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今回の私たちの不妊治療の流れ

そもそも、子どもがどうしてもほしいかどうか夫婦二人してハッキリわからないところからスタート。
もし授かるなら年齢的にももうギリギリだし、
検査して、授かれないような状況なら、夫婦二人の将来をスッキリ選べるのではないかと思って検査に望んだ。

壮絶な体験談をもつ周りの人たちのことも見ていたけど、もう無理、って思うまではやってみようかなと二人で決めて進んだ。


2019年2月~4月

病院①私の卵管が詰まっていることが判明

職場と自宅から近い病院を選択。
この病院では検査までしかできないと言われ、思うところあるかもしれないが、年齢のこともあるし時間は大切にしたほうがいい、体外受精を選択したほうが早く幸せになれるよ、とおすすめされる。

2019年4月~8月

病院②夫の精子の動きと数に問題があることが判明​

地元県内で一番といわれる、自宅から遠めの病院に行ったつもりが、ここでは結局時間を浪費してしまったという腹立たしい幕引きだった。
私のほうの不妊の原因は判明しているから、夫を調べてほしいと言ったが、「男性は後」と言われ、また私の検査を一から始めることになってしまった。体外受精希望だったが、タイミングから試しましょうと言われ、長引くことに。
後回しにされた夫の検査の結果が出るや否や「うちでは対応できません」と言われ、夫の主治医に紹介状を書いてもらい、自宅から近い、大きな病院にかかることに。

2019年9月~

病院③思ったよりびっくりするほどすんなり事が運ぶ

夫の主治医からの紹介状がなかなかの威力を発揮したようで、
「IVFセンター」の先生は「待っていましたよ」と言わんばかりだった。今までが全く進んでいる感じがしなかったので、先生の「いつ体外受精スタートしますか」のウェルカムな言葉にちょっとひるんだ。

点鼻薬→採卵→受精卵にする→一つを子宮に戻す、残りを凍結胚にする
→定期的に内診をして様子をみる→IVFセンター卒業→7月に第1子誕生


二人目に挑戦
基礎体温表を持ってIVFセンターへ。

一つを解凍するが動きがなかったため、もう一つ解凍し子宮に戻す→育たず失敗

一つ解凍し、動きがあったので子宮に戻す→無事に育ち始め、観察ののち3月にIVFセンター卒業→9月に第2子誕生


残りの凍結胚1つを廃棄依頼





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