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私が椿を好きな理由

あの日私は,
控えめな中の華やかさにひとめぼれをしてしまった。

こんにちは!きりぎりすです。
お忙しい日々の貴重な時間をありがとうございます。

私は
プロフィールに書いてしまうほどに,
椿が好きです。

ただ,
椿をもうずっと見ていないから,
どんどん忘れていっています。
人間は忘れる生き物なんですね。
ちょっと悲しい。

まあ気を取り直して。

なぜこんなに好きなのかに
ちゃんとした答えがあることは
私にとって
かなり珍しいのですが,

椿と私は
切っても切り離せないくらい
人生の数々の段階において
関わってきたからです。
(私からの一方通行な愛かもだけど)

そんな特別な椿ちゃんですが,
こちらも立派なお花ですから
花言葉や旬の時期など
植物としての面を
持っているはずにもかかわらず,

この記事を書くまで
それらを知らなかったことが
私は恥ずかしいです。

また,
長年忘れていた草花のすばらしさを
教えてくれたのは
連続テレビ小説『らんまん』
です。

これだけで1つの記事にできそうですが,
それはまたいつかのお楽しみにさせてください。
(私が書くのが楽しみなだけ)

椿とは?


朝ドラの万ちゃんみたいに
学名とかそういう
かっこいい感じの情報を
こちらで書きたいと思っていたのですが,

そういえば朝ドラを見ていても
「すごいな~」とは思ったけど,
何にも覚えていないので
省きます。

椿は日本産のお花で,
はじめての記録は
中国の「隋」の時代らしい。
かなり昔だ。知らなかった。

海を越えてやってきたんだって!

私も海を越えて,
(というかユーラシア大陸を越えて)
ヨーロッパに来ているから
椿ちゃんも
同じことをしたんだと思って
とても親近感を覚えている。
植物にも船酔いとかあるのかな。

綺麗に咲く旬の時期は
12月~4月の
日本に住む人間にとって
激動の時期ですね。

そっか,冬か。

私の中で勝手に夏のイメージでした。
今は携帯があるから
いつでもどこでも
椿を見られるけど,
昔の人はそうじゃなかったのか。

そんな特別さを肌で感じながら生きると
そりゃ知恵も身に付きますわな。

そして花言葉は
「控えめな優しさ」
です。

まあ本当は,
そのほかにも
いろいろな言葉があてられていたけど,
その中でも
私が「これだよこれこれ~!」
となった,
控えめな優しさを
選ばせていただき申した。

椿は姿かたちは
とても華やかなのに
どすの効いた深い緑の葉に
囲まれると,
「控えめ」を感じざるを得ません。

丁度サザンカは
椿に似た花で,
通学路にある素敵な家が
綺麗に咲かせていましたが,
それには心惹かれなかったのに,
椿には無条件降伏なんですよね。

似ていても違うって,
まさにこういうことを言うのかな。

人間関係でも
新しい人に出会った瞬間に
「あの人に似てる!」って思うときもあるけど,
よく話してみると全く違ったというあの感じ。

前回の記事でも書いたけれど,
私は本当に
「控えめ」とか「しなやか」とか
そういう
昔ながらの日本が大切にしてきた文化を
体現しているような人間に
なりたい,なりたい!と
思っています。

静かにしていればいいんでしょ!
簡単では?

と思われる方もいるかもしれませんが,
私の言うそれらは
「静か」とか「おとなしい」という
音量や出量の話ではなく,

きっと
自分の意志でもって
引き際を分かっている人間に
なりたいのではないかなと
思います。

その場に
いると思ったらいないとか,
いないと思ったらいてほしいと思われるような
そういう感じなのでしょうか?

まあまだまだ全然
先は長そうだけど,
年々それが実現しそうだなと
感じる節が増えてきて
ちょっと嬉しい。てへ。

そんな私の中に朝ドラを見ていて,
小さな疑問が沸いてきました。

それは

なぜここまで椿を好きなのか


それはきっと

家族旅行で愛媛県は道後温泉にある
「椿館」を訪れたこと

が大きな原因かなと思います。

私はどちらかというと
アクティブ人間でしたから,
温泉とかリラックスするような場所に行くよりも
遊園地とかアドベンチャー系の旅行が
好きでした。

しかしその時だけは特別で,
他の温泉旅行は
あまり覚えていないけれど,
この松山旅行だけは
はっきりと思い出せます。

あの時の朝食会場や部屋の感じ,
チェックイン後すぐに乗ったエレベーターや
チェックアウト時の雰囲気など

そこまで覚えているもんかね
と疑いたくもなりますが,
間違いないと思います。

私はあの一瞬で椿にひとめぼれをしました。

花にひとめぼれってなんだよ!
新手のロマンチストかよ!

と思われると思いますし,
きっと私が最もそう感じていますが,
物凄く特別でした。

日本史の中でも
本当に短い

大正時代


ですけれども,
私はこの時代が
好きで好きで堪りません。

あなたにも大なり小なり
好きな時代があるかと思います。

よく聞くのは
戦国時代とか,
逆に平安時代とかですが,

そんな類で,
私は大正時代の例のロマンに
ノスタルジーを感じ,

出来ることなら
あの時代に飛んで行って
生活してみたいと思うのです。

そして実際に
「大正時代」にやってきたと
思わせてくれたのが
松山の街だったのかなと
今では考えます。

現在はどうか分かりませんが,
当時の椿館は完全に大正時代だったと覚えています。
(まあその時代を生きた訳ではないので,
「私の中の」とはなりますが。)

あの頃はまだ
大正時代の存在すら認識していなかったわけですから,
私は運命的な出会いを果たしているとなりますね。

そんな素敵なノスタルジーを創り上げた場所に,
シンボルとして選ばれた,椿。

大正時代と椿の
共通点を挙げるとするならば,
控えめなロマンチックさ
でしょうか。

堪りませんね。
もう降参です。

心を射止められたので
何のためらいもなく
紺色の生地に小さな椿が数個描かれた
チャリのカギ以外に何も入らない
小さなガマ口財布を即決で購入。

今ではもう壊れてしまって
手放してしまいましたが,
あの感動をいつもいつも思い出させてくれていた
あの財布は宝物でした。

熱しやすく冷めやすい大陸人間が
あそこまで長く
それに入れ込めていたことは,
その後の人生でも椿を
特別に好きでいられる基盤となったのだと思います。

好きな花が道端に咲いていると
勝手に気分が上がるので,
非常にありがたいなと
つくづく思っています。

Am Ende

草木の根から
土を完全に取り払えないのと同様に
人生を築いてきた一つ一つの事柄も
切り離すことが難しいですよね。

というのも
私の大正時代を好きな理由は

もっと深い場所にも
もっと浅い場所にも

眠っているのです。

これから大切に
ペリペリはがして言語化していこうと
思います。

今日の素敵言葉!

ぽかんと花を眺めながら,人間も,本当によいところがある,と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし,花を愛するのも人間だもの

太宰治『女生徒』(1939)

え,ちょっと待って。
なんだそれ。

私はこれまで
椿の美しさについてを話してきたけれど,
それを愛している私にも
「本当によいところがある」
と思ってくださるの,太宰さん。

なんだそれ~!!
めちゃくちゃに嬉しい。
一週間くらい引きずりそう。

何だかすごくすごく嬉しい。

最後まで読んでくださり,誠にありがとうございます。

では,またお会いしましょう。
Auf Wiedersehen!

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