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心ない他人の言葉から自分の心を守る方法

先日、自分の後輩ライターが、ライターをやめてしまった。

理由は、彼の作品に対する心ない人達の誹謗中傷だった。

作品に対する全否定、ひどいものになると彼に対する人格否定や犯罪スレスレの嫌がらせ。

タチが悪いのは、彼を責めるその声が彼の作品を読んだ読者からだけでなく、本来彼を守る立場だった編集者や上長からも上げたということだ。

こういう「心ない誹謗中傷に苦しんでいる」という相談が、ライターさんから私の元に寄せられることは少なくない。

「悪意ある誹謗中傷」「心ない感想」によって心が折られるという経験は、ライターだけでなく、小説を誰でも投稿できるようになった昨今、とても大きな問題だ。

中には、相手を傷つけることを目的として行動している救いようのない人間も存在する。

作家やライターは、そういう人間から身を守る術を身につける必要がある。

どうやって身を守れば良いのか、その方法や思考について解説したいと思う。

すべての意見を受け止める必要はない

「独りよがりな作品にしないため」
「作品を良くするヒントを得るため」

という理由で、読者の感想すべてを閲覧し、咀嚼しようとする人もいるが、ハッキリ言ってこれは間違いだ。

その理由は「作品に対し的確な指摘をするためにはきちんとした技術が必要であり、それを持ち合わせていない多くの人からの意見は、結果論が大半だから」である。

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野球を例にしてみよう。

野球を知らない観衆の多くの意見は「なぜ今の球を見逃したのか」「今の球も捕れないのか」といった結果論の意見だ。

コーチや監督の仕事は、「どうしてその結果に至ったのか」を分析して選手に技術的指導をすることだ。

技術的指導は、技術を学んだことがある人間にしかできない。ましてその技術をもっていない人間に習得させる指導には、コツが必要だ。

これは創作も同じである。

「この作品はつまらない」「主人公に魅力がない」といった意見は、単なる結果論でしかなく、創作者が学ぶべきは「ではどうすれば魅力的な主人公が活躍する作品が作れるか」であり、単なる感想から学ぶのは非常に至難だ。

ちなみに、「だから感想を無視しろ」という話ではない。読者からの感想とアドバイスは明確に区別すべきだという話をしている。

感想をもらって喜ぶのも凹むのも良い。だが、結果論による批判をいちいち真に受けていたら、作者の心はとうてい持たない。

心ない批判・誹謗中傷をする人間には近づかない

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インターネット上の心ない批判によって被害者が自殺してしまい、逮捕者を出すという事例は実際に起こっているし、ネットの匿名性を活かした誹謗中傷は、昨今のニュースなどでもたびたび話題にもなっている。

つまり、「心ない批判は対象者を殺してしまう可能性がある」というのはもはや一般常識として社会に浸透しつつあり、それでもなお誹謗中傷をしてくる人物像は以下の2つしかない。

「あなたが死んでも構わない」と思っている
その程度の情報を収集する能力がない

あなたにめがけて刃物を振り回しているのと同じことをしている。あるいは、それが大きな問題にならないと信じているほどに、世間の情報を収集する能力に欠けているのだ。

そんな人間を説得し、話し合おうとする行為。そんな人間の意見に耳を傾けようとする行為がどれほど無駄なのかは自明だ。

普通は逃げるし、近づかない。そもそも話し合う価値などない。

誹謗中傷をしてくる人間にも、同じことが言える。

心ない批判・誹謗中傷をする人は現実で不幸な目に遭っている

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あなたが今、結婚したり毎日が充実していて、幸福としよう。

わざわざ他人の悪口や中傷をするだろうか?

仮に作品をつまらないと思ったとしても、作品に対する批判や作者の悪口を書き込むだろうか?

そんなことはしないはずだ。自分が幸せである、充実していると思っている人間は、わざわざ他人に悪意など発信しない。

なので、誹謗中傷をする人間、心ない感想を送ってくる人物というのは単純にいまが幸せじゃないから、幸せそうなあなたに対し不満をぶつけているのである。

心ない言葉を贈ってくる人間を見たら「この人、現実では不幸なんだ」「私に嫉妬しているんだ」ぐらいに思っておくといい。

人間だからといって同じではない

「人間は平等である」という言葉は目指すべき社会・思想としては正しい。

ただし、だからといって人間はすべて同じではない。その思想は自分を傷つける。

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道すがら犬に吠えられたという経験は誰しもあるものだ。

イラッとするかもしれないが、普通は犬に対してムキになって全力で殴りかかっていくことはしない。

子どもがワガママを言っても「子どもの言うことだから」と寛容に対応できる人も多いだろう。

だが、結婚相手や彼氏彼女となれば、ムキになって言い返してしまう人も少なくないはずだ。これは、相手を自分と対等の人間だと認めているからこそ、相手の言葉が受け入れられないのである。


この点から、要するに誹謗中傷に対しショックを受けてしまうというのは、「相手を自分と対等の人間である」と認識している価値観が原因なのだ。

上記で説明した通り、誹謗中傷をしてくる人間というのは、無知であり、人を殺してしまう可能性や、自身が逮捕されるリスクすら考慮できない人間なのである。

そんな人達を、対等の人間として振る舞う行為こそ馬鹿馬鹿しい。人間は平等に扱うという社会ルールはあるものの、個人としてすべての人間を対等に扱う必要はどこにもないのだ。



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