議事録のない会議体は何故できるか(追記あり)
黒いスーツを着て永田町や溜池山王、霞が関あたりをウロウロしていても誰も何も奇異に思わないのでしょうが、うっかり池袋や新宿副都心に出ると「なんだこいつ」とか「このクソ暑いのに上下スーツかよ馬鹿じゃねーの」という視線を戴くことが多くございます。
ある集団、ある地域では当たり前のことが、一歩外に出ると非常識で変態に見られるというのはままあるわけでして、その代表格が会議体において議事録が非公開であったり、そもそも議事録が作られないということに対して、国民からすれば「会議をやっておきながら、検証不可能なように議事録を残さないというのは無責任だ」という話になるわけであります。
その極北がこういった報道でありまして、一般的な観点からすればまさにその通りであり、何か変な決め事をするときに「誰がそんな変なことを言った馬鹿か」が検証できないのは望ましくないよね、と私ですら思います。
ほんと、馬鹿は死んでほしいですよね。
しかしながら、古来より「王様の耳はロバの耳」などと申しまして、上は我らが大将である総理大臣・安倍晋三さんの病状から下は木っ端役人の未成年おっパブレイプ事件まで秘匿されるべき情報というのは多岐にわたります。
また、一般的に政府が催す会議体の下には事務局があったり調査部会や検討会、政策協議のための会合などなどがひしめいているわけでありまして、誰がどの資料を作って会議に上呈し資料としてお偉い各委員に配布されたのか分からないようになっています。下手をすると、調査の取りまとめは大手シンクタンク(証券・金融系や財閥系の総研が担ったり、コンサルタント会社が引き受けたりする)がやったことになって、そこで汗をかいた人たちは基本的に匿名性で守られます。
情報の作成者が守られるのは、マスコミにおいて情報源が秘匿されるのとそれほど意味的には違いがありません。うっかり公文書に情報提供者の名前が出てしまうことになると、誰も調査やヒヤリングに応じてくれなくなります。当たり前のことですが、調査をするということは何かが問題だからです。それを解決しなければならないという目的のために組成された会議体に情報を提供することが求められる以上、そこで扱われる話というのは大概にしてセンシティブだったり犯罪そのものの事情だったりし、それを調査という名目で漁る人たちや、そういう取材や調査に応じた人たちは文字通り、身体を張って情報を取ってきたり証言をしたりします。
さらには、それらの情報を元に議論する偉い有識者や偉い委員というのは一定以上の見識があり、役所の側からも「この人なら」ということでサインアップされたピッカピカの人たちばかりです。そういう人たちに状況をレクし、取りまとめた資料という形で目を通していただいたうえでご高説を賜るにあたり、会議の席上でありのままの見解を仰ってもらわなければ諮問する意味がないのです。
俗に「チャタムハウスルール」というものがあり、これらは主に外交や安全保障の場面だけでなく、よりセンシティブな(ヤバい)国内問題について偉い有識者たちの意見を集約するために活用されます。例えば、北朝鮮で金正恩が死んでいるかもしれないという重要な状況で北朝鮮政策を我が国はどう着地するべきかという議論をするに際して、そもそも金正恩が死んでいる前提で議論をすること自体が外交問題になりかねないし(少なくとも北朝鮮はそういう会議が我が国政府内で行われたと知ったら挑発だと受け止める可能性は否定できない)、その事情を知って意見を述べた人が誰なのかはもちろん、その会議に呼ばれている人の個人名も秘匿されることになり、ましてやその会議がどういう議論の果てにどのような結論となって我が国の対北朝鮮外交の方針として合意が得られたかなどという話は絶対に表に出ないわけであります。
今回のようなコロナウイルス禍においての会議体で議事録が出ないのも、場合によっては多くの重篤な患者が出るにあたり、問題のある地域がどこで、その遺伝子的な根拠は何で、どのような広がり方をしたのかという話がリアルタイムで大っぴらになったのだとすれば、政府公認のリスク地域の開陳にほかなりません。さらには、その情報に接し意見をした人たちというのは、例えばその地域の繁華街で頑張って営業をされている店舗や従業員に余計な心理的ストレスを与えるだけでなく、危険地域とされた不動産・物件オーナーも賃貸価格の下落に見舞われて経済的損害を蒙ることだって予想されます。
https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson41/
必然的に、会議で使われる情報の出どころも、誰が喋って誰がまとめたかも、政策立案にどう上呈されたのかも、諮問された人物も、それに対する回答も、その会議体の性質によっては厳秘となります。アメリカでは50年が経過したら情報公開されるぞとかさまざまあるわけですが、情報収集にあたってはそれ以上の権限として「誰が何を喋ったのか」「誰がその情報を取りまとめたのか」はバイネームで出ることはありません。それは、情報の提供者を守り、情報部門が何をするために存在しているのかという機能面を担保するために必要な所作であります。
そして、今回のように具体的にトリアージを行う、いわば、本当の危機に際して「どの(属性の)日本人を見殺しにし、どの日本人を助けるべきか」という重要で人倫の最たるところを議論するにあたって、誰が何を言ったのか、また、それを率直に言ったことによって、その善意の偉い有識者が不適切な発言をしたとして糾弾されることのないよう配慮をしなければなりません。
もちろん、私個人としても偉い有識者と言えども偉い割にたいしたことを言わないので毎回死ねばいいのにと思う人もいないわけではありません。ですが、それはそれとしても思うことを率直にお話していただくにあたり、議事録を取らないことも、黒塗りにされることも、あるいはチャタムハウスルールとして人格と情報を切り離し率直な意見を抽出するような会議体になることも往々にしてあるのだ、ということはもう少し知られても良いのではないか、とも思います。
さて、東京新聞はその点では非常に重要な視座を提供していると思いますし、私も大事な論点であると思います。一方で、そもそも有識者会議というのは政策決定の場ではありません。政策を決定し責任もって遂行するのは政治家であります。
内閣府の公文書管理委員会の委員としてこの指針の策定に関わった三宅弘弁護士は「指針は『発言者及び発言内容』と明記しており、誰の発言なのかを記す義務がある。議事概要では政策決定過程が検証できる資料とは言えない」と指摘。
東京新聞での三宅弘さんのご指摘はごもっともである一方、森田朗さんと対談をした西浦博さんはこのように証言しています。
ただ、国民の目から見ると、専門家がすべての政策を決めていると感じられるようになってしまいました。実際のところ、そんなことはないんです。僕たちに政策決定権なんか何もないし、提言してもそうならなかったことなんてゴマンとあります。
専門家はあくまで意見を求められる(諮問される)のであって、政策決定を行うのはどこまでいっても政治家であるという目線があったうえで、どのような情報開示の在り方が望ましいのかを考えなければなりません。
また、仮に内閣府の公文書管理委員会が策定した指針通りに発言者および発言内容を公開するのだとしたら、調査部会やシンクタンクの下にいる情報収集役の置物メンバー全員が開示対象として晒されることになり、仕事になりません。たぶん、誰も政府に情報を提供しなくなるのではないでしょうか。
そのような状況があるからこそ、野党やマスコミ、ジャーナリスト、オンブズマンといった人たちがかかる問題において情報公開請求をしても、最終的な開示決定が出ずに取り下げになるか、オール黒塗りの文書(俗に海苔弁当という)が出るのみになります。
「だから日本の情報開示制度はいかんのだ」という議論になりがちですが、文書管理においてモリカケ問題でも忖度や改竄が問題になります。いろんな事情は承知していますが、民主主義ですので、ときの政権に忖度して資料を改竄してはいけません。一方、情報源の秘匿や機微情報の取り扱い方については、少なくとも現場においては厳正に運用されていると思います。仮に医療機関で医療提供能力を超えて患者が運び込まれてきたときに、先に治療を受けている高齢者からECMOを外して20代30代の出産可能年齢の女性の患者に振り分けるべきと主張した有識者が「そういう価値判断をする人間は許せない」などという不当なクレームから守るためにも議事録そのものを取らないという生活の知恵があることは知っておいていただきたいと思います。もちろんecmoを外される高齢者は確実に亡くなりますが、それならば、まだ出生の可能性のある女性を見殺しにしてよいのかという意志決定を現場の医療機関や救急隊員の方に担わせることのほうが酷です。それを決めることこそ政治であって、意見をするのは有識者です。お座敷芸はそういう機微の上に成り立っている、と言えます。
蛇足ではございますが、会議体で議事録を取らないという方針が出たのは沖縄で中国漁船が領海侵犯し中国漁船衝突事件を起こし取っつかまって那覇地裁の一裁判官がほぼ独断でこれを釈放し、当時の民主党菅直人政権の官房長官であった故・仙谷由人先生が本件を「了とする」とした一連の政策決定に対する情報開示が結果として却下になったこともまた一つの大きな前例になっています。私は野田佳彦さんや仙谷由人さんの一連の対応を高く評価していますが、残念なことにあまり多数派ではありません。もちろん、その当時、勇気をもって告発を行ったsengoku38こと一色正春さんの在り方もまた見事であって、間違いなくあの頃は政権と情報の在り方について大きな転換点になったのだと思いますし、情報隠蔽批判と情報保全体制の問題についてはいまに続く問題でしょう。