円い光


青子は光っていた。
青子は、祖父と二人で暮らしていた。青子が生まれてしばらくして彼女の両親は借金と彼女を残して失踪し、祖父母が彼女を引き取ったのだが、数年前に祖母は無慈悲な死を迎え、彼女ら二人が取り残されたのだった。両親の借金のせいで、二人はつらく苦しい生活を強いられていた。貧しくて惨めな生活だった。
青子が光っていると気づいたのは祖父だった。その年は「心の闇」という新しい原因不明の病が流行っていた。治療法は発見されておらず多くの人々が苦しんでいた。患者の多くは主に中年から高年の独身男性で、祖父も罹ったのだった。青子が光っている、とわかるのはこの「心の闇」の罹患者のみで、祖父が最初にそれに気づいたのだが、それと同時にその光は病に対して効力を持つ、少なくとも光を一定時間浴びることで症状が軽減されることもわかった。祖父は青子の光のおかげで完治した。十七歳の青子にとってはわけのわからないことであったが、あることを思いついた。
『光を売って借金を返せばいい』

とにかく、お金が要る。彼女は高校一年の時、放課後にレストランでアルバイトをしていた。時給千円の奴隷、とてもではないが借金の足しになどならなかった。バイトが終わり、家に帰るとどっと疲労と虚無感が押し寄せ、眠れずにそのまま朝を迎える。働けど、借金は減らない。結果、彼女の学校の成績はガタ落ちした。このままでは、と思い彼女はバイトをやめた。少なくとも、これからはこれまでの十倍の効率で稼ぐ必要がある。それも、もっと楽に稼げることが望ましい。自分の祖父のような病に苦しむ人を救い、その上金が稼げればこれ以上のことはないだろう。彼女はとりあえず「心の闇」の患者を探しに、近くの病院へ向かうことにした。

一番初めの患者は石作という三十代の男だった。すらっとしていて真面目そうで、眼鏡をかけていた。医師から「治らない病」と診断され憔悴しきって項垂れて病院から出てくる彼を青子が捕まえた。
「心の闇、私が治しましょうか」
いつもであれば、このような見知らぬ他人、それも若い女からの怪しげな声かけは何かがおかしいと思うはずだ。しかしながら彼はその声かけに応答した。治らない流行病に罹りすべての希望を失った男は藁にもすがる思いでいた。まともに考えることができないほど放心していたのだ。
治療は、狭くて暗い密室で行われた。暗いところでないと患者は青子が光っているかどうかわからなかったし、できるだけ光を効率よく浴びるために反射するように狭い部屋である必要があったからだ。
狭くて暗い部屋で彼女は初めて光を売った。二時間光を浴びせて二万円、彼女は自分の光の価値をわかっていなかった。男からすれば二万円と数千円の部屋代で原因不明の病が治るのだから安いものだ。

次の日、青子の携帯電話に石作から連絡があった。
「同僚の倉持と阿倍も治してほしい」
青子は了承した。初めての交渉がうまくいったので彼女は完全に浮かれていた。多額の借金もすぐに返せると思うほどだった。

倉持は石作と同じく三十代で、小太りで短髪の強面の男だった。石作の話によると、彼は石作よりも症状が重く、多めに光を浴びる必要があるらしかった。阿倍は二十代後半で、中肉中背のセンター分けの青年だった。駅で三人は待ち合わせをしたが、青子は少し恐怖を感じていた。複数人に同時に光を浴びせることができるかどうかわからなかった。それまでは光を浴びせるということは一対一の、二人きりの、当人たちのみの秘匿なものであったはずだ。昨日と同じく近くの部屋に行き光を浴びせる時になって、倉持は、値切りの交渉を始めた。
「家族を養っているからそんなには払えない」
「二人同時だから安くしてくれ」
「おれは症状が重いから時間を長くしてくれ」
青子は戸惑った。光を売っているのは青子だけで、相場も知らなければ値切られたときの対処法も知らなかった。仕方がなく渋々青子は了承した。

青子の光は弱まっていた。確実に効果はあったが、弱まっていることは青子自身が強く感じていた。光は彼女の精神と密接に関係していた。彼女の動揺は光にも表れていた。前回よりも長い光の治療が終わった後、青子は虚脱感に襲われていた。そんな彼女に阿倍が話しかけた。
「結婚を前提に付き合ってくれませんか」
突然原因不明の病に苦しまされ、また突然目の前に謎の光る少女が現れ、それを治した。阿倍からしてみれば、これは運命、奇跡のようなものであった。数ヶ月前に恋人に振られ、落ち込んでいるところに原因不明の病が追い討ちをかけた。絶望だった。しかし状況は逆転した。神が我々をこのように出会わせた。すべてはこの日彼女に出会うためにあった。これまでのすべては前座で、前振りで、この瞬間のために存在した。そうとまで思えた。しかし、青子からすれば恐怖である。初めて複数に光を、それも長時間に渡って浴びせ、値切られ、彼女は身も心も疲弊していた。彼女は男二人を置いて急いで部屋を飛び出した。

二回自分の身体から発する光を売って五万円。はじめは一人に対して、二回目は二人同時に。十七歳の彼女は大人の平均年収も、一万円の価値も、自分の光の価値も何一つわかっていなかった。目の前にある借金を返すため、自分に甘い祖父を喜ばせるため光を売った。光を売ることは苦痛でもなんでもなかった。でもなぜか、彼女は悲しくなった。悲しくなんかないはずだった。
「時間はあらゆる哀しみを癒してくれる」
大友がよくそう言っていたのを青子は思い出した。大友は青子の同級生で、少しでも容貌が美しいという女性の噂を聞いては誰にでも手を出すような男だった。
青子は大友のことが嫌いだった。彼女は強く反論した。
「時間が哀しみを癒してくれるのはあなたが猿だからよ。何も考えず、目先の欲望のことしか考えない畜生だからよ」
その、大友に対して自分が言った言葉を思い出して、青子はさらに惨めな気持ちになった。畜生は自分だ。目先の金のことだけを考えて光を売った自分だ。

数日経って、磯上という知らない男から連絡があった。どうやら彼女の光が「心の闇」に効くことと彼女の連絡先は石作、倉持、阿倍から不特定多数に広まっているようだった。青子は磯上の頼みを断った。光を売ることについては少し考え直す時間が欲しかったからだ。それは当然ながら磯上にとっては不都合なことだった。磯上は逆上した。
「さもなくば、おまえのことを全国にばらす」
「心の闇」は未だ全国で流行しており、治療法が見つかっていなかった。不安は焦燥へ、怒りへと変わっていく。行き過ぎたサービス産業に慣れきった人間たちは自己中心的で、他人のことなど考えることは不可能なのだ。十七歳の少女に対しても病院と同じものを求める磯上のように。
青子はどうしてよいかわからなかった。誰にも相談できなかった。携帯電話越しの見知らぬ男は数日以内に彼女の家に押しかけると言っている。

その日は、日が暮れても明るかった。青子は光っていた。誰にでもわかるくらいに円く光に包まれていた。彼女のこの世のものとは思えないような美しい光は、家中を照らし、家の中には暗い場所はなくすべて光に満ち満ちていた。光に照らされた祖父の持病や老年の身体機能の低下はすべて消え、彼は少し若返ったような気がしていた。
「アオ、アオ、どこにいる」
彼は青子を呼んだが、返事はなかった。
やがて彼女の円い光は家をはみ出し目にも止まらぬ速さで大きくなり始めた。祖父の視界は真っ白で何も見えなかった。事実、青子を中心として世界は終わり始めていた。彼女の光は板橋区蓮沼町を出発し地球全体を飲み込んだ。
「私は消えるために生まれました」
青子はそう言って光と世界とともに消えた。

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