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【書評】LGBTのような綺麗ごとと欺瞞『正欲』(朝井リョウ・著)

 こればっかりは、読んでもらわないと始まらない小説だなあ。

  次号の晋遊舎『MONOQLO』の書評でも取り上げましたが、朝井リョウさんらしく、上手い小説であって、よくできているんですが、滂沱の涙を目にためながら読み進めるというよりは、社会時評として共感しつつ登場人物に対する各種エピソードを客観視するような内容になっております。

『MONOQLO』
https://www.shinyusha.co.jp/media_cat/monoqlo/

 そのテーマは社会的包摂や多様性について、言うなれば「分かりやすい」「カミングアウトすれば、ある程度認めてもらえる」ところばかりが社会的にクローズアップされつつも、いわゆるフェティシズムやパラフィリアについてはいまなお闇を抱え、社会的に疎外されつつ暮らしているストーリーになっています。

 最初に結論が提示され、そこに至るプロセスを複数の登場人物が絡み合いながらひとつに交わっていく、そして最後はある種の「ですよねー」的な破綻、しかしそれでいて希望は残る。本作品の良さであり読みにくさは登場人物の抱える葛藤がひとつの事象に対して複雑な感情が湧きだした結露だからであり、また朝井リョウ作品によくあるように「このセリフは誰のものや?」「そこの描写、良く分からなくね」というのが随所に出てきます。わざとか?

 私も非常に近いようで遠いような界隈におりますので、ある種のあるある話として、本作でもあるように若い頃はよくホモ疑惑を立てられたり、親からの結婚プレッシャーを受けつつ「自分の遺伝子を残したくない」とほざいてみたり、説明するとドン引きされるのを怖れるあまり「自分のことは誰からも理解されない。ほっといてほしい」」と嘯きながらも界隈の最新状況はネットで常にチェックしているような話はあったかもしれません。

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 本作品では、敢えて、あまりフェティシズムやパラ フィリア(パラ フィリア障害)のような具体的にそれを指す単語を使っていません。出てくるのは「特殊性癖」という単語であって、ネットでは秘めた趣味として、いわゆるLGBT的な多様性の外にある前提で、自分の本当に好きなことを表に出すことのない人たちという扱いにしています。

 また、もっと広い意味でのボーダーラインである、フィギュア愛好家やアニメオタクのような分かりやすいヲタ趣味ではなく、敢えて日常生活を送る普通の若いサラリーマン、寝具屋店員、女子大学生といったポジションを中心にしています。まあ、大部分のヲタは結局女性にはきちんと欲情するので埒外なのでしょうが。

 確かに、同じフェティシズムの同好の士を見つけることができなければ、彼らの欲望や魂を満たすことなく、自分が異常だと気付いた瞬間から普通の人生が歩めない十字架を背負って生きていく気持ちになるのでしょう。他方、冒頭からある種の狂言回しになっている、ゆたぼん父子のような「学校に行かなくても」という浅慮な煽動に乗せられた不登校小学生とその父親の境遇が、一連の物語の縦糸として、社会のレールに普通に乗って生きている登場人物の述懐として陰影をつけておるわけです。

 で、ぶっちゃけ本作品でみんなが悩んでる噴出マニア(噴出フェチ)って、フェティシズム界隈では農耕民族的な人畜無害な存在なので、そんなに闇を背負わんで良かったのにと思うわけですよ。本来、そんなに悩む必要皆無じゃん。読んでいてのめり込むのは、ええい、そうじゃない、お前らはまだ同好の士を探すのに苦労しない比較的マシなほうのフェティシズムじゃないか、何を悩んでおるさっさと社会復帰しろということであります。

 また、いわゆるフェチで言うならば、例えばフェチ界隈で騒動となった俺たちの側溝マニアという神の存在があります。本来なら逮捕される必要などない側溝マニアにはフェチ界隈から深い同情の声が集まっておったわけですが、噴出マニアが蛇口蹴ったり水遊びして御用となるのとはまた異なる、この世は深淵で「変態」と片付けることのむつかしい、真のいばらの道を歩む神もいるのだということを、この小説を通して知ってもらいたい。

2度目逮捕!“側溝男”の変態哲学「生まれ変わったら道になりたい」 https://www.tokyo-sports.co.jp/social/incident/470645/

 言うなれば、登場人物は水かけて喜んでいる一般的なフェティシズムよりも、全員側溝に入って一斉摘発されるような現実に即した作品だったらここまで多くの人に『正欲』は絶賛されただろうか。朝井リョウをしても、比較的他人に受け入れられやすい変態でしかこの問題に切り込むことができなかったのかと思ってしまったわけですよ。

 蛇足と知りつつも、コレクター系のフェチであった校長についても書く。容疑としては児童買春という扱いになっていたものの、公判でも明らかになっている通り、関係した全員においてとにかく記録しておきたかった、出会いの内容を残したかったという、普通の児童買春とは全く異なる性癖が披露されていました。場合によってはお金を払って一緒になったけれど、セックスすることなく4時間楽しく喋って写真を撮ってお別れした女性もいたとのことで、日本で問題になるまでに現地で犯罪として検挙されることはなかったとのことでした。

高島雄平
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E9%9B%84%E5%B9%B3

 ネットではレジェンドと言われて面白がられているけれど、実際には明らかにフェチの人であり、一方で、きちんと社会的地位を持って日常生活を送っていたわけですよ。

 人間、秘めたる性欲のひとつあってもおかしくないと思うし、本作品でもノーマルに見える人たちが明日死なない前提で暮らしている社会を「サイクルで生まれた命をグルグル回す」という表現で一線を引くのも分かる。

p188
『多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ』

p214
『幸せの形は人それぞれ。多様性の時代。自分に正直に生きよう。
そう言えるのは、本当の自分を明かしたところで、排除されない人たちだけだ』

p279
『そして、こうして実践できるフェチに生まれただけ自分たちはまだマシなのかもしれない、と、なけなしの幸運を握り締めた』

p295
『本当に繋がりたい相手とは、あんな場所で堂々と手を挙げて存在を確認し合えるような人ではない。誰にも見られていない場所で、こっそり落ち合うしかない誰かなのだ』

 いいね。とてもいいね。

 もちろん、いまでこそ市民権は得ているけれど、LGBTの人たちもまた自分たちの生存や尊厳のために長く戦ってきて、勝ち取ってきた歴史もまたあるわけですよ。では同じような形で、真の意味での精神的少数民族であるフェチ各派閥の面々がプラカード持って「俺たちの権利を」と言えるのかどうか。それこそ側溝マニアやセックス依存症とコレクターの併発も認めてくれよ、と。

 そして、そこに「反社会的でない限りは」という一線が引かれる。この作品の最後がきちんと(ある種の)破局を迎え、それを見ていた人物の「常識的な反応」が羅列されて、変態を見つめる一般的な眼がきちんと披露される。ええ、私はあいつを気持ち悪いと思ってました。

 そう思われるからこそ、秘めたる趣味は密やかな場所で同好の士を探して繋がろうとし、それが反社会的であればあるほど、露顕したとき社会的地位も人間としての尊厳もすべてを失うことになるけれど、LGBT的な多様性を認めるムーブメントは決してそのような人たちの権利を守ってはくれないわけですよ。

 現実でも側溝に入る人は逮捕され、感謝される人物であったとしても校長はしょっぴかれる。なぜなら一線を超えたから。それも、一線を超えたのは本来の目的(側溝に入ることや、合意の下でセックスを繰り返した記録を残したこと)が問題とされるのではなく、側溝にいることで起きる覗き行為や、コレクションした画像や動画が児童ポルノであると断じられての摘発であるわけですよ。その変態行為一つひとつの意味や是非ではなく、外形的にそう見える(できる)からという法的な一線を超えたらアウトであるという。この現実社会の仕組みを体現しつつも、特殊性癖について理解してもらえないと諦めて顔の肉が重力に負ける人たちの気持ちをどう斟酌すればよいのでしょうか。

 なお、個人的に気になったこととして、特殊性癖でも性癖によってはちゃんと異性に関心を持ったり、関係を築いたりすることはできます。その場合、悩み相談としては例えば「すみません、水のほとばしる状態でしか勃起しないんですけど」という話ではなく、いわゆるEDにおける「射精障害」ってやつです。趣味の内容なんて開示する必要はない。本作品でも惜しいところまで辿り着いた男女はいましたが、この方面はまだポピュラーな(人数の多い)フェチの世界なので、おそらく立派な社会生活を送り家庭を築いている先輩の変態紳士がいたはずです。然るべき先人にアドバイスを求めることができたなら… そこと残念ながら繋がることができなかったのが悲劇だったのかなと思いました。

射精障害
https://www.google.com/search?q=%E5%B0%84%E7%B2%BE%E9%9A%9C%E5%AE%B3&oq=%E5%B0%84%E7%B2%BE%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 いずれにせよ、このような問題は一人で悩むべきではないし、ジャストフィットはせずとも同じ趣向を抱える人はたくさんいます。また、(定義は違うけれど)社会生活を送れる程度に特殊な人たちは、思っている以上に本当に多いんじゃないかと思うんですよ。

 そんなことを思いながら、楽しく本作品を通読しました。万人受けではない作品のテーマではありますが、冒頭からゆたぼん父子の煽動に翻弄されるご家庭があったり、BLの文脈としての「おっさんずラブ」を彷彿とさせる浅薄なネタに乗っかる女性がいたりと、ネット社会をよく見ている人たちからすればニヤリとするような描写が多数ちりばめられているのも特徴かなと感じます。

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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント