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語彙の蟲

「いやあ、あれは本当に不思議な現場だったね」
そう語るのは、長年刑事を勤め、今年定年退職した金森義道であった。
インタビュアーの小野章介は、その言葉を一言一句聞き逃すことないよう、ノートに乱暴な字で書き綴る。
金森が煙草を吸うたびにその煙が鼻へと入り、その異臭からむせ返りそうになるのを小野は我慢していた。
目の前にある喫茶店のアイスコーヒーだけが、この場所に不釣り合いな自分を守ってくれているような気がしてならなかった。

小野は、この取材に当たりの予感を感じていた。
いまや世間では、都市伝説や未解決事件、怪奇現象や心霊現象など、オカルトめいた話題が人気を博している。
毎年購買者数の下がっている、雑誌「アンコニュ―」の特集の中で、唯一復活の兆しの見える企画であった。
そして今回の取材テーマは、「現場で見た恐ろしい変死体」というものであった。

「たいてい、家の中で死ぬ人って、自殺か孤独死なんだよ。たまに殺人とかもあるけどな。家の中での死に方ってだいたい同じで、自殺で多いのは縊首で、孤独死だと病死だな」
「それ以外の死に方だと稀なんですか?」
「そうだねぇ、最近だと練炭だとか飛び降りだとかもあるけど、そんなに多いわけじゃないかな」
「そうなんですね。その中で印象的な死に方ってありましたか?」
「あぁ、印象的に残っているのが一つだけ。いやあ、あれは本当に不思議な現場だったね」
そういうと、金森はその現場の話を小野に話した。

その現場で死体となって発見されたのは、室町俊彦、43歳、男性。
死亡推定時刻は夜中の3時27分。
発見時の姿は、私服姿であり、なんと座布団の上に座った状態で発見された。パソコンは起動されたままであり、メモに途中まで何かを書いていた形跡がある。
死因は窒息死。
口の中には、机の上に置いてあった広辞苑のページを十数枚破り、口の中に詰め込まれていた。
警察は当初、その異様な死に方に他殺の可能性を考えていたが、争った形跡や付近の防犯カメラに彼の家を訪ねる人物もおらず、自殺として処理された。

「金森さんは、なんでその現場が一番印象に残ってるんですか?」
小野は不思議に感じ、金森に尋ねる。
金森は長年刑事として勤めているだけあって、様々な事件現場の捜査に携わっているのは事前調査で知っていた。
その中には、一家心中や無差別殺人など、惨たらしい事件も存在する。
「いや、あの死体にはね、惚れ惚れしちゃったんだよね」
金森はうんうんといいながら、朗らかな表情をした。
「惚れ惚れ……?」
あまりにも違和感のある言葉に、小野は首を傾げる。
「あの変死体は自殺の二文字で片付けられちゃったけど、あれは殉職だと思っているよ」
「は、はぁ……」
ますます金森の会話が意味不明になっていく。
「彼は小説家でね。名前を検索したら、何冊か本が出版されてたよ。純文学だったかな?死ぬ直前まで、小説を書いていた形跡があってね」
「小説……ですか」
「そう。広辞苑も新品のものじゃなくて、おそらく何年も使ってたせいか背びれがボロボロだったよ。ページも何枚も破られててね。そりゃもう、辞書と呼ぶにはお粗末な状態だったさ」
「それのどこが不思議なんでしょうか?」
「君、雑誌記者だろう?君ならわかると思うんだが……。たまに言葉に詰まることはないかい?このイメージをどう文章にすればいいだろうか、この言葉をどう言い換えればいいだろうか、あぁなんて自分には語彙力がないんだって」
「あ、あぁ……それならたまに思うことあります」
「私もさ。事件の報告書を書くとき、現場の状況を伝えるとき、それがうまく言葉に出来ずに落ち込んだことは何度もある。だけど、結局私は別の安易な言葉に入れ替えて事をやり過ごしたよ。でも彼はそうはいかなかった。小説の中の言葉を必死に探した。探して藻掻いて、行きついたが辞書を食べるという行為だったのさ。彼はね、語彙の蟲に喰われてしまったんだよ」
「語彙の蟲……」
「そう。自殺で死んだ人たちはみんな苦しい表情をしていたけれども、彼だけは違った。死にながら笑っていたよ。何かに満足したようにね」

そうして金森へのインタビューは終わった。
インタビューが終わった後、そのまま会社に戻ることなく自宅へと直帰し、今日の取材をパソコンでまとめる。
タイトルは「辞書を食べて死んだ男」
あまりにもチープなタイトルに、自分の語彙力のなさに嫌気がさした。
ふと、本棚に昔使っていた赤い背びれの国語辞典を見つけた。
小野は椅子から立ち上がり、その辞典を手に取り、再度自席へと戻る。

ア行、カ行、サ行と順に捲っていくが、その中身のほとんどが自分の知らない言葉たちであった。
これを全て覚えられたのなら、自分はどれだけいい記事が書けるんだろうか。
小野はそんな妄想しながら、一枚一枚ページを捲る。
そして、無意識にページを一枚ゆっくりと丁寧に破り、むしゃむしゃと食べ始めていた。

おわり。

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