水族館のクラゲのように、私は綺麗に漂いたい
水槽に入ったクラゲのなんと綺麗なことか。
いつも水族館で列をなしているのは、このクラゲのコーナーだけである。
ある水槽では、一匹の希少な小さなクラゲがぷかぷか傘を広げて泳いでいる。
またある水槽では数匹のクラゲがネオンに飾られた踊っている。
少し進んだ水槽には、眼を覆いつくすほどのクラゲの群れがたんぽぽの綿のように溢れている。
人はみな、そんな幻想的な海の生き物に沸き立ち、きゃっきゃと喜んでいた。
◆
私はクラゲが嫌いだ。
小学生の頃、海水浴をしたときに右腕を刺され、救急室に運ばれたことがある。
痺れっぱなしの右腕には、ぽつぽつとした赤い発疹が出ていて、その見た目の気持ち悪さにゲロを吐いた。
それ以来、私は海水浴に行っても、海の中には入れなくなった。
海の中でなければ大丈夫かといえば、そういうわけでもない。
テレビ放映で「今年はエチゼンクラゲの大量発生により~」なんていう映像が流れれば、右腕にあの時と同じ発疹がでる。
それはミズクラゲでもタコクラゲでも同じ。
私の心は未だクラゲの毒が潜んでいる。
「クラゲのどこが嫌なの?」
彼氏が水族館に行こうと言い出したので、私はクラゲが嫌だといった。
すると彼氏は「は?」みたいな顔をして、そんなことを聞いてきたのだ。
私は何度も発疹のことを説明したが、信じてもらうことなどできず、水族館にデートすることになった。
水族館内の配置は、すごくわかりやすい。
足早に進む小物が一番最初に配置され、その後、小魚の大群やら珍しい魚やらが並び、だんだんと歩くスピードが遅くなっていく。
そして一番の目玉として、客の足が止まるのが「クラゲコーナー」だ。
「クラゲくうかん」の雰囲気は、薄暗い海の洞穴のような演出がされている。
クラゲは丸く囲われた水槽の中で、ぷかぷかと何もなく泳いでいた。
私はその光景を厚い硝子越しに見つめた。
水槽に入ったクラゲの、なんとか弱きことか。
人も刺せず、波もあらず、ただ漂っている。
綺麗に飾られ、苦も無いその水槽はまるで海の檻ともいうべきか。
人はそんな光景を、綺麗だと口々に言う。
クラゲの価値など囚われることしかないだろうか。
不思議と発疹は出なかった。
きっとクラゲを猛威ではなく、哀れだと思ったからだろう。
私はふと、水槽に反射した自分の顔を見た。
ひどい顔をしている。
来たくもない水族館にきて、人混みに咽せ、あまつさえ彼氏は自分勝手に観賞している。
私のここにいる意味はなんなのだろうか。
行きたくないのなら「行きたくない」とはっきり言えばよかったものを、彼氏が怒りそうだから、悲しむだろうからと勝手に想像して、断れなかった自分を正当化して、怒りを彼氏に向けている。
人は人である限りどうでもいいことに悩み、苦しみ続けなきゃいけないんだろうか。
あぁ、私もクラゲになりたい。
ただ、綺麗に、音もなく漂いたい。
彼氏がふと私がクラゲを覗いている姿に気づいたのか、ずいと左から体を入れ、水槽の半分の視界を奪った。
「クラゲ苦手じゃないの?」
「苦手だよ」
「でも今見てたじゃん、好きなんじゃんクラゲ」
彼氏はけらけらと笑い、私よりも顔を前に出して水槽を覗き込んだ。
彼の目に、私はどう映っているのだろうか。
きっと、このクラゲのように「恋愛」という檻に入れられた観賞用の女としてしか見ていない。
馬鹿らしいな。本当。
私が悩み苦しんでいる横で、こいつは私のことなど1mmも考えたことはないのだろう。
「ねぇ、別れよ」
私は彼に言った。
「え?」
彼は突然のことに呆けた顔をしていたが、ますますその顔は憎たらしかった。
「私は、お前の観賞用のクラゲじゃないんだよ」
私はそんな捨て台詞を吐いて、水族館を後にした。
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