睡も出来なかった。
わたしが母と弟と祖父を養っていかなければならないし、わたしがしっかりしないといけないと思って、正直辛くて泣いた。


そして次の日の朝6時24分。
父は息を引き取った。



本当に寝ているかと思った。
火葬するまでの間、家に遺体があったし、湯灌するところも見ていたけどずっとずっと寝ている顔だった。

もう一度話したかったな。


文書を打ってると思い出してしんどくなるけれど、弱っている母や弟を支えないとと思うと意外と大丈夫で、今日から仕事も復帰した。
いつまでもクヨクヨしてたってお父さんは起きないし。
まだ命日から5日しかたってないからかもしれないけど、なんとなく家に父がいる気がする。
起きたらおはようって言ってくれる気がするな。


寡黙な父だったけど、好きだった。
今までありがとうね


頑張ろうわたし。

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