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いつまでも抱きしめていたいけど

育てる能力もないのに、産んでしまった。
取り返しのつかない事をした。
これから一生背負っていかなきゃいけない。私の罪だ。地獄だ。力のない私も、こんな私のもとに生まれたこの子も。
そう思いながらベビーカーを押していた産後2ヶ月の私。
あれから気がつけば11年経とうとしている。

子どもが幼い時は早く大きくなって欲しかった。乳児の時は幼児を見ては羨ましがり、本当にそこまで辿り着けるのか想像がつかなかった。
幼児になっても母親としての自信はなく、というか、その前に常にキャパオーバーの毎日に溺れそうになりながらただもがいていただけのような気がする。
「子どもが小学生になったら手がかからなくなるから楽になるって職場の人が言ってたよ。だから待ちなよ」と言ってた夫。その人連れてきて、全然楽になんてならないんだけど?誰そいつ??むしろ宿題とか持ち物とかフォローすること増えてるんだけど。やっぱり余裕なんてない。
ねぇ、正解もわからない。そんなものないんだろうけど。でも知りたいやん?私がやってること、本当にこれで大丈夫?大正解じゃなくていい。とんでもない間違いじゃないかくらいは知りたい。助けてほしい。悩み続けるのに疲れた。けれど、私は罪人だから…という意識はどこか消えない。

本当は罪なんかじゃない、そんな言い方こそ子どもに失礼だとは思ってる。けれど、やはりあのベビーカーを押しながら、春の強い風に吹かれて絶望に打ちひしがれた感覚は抜けない。辛かった。慣れない事ばかりで、うまくできなくて、助けてくれる人が誰かわからなくて。腱鞘炎だったし。
助けて欲しかった。この苦しさを分かち合いたかった。初産の産後2ヶ月だもんね。辛かったよね。私、あんな精神状態でよくやったな。

あんなに早く大きくなって欲しかったのに、思春期にさしかかる息子を前にとても寂しくなっている。息子はまだ甘えたなところも残ってて、とても可愛い。自分の気持ちの出し方や友達や人との距離感が掴めず、彼なりに悩んでいる。それでも、少ないながらも友達と呼べる人がいて、年始には数年ぶりに新しい「友達」の名前を聞いて、舞い上がった私。
ぎゅっと抱きしめて離さないでいたい。その方が守ってあげられる。今更だけど、ぎゅーさせてくれるってなんて幸せなんだろう。ひっついて転がって遊べることなんてこれからはないんだな。もう違うよね。そんなことしない。

そんな息子、なぜか夜1人では眠れず、私と年長娘の寝室で眠っている。何度か分離を試みたけどコロナ罹患以降、全くうまくいかず、結局まだ3人川の字で寝ている。これは正解なのか…?少なくとも間違いではないのか…??わからない。いつまでやればいいのか。本人が納得するまで?それっていつ??
正解がないのはわかってる。わかってはいるんだ。けど、不安なの。この不安の行先はどうしたらいのかな。

ずっと続くんだろうなと思う。
中学生になっても、高校生になっても、成人しても、自立しつつ働いても…。でも、子どもは子どものペースで育ってゆくから、あまりできることはなくなってくるんだろうな。私の不安は私のもの。私が向き合って、なんとかしないといけない。子どもの不安は子どものもの。だけど、いつでも応援してるし、いつだって力になろうと思っている。罪だと感じていたものは覚悟のようなものに変わりつつある。私は罪人ではないし、ここは地獄ではない。ただ、毎日が続いていくのだ。

子ども服やポケモン・プリキュアの食玩を買います。あと、ねるねるねるね。