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『オッペンハイマー』の編集から読み解くノーランの構想

 近年のクリストファー・ノーラン作品って、『インセプション』『インターステラー』『テネット』のようなオリジナルSFは独りよがりで退屈するけど、『ダンケルク』や『オッペンハイマー』のような史実を脚色した映画は長くても見飽きない。今後とも後者の路線で行ってくれるといいんだがな。

 さて、上映時間180分の本作は、明確な章立てこそなかったものの、事実上は(1)前半生(2)マンハッタン計画(3)原爆投下後の3部構成になっていた感じ。「原爆の開発者の伝記映画」だとばかり思って観始めたら、あにはからんや、そのうちの1部と3部は、むしろ「レッドパージに苦しめられた人物の映画」という色彩がかなり色濃いんですね。
 で、そうなったのは主人公のロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)がストローズという人(ロバート・ダウニー・ジュニア)に陥れられたかららしいということはおぼろげながらわかるのだが、こちらはそもそも、そのストローズが何者で、実在のオッペンハイマーとどんな確執があったのかを知らないものだから、字幕につくていくのに精一杯だ。

 おまけにノーランは、この1部と3部にはほとんど緩急を作らずに、短いスパンでじゃんじゃんシーンと時間軸を変えていく(編集のジェニファー・レイムは本作でオスカーを獲得)。(A)オッペンの人生をほぼ時系列で追ったシーンとは別に、(B)オッペンがジェーソン・クラークに攻めたてられる赤狩り審問みたいなシーンあり、(C)なぜかモノクロで撮られた丸テーブルの会議シーンありで、(B)と(C)がどの時間軸に入るのかすらよくわからない。
 それもあって、鑑賞の途中で「疑問点を整理しよう」とか「さっきのセリフの含意は?」などと考えだしたら最後、たちまち矢継ぎ早に連ねられる字幕を読み落とす。落ちこぼれたくなかったら、映画館に行く前に原作本を予習することが必須なのだった。

 対照的に、オッペンがマンハッタン計画を指揮した時期を描いた第2部は、(B)や(C)のシーンをあまり差し挟まず、1つ1つのシークエンスを長めにじっくり見せていく趣向。
 意外なことに、ここまで来るとオッペンが物理の天才ぶりを発揮するエピソードはほとんど入らず、むしろ個性の強い研究チームのメンバーを束ねるマネージメントの仕事が多くなる。これが事実に近いとしたら、実際に原爆を完成に導いたのは全米と同盟国からかき集められたトップ科学者たちの分業とチームワークであり、その意味ではオッペンひとりを「原爆の父」と呼ぶのは、良くも悪くも正確ではないような気がしてきたな。

 砂漠の研究施設でチームが原爆実験を初めて成功させるくだりは、おそらくノーランが最も力を入れた部分。凝り性のノーランのことだから、セットも小道具も起こったことも、史実と寸分違わぬように再現したのではあるまいか。
 あの時、理論通りの結果が出なかったら、大気が炎上して地球全体が滅亡していた可能性があったなんて初めて知った。それを踏まえて、オッペンがエンディングでアインシュタインにつぶやく一言の衝撃度といったら!
 アカデミー賞主演男優賞を受賞したマーフィーは、受賞スピーチで「この映画は原爆を作った人物の物話。我々は今も彼の世界に生きている」と語ったのだったが、それはまさにあの掉尾の一言のマイルドな言い換えだったのですね。

 ちなみに日本の映画ファンが一番敏感に感応したのは、たぶん原爆投下の作戦会議のシーンだっただろう。この前後には意外なセリフや皮肉なセリフが目白押し。たとえば「ドイツが降伏した今、人類最大の脅威は原爆を持つ我々自身だ」「東京大空襲で民間人を10万人も殺したのに、誰も抗議活動を起こさない米国が心配だ」「1発目は威力を見せるため、2発目はまだまだ続くぞと思わせるために落とす」う~ん、創作なのか、実際の発言なのかわからんが、いろいろな意味で興味深い。
 それに比べれば、原爆投下後の祝賀会のシーンでオッペンが黒焦げの死体に足を突っこむような幻覚を見るのは、ノーラン監督にしては類型的にすぎる表現だったと思う。

 アカデミー賞ではオッペンの2番目の妻に扮したエミリー・ブラントも助演女優賞候補になったが、私が強い印象を受けたのは、むしろ最初の妻を演じたフローレンス・ピューの方。
 共産主義者の交流会で自分からオッペンに声をかけてきて、知的&挑発的な会話を交わし、その日のうちにベッドイン。騎乗位でしている最中に勝手にベッドから離れたかと思えば、本棚でサンスクリット語の本を見つけてきて、オッペンに原語で音読させながら、再び(B’zが歌うところの)快感の尻尾をつかんでいく。

 当方は馬齢を重ねた映画ファンなので、男の射精を待たずにセックスを中断しちゃう女も、外国語の響きに欲情する女も、いつか見た情景に思えるけれど(それぞれ『スパングリッシュ』のティア・レオーニと、『ワンダとダイヤと優しい奴ら』のジェイミー・リー・カーティス)、若い観客の目には、彼女の言動の1つ1つが、強烈なファム・ファタールのそれに見えるんじゃないかな。
 本作がR15に指定されていたのは、日本の良い子が米国に復讐テロを企てないようにするためではなく、単にピューねえさんの濃いめの濡れ場が見られるからだったんですね。

OPPENHEIMER
(2023年、米、字幕:石田泰子)

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