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維月 楓|反射しあうビリティスの娘たちへ

維月 楓|直線の鏡
記念コフレ『菫色の小部屋〜終幕のネセセール』
(2023)収録

直線の鏡

菫色に黄昏るビルディングの房室。揃いのネクタイの
結び目を風に揺らし、ひとところに群衆。気怠げな集まり。
ガラスに息を吐く口唇から、煙が側面を混ぜては消え行き、
蓄積する鬱憤。鸚鵡と舞踏と、安い酒場に折り重なる
ポリエステルの身体たち。人形遣いにお暇を。汚れた鎖から
汗が滴っている。膏はスパークリングの泡沫に流された。
ひとりは視線を打つ。壁際の花が描いている無垢な宙へと。
指揮者の奏でるなだらかな丘で 休止する鼻腔。
交わることは、ひとつの楔だ。嗚呼、そうすれば
ひとっとびに 次の頁へと繰り出す 人差し指の爪の先。
その隙間に緑の光粒が据えられていた。走り過ぎる紙片
不在の瓶を打ち捨てよ。眼球の縁飾りを開くよりも前に、
私の指には一本の傷跡がある。切り口を裏返したならば、
私の身体が直線の鏡となって、”あなた“が降ってくる。

 霧とリボンと私を結びつけたのは「ビリティスの娘」だった。フェミニズムの過剰の美学と透き通ったエレガンスの部屋を携えて、『若草物語』のジョーとベスを行ったり来たりしながら、新幹線で首都へ向かい虚空の街を歩きながら見つけた。人生の新たな扉が開く瞬間は不意に現れる。約束が果たされるまで鈍い幕をいくつも開ける。最初はそれとは分からない横雲に触れるとだんだんと目が眩んでくる。サッフォーの手招き。霧の中にたなびくリボン。灰色なのは曇天だったか、それとも指に結ばれたリボンだったか。

訳と文|維月 楓
新訳付作品集『Emily’s Herbarium』
絵|金田アツ子 布花|Belle des Poupee
(2020年・霧とリボン発行)
同前
同前

 霧とリボンは、今まで秘めていた思いを形にできる場所。心ゆくまで耽溺できる場所。作家にとっても、サロンを訪れる人にとっても、みな同じ魂を持った者として歓迎される。

訳|維月 楓
ポプリ|Du Vert au Violet
ヴァージニア・ウルフ「青色と緑色」
(2021年・霧とリボン企画)
訳|維月 楓
ポプリ|Du Vert au Violet
ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』
(2021年・霧とリボン企画)

 そんな場所にたどり着いた私は、オンライン上に存在する架空のモーヴ街3番地の司書として、詩作を軸とした創作と思想を編み上げる活動を続けている。女性やクィアな詩人の作品を読もうと思えば、その詩人の人生について考えることは避けて通れない。例えばモーヴ街のイベントで最初に訳出したエミリー・ディキンソンの詩を思い起こせば、彼女の詩は生前に出版されることは数回しかなかった。それもディキンソン独自の詩の形式を修正される形でしか。そして、毎日の生活を繰り返すなかで詩を書き続けた。世界の中でどのような位置を与えられていたかを空洞化することはできない。

訳|維月 楓
ポプリ|Du Vert au Violet
エミリー・ディキンソン「F203」
(2021年・霧とリボン企画)
訳|維月 楓
ポプリ|Du Vert au Violet
アーサー・コナン・ドイル「ボヘミアの醜聞」
(2021年・霧とリボン企画)

 そして作品を読むとき、私たちは自身の生について思いを馳せる。無意識に、または強い希求をしながら、あったかもしれない時間について、どこか異なる場所の可能性について。だから私は、誰にも読まれなかった作品を読む。誰にも見られなかった映画を観る。そうして忘れられたかもしれない人生に敬愛を捧げながら、私自身もまだ見ぬ新しい生を描いていく。アブサンの緑酒のようにすべての境界を破壊する貪欲さで、モーヴ色が奏でるアナクロニズムの魅惑に時に溺れながら。わたしはあなたのビリティスになりたい。いや、もうわたしはあなたのビリティスなのだ。菫色の小部屋がなくなった後にも、輝きを発散させる一角獣となって菫色の同盟を残していく。

維月 楓|Toropica Utopia
『ネセセール・ヴワヤジュール vol.1〜マリアンヌ・ノース』
収録(2023年・霧とリボン企画)
同前

維月 楓|詩人・研究者・翻訳家 →X
幼少期より言葉が織りなす世界に魅了され、現在は詩作を行いながら研究活動を行う。古今東西の女性・クィアの作品を読み解くことを通して、新たな生の軌跡を思想している。霧とリボンでは、エミリー・ディキンソン、ヴァージニア・ウルフの翻訳、詩作品「Tropica Utopia」「直線の鏡」などを手掛ける。

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