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ケアがケアするケアなわけで

何言ってるかわかんねぇよね。私もわかんねぇ。わかってもらう気もないのではないかと思いながら、ではなぜ私はこうしてPCに向かっているのだと問われると(誰も問わないけれど。深夜のリビングで一人だし)まぁ私にはさっぱりわからないわけで。でも今日はケアのことをまたまとめておきたくなったのでアリマス。私はたぶんケアすることを何度も繰り返し語っているような気もする。だからこの記事はまた同じ話かよってないようになるかもしれない。今日はまた長女と泣きながら寝かしつけをした話である。

またか

そうまたかなんですよ。そもそも「寝る」ということに関して私は昔から大きな問題を抱えていて。まぁ簡単に言うと眠れないって話なんですけどもね。かなり幼いころから私は「眠れない」人であったのは確かだと思う。夜、眠るべき時間に眠れない。今四捨五入して40になる年になって(詳しくは聞かないで)、やっと夜には眠るべきということが何となく身についてきているけれど。いや、頭ではわかってるんですよ。夜は眠るほうがいいです。そして、睡眠時間は7時間程度ほしいです。でも誰も叶えてなんかくれないけどね。

眠るについて、なぜ私が有無を言わせず寝かしつけを押し付けられているのかという疑問と憤慨は語りだしたら来年になってしまうから、ここではやめておくけれど。それはとても根深い、もう9年にもわたる大きな大きな禍根というか、どす黒いものが暗いくらい私の心の海の底にうごめいていてryやめて。やめよう。怪物に食い荒らされる。地獄を見るのはまたいつか。

で、まぁそれよりも私自身の「眠る」の話なんだけど、そんなの今日の本題じゃないから簡単に上に記したように、私は幼少期から眠れませんでした。そしてそれで非常に苦労したし、実母もきっと苦労しただろうし、親子関係も悪かったですよってまぁそれだけですよ。はい、終わり。

いや、終わったらあかん。今日の話。

で、その怪物が眠る危険な話題にどうしても触れざるを得ないのは、つまり、長女が私の娘であって、なんていうか、もうクローン?顔の作りも、腹がポコッとでてくびれのない体系も、思いついたら即実行な行動も考え途中で別のことをポンポンと思いついちゃう思考パターンもほんの小さな刺激ですぐに不安になってしまう情緒の不安定さもすべてにおいてもう長女は私というか。これが血の力かというか。今はなんと髪型もおそろいで、世間でいうおしゃれな言い方をしますと「切りっぱなしボブ」?まぁ、おかっぱのびてきてまっせって髪型なんですけどね。それも同じなんですよ。保育園なんかで顔を寄せあったりすると先生が悲鳴をあげて「おかあさん!そっくり!!」とか幽霊でも見たかのように笑っている始末。いや、幽霊見ても笑わないよ。怖がるよね。でも先生は笑ってたね。あまりに同じ顔すぎて笑うしかなかったかしらね。

そしてそして、つまりは長女は(長男もだったけど)「眠れない」人なわけですよ。前置き長かったなオイ。もうここから始めてもよかったぞこの話題。皆さんこれが思考がとっ散らかった人の頭の中身です。

今日も眠れずにおしゃべりが止まらない長女。最近、懇談で「長女ちゃん朝早いから眠いみたいで、朝の会の時は座ってられないことも多いんですけど。でも眠いからってわかってはいるんですよ。長女ちゃんが聞き分けがないとかではないんですけどね。眠いんだと思います。夜何時に寝てますか?」なんて聞かれちゃったもんだから、「お母さんもお忙しいし、なかなか難しいことはわかっていますので。仕方ないですし。お昼寝もあるのですぐに改善してもらわないと困るわけじゃないんです。たあ、ちょっと意識しておいてもらえたら…」ちょっと意識?四六時中考えてまうわ。先生仕事やもんね。なにより長女のことを心配してくれているのはわかってます。わかってますよぉ。はよ寝かせなあかんのでしょ。で、一応考えて、夫婦で共有した結果、夫が何度も「寝ろ」とまくしたてるわけですよ。寝かしつけるためにご飯をせかしたり、入浴を促したり。入浴させるの私なの。夫は娘から拒否されてるから。寝かしつけるの私なの、同じく拒否ry

で、私は満足にご飯も食べ終わらぬうちに入浴を余儀なくされ(帰宅してから一人で子どもの相手しながら夕飯作って、なんなら子どもは作ったそばから食べてるからね。私座って10分よ。)その後も濡れ髪のまま歯磨きの時間ももらえないで食器洗いして子どもに薬飲ませろとか歯磨きさせろとか夫に指示して(急かしたくせになんで自分で思いつかへんねん)、また夫にせかされて無理やり入浴させられることになって涙目になっている長男をフォローして、へとへと?ボロボロ?あ、いかんまた怪物が来る。静まりたまえ~。この愚痴項目残すかどうかまた後で考えよう。公開後に消すかもしれない。今日はとりあえず細かく考えられないからそのままにする。

というわけで、仕事後ワンオペやったところを帰宅して何をするわけでもない人に横やりを入れられて自分のケアのための時間がないという最悪のコンディションで寝かしつけに入ったわけです。そこに来て長女が寝ない。たぶん、今日は少し調子が悪かった。上がったテンションが戻らずに横になれない、おしゃべりをやめられない、目を閉じられない。もう最悪。何度も「寝ます」「寝る時間です」「目を閉じて」「口も閉じて」「ママも寝ます。眠いからお話はできない。きけない」を繰り返したんだけどなかなか横になって目も口も閉じられなかった。とうとう母は声を荒げて注意したんだよね。寝かしつけを始めてから30分。そうするよう仕向けた夫は別室で一人で動画を見てのんびり過ごしている。帰宅してから自分のご飯を準備する以外何もしていないry(怪物よ、海の底にお帰り!)イライラが募る。私は自分のケアもできないまま濡れた髪で寒さを我慢しながら身動きができない。

でも、長女には悪意はない。ただ、止まらないだけ。上がってしまったテンションが下がらない。今日は夫に無理やり仕向けられたから私の状態も整ってないし、寝る前の絵本も読んであげていない。しかも私が寝室に行くのが遅れて長女は3分間の寂しい一人の時間を過ごした(3分って長いからね。ウルトラマンなら怪獣たおしちゃうからね)。だからクールダウンができていない。それだけだ。わかるんだけど、寝てもらわなきゃいけないし、これに付き合っていたらあと1時間でも2時間でもテンションは下がらないままだ。試してみたことがあるもの。ママ知ってる。それに自分を振り返ってもそうなることは容易に想像がつく。

きつく注意された長女はやっぱり気持ちの切り替えができなくて、大きな声をあげて泣き出した。なぜ怒られたかはわかっているけれどそれを止める術は彼女にはなかった。できないことを怒れたことは本当に悲しかっただろう。単純に怒られたことも悲しかっただろうし、切り替えができなかった自分を受け止めてもらえなかったことも辛いだろう。いつもだったら「ママもう嫌い」「遊んであげないから」と糾弾するけれど、それもない。ただただ悲しいんだろうな。体はもう疲れているはずだから本当は眠いはず。でも心がついていかない。わかる。わかるよ。覚えがあるよママには。でもごめんね。テンションが上がってしまったあなたにはもう穏やかな口調では届かない。声を荒げないとあなたには届かないよね。悲しませたいわけでも、泣かせたいわけでもないんだよ。でも、あなた自身では止められなくなっているから、母は外側からストップをかけるためにも声を荒げました。今はストップをかけることが大事だから。

わんわん泣く長女の顔に頬を寄せる。頭を撫でて、拒否するような反応がなかったのでぎゅっと抱き寄せる。悲しみの中にいるときに一人でいるのはもっと辛いから。泣くなと言われるのも辛いから。もちろん泣かないでほしいけど、人生において悲しいときはあるもんだよね。仕方ないじゃない。

悲しませたいわけでも泣かせたいわけでもなかったのだ、という言い訳は長女には伝わらないかもしれない。私が怒ったのは事実だ。長女の記憶には怒られたってのが強く残るかもしれない。それで恨まれたらそれはもう仕方のないことなのかもしれないね。昔の私ならその誤解を解きたくて仕方なかったと思う。けれど今は、人間皆が分かり合えるわけじゃないし、頭でわかったところで心が納得するわけではないということもわかってしまった。人間は難しい。人間が集まるともっと難しい。

長女を抱いてそんなことを思いながら、一方で私は「私も抱きしめられたかったな」と考えていた。目の前でグズグズしている長女は本当にグダグダで甘ったれだけど、こんなにドロドロに自分が解けて甘えられるっていいなと思った。機嫌のいい私だけでなく機嫌悪く崩れている私でもいいんだって思える時間ってすごくいいことなんじゃないかなって。私も悲しかったし、寂しかった。私はよく「もう怒られてないから泣き止め」って言われたな。でも悲しい気持ちはなくならないし、泣き止めないよね。泣き止まない私も受け止めてほしかったな。もう今私を抱きしめてくれる人なんていないから、私みたいに抱きしめてもらう人がいなくなる前に、この子のことはできる限り抱きしめたいな、「そのままでいいよ。機嫌が悪くても泣いていても、あなたのままでいいよ。そのままのあなたが好きよ」ってそのままでいいってことを伝えられたらいいな。

私はずっと人の話を聞く側の人間だった。そういえば。思い出した。中学生の時に仲良くしていた友人に「きりえ、みんなの話をずっときいてるよね。ストレスたまらない?」ときかれたことがある。なんかそんなんじゃだめだ、お前も吐き出せみたいなことを冗談めかして言われたような気もする。そうそうなんか同級生からも後輩からもよく相談を持ち掛けられては話をきく係だったんだよなぁ。

高校生になってからは夫がよく話を聞いてくれた。高校からの付き合いだなんて長いな。私は心の海の底に怪獣を飼いながらも、やっぱり夫と一緒にいるのはそういうことなんだよな。夫は酒も飲んでいないのにグダグダになって泣いてグズグズと管をまく私にじっと付き合ってくれた人の一人だ。

そうやって考えると、あれ?私ってそのあと大学にっても、卒後に仕事をした時もたくさんじゃないけど一緒に飲んで管をまいてくれる人がいたんじゃない?今だって、もちろん抱きしめてはくれないけれど、仕事でやらかして文字通り涙目で仕事していた私を先輩も上司もすごくすごく気遣ってくれたじゃないか(四十路女が人前で涙目ってそうとうやばい光景だったと思う)。だから私はもう休職しようと思っていたけれど、あれから予定外の休みは1日しかとっていない。

あれ、私なんか恵まれてない??仕事が終わってワンオペタイムでもSNSには戦友がたくさんいる。オンタイムでのやり取りはできなくても、後からそっといいねをくれる人がいる。そういう人に私の生活は支えられている。そしてたまにはそういう戦友たちの言葉に私もいいねを送ったり、「大変だったね、お疲れさまだよ」とリプライをつけたりする。

支えらえるだけでなく、相手のことを気にしたりする時間もとても大事だなと感覚的に思っている。うまく説明できるかな。誤解を恐れずに言うと、「ケアする」という行為によって癒されるとでも言いましょうか。なんか言葉にするとやばそうな感じだな。でも、子育てをしてからさらにそのやばそうな感じは実感としてあると言いましょうか。

私は単純に人の話を聞くのが好きだっていうのもあるのだけど。愚痴でも、好きなことの話でも、コイバナでも話は面白いし、話すときのその人の表情が生き生きとして来たり、変わる瞬間が好きだ。その人の話の中にはその人の人生が詰まっている。その今までの積み重ねの上でのこの話なんやなと思えるところが好きで。

だけど、自分が好きなことをしているってだけでなく、ケアするとか話を聞くとか、その人の存在を受け止める?そのままでいいよって伝えることで自分も救われるような感覚が最近特に強い。言葉が反射して返ってくるのか、それとも本当は自分に言ってほしい言葉を相手に投げかけているだけなのか。でも慎重にちゃんと考えておかないとそれは、ケアしているように見せかけて自分のケアのために相手を利用していることにも見えるよね。気をつけなきゃいけない。何をどう気を付けたらいいのかわからないけど。でも多分、自分の行いを振り返っていくしかないんだろうな。あと人の助言とかをちゃんと聞くこと。

なんか余談も過分にあった気がするけど(気がするじゃねぇ。あったんだよ)、一通りかけた気がする。タイトルからしてまとまってなさそうなスタートだったけど、これって明日の朝に読んだら自分が恥ずかしすぎて死んでしまわないかな。それが今一番心配。(もっと心配することある気がするけど。長男の宿題たぶん1個忘れてるとか思い出しちゃったし。やだもう忘れたい)だけど、自分はどんなに恥ずかしがってても世界は回るし、日々は進んでいくし、周りはほんとは私のことなんか見てない。そういうもんだよね。だからこそ、自分だけは自分のことくらい見ておかないといけないな。今日も頑張ったね私。優しい人に恵まれててよかったね。それに、そういう助けてくれる人達だけじゃない。私は毎日、長女と長男に抱きしめてもらっている。頭をなでなでだってしてもらってる。彼女らを抱きしめてるときは実は私も抱きしめられている。あと何年できるかわからないけど、なんかこんなキラキラした言葉で表現するのは恥ずかしいけど、やっぱり今のこの生活は「宝物の日々」だ。

子ども服やポケモン・プリキュアの食玩を買います。あと、ねるねるねるね。