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境界線 第三話

【これまでのストーリー】

 吸血鬼は理性を取り戻したのか、もみじに語りかけた。発見時の獰猛さが嘘みたいに消えている。しかし、白濁した目からは冷たさしか感じられない。もみじは魔導書を開き直して、警戒を続けた。
「起き上がって来たと思えば今度は何!? さっきかけた封印術、結構強力だったのに!!」
「封印? 何の話だ」
「とぼけないでよ! お高そうな家だから狙ったんだろうけど、そこを"退治屋"に見られたが運の尽きだって言ってんの!」
「"退治屋"…あぁ、お前がそうだったのか。てっきりあいつが連れてきた"獲物"だと思ったよ」
 ムカつく。もみじが抱いた第二印象は"皮肉屋"だった。正気を無くした眉なしの瞳に見下げられ、挙句の果てに皮肉を言われるとは思わなかった。
 吸血鬼はなおも続ける。
「大した実力もないくせに、やれ"退治"だの、やれ"化物"だの言いやがって。しかも"退治屋"が小生意気なガキとは、そりゃああんなタンカが切れるわけだ。―お前、そこから出られないんだろ?」
「何で知ってるの!?」
「ドアを叩いたりこじ開けたりしてたろ。それで目が覚めた」
 もみじがドアに走った時、その反動でペンタクルの位置がずれた。この時点で吸血鬼は意識を取り戻してはいない。しかし、もみじが激しくドアノックをした衝撃で、ペンタクルは吸血鬼の額から剥がれ落ちてしまった。そこから吸血鬼は意識を取り戻し、見ず知らずの少女がドアに向かって助けを乞うていた、という有様だった。
「残念だったな、化物退治できなくて」
 吸血鬼が煽るように笑い出すと、もみじはバックパックから消臭スプレーを取り出して吸血鬼の顔に振りかけた。吸血鬼はその場に倒れ込み、苦悶した。
「悪かったね、中途半端な"退治屋"で」
 再びもみじが彼の顔を目掛けてスプレーを噴射すると、吸血鬼はもみじの腹を蹴飛ばした。もみじもまたその場に倒れ込み、魔導書の中身を読み始めた。スプレーを浴びた吸血鬼の頬の皮膚は少しだけヒビが入っていた。先程の攻撃が効いたのか、自分でかなぐり捨てたのかは分からないが、理性は既に失われていた。
 吸血鬼は尻もちを付いているもみじ目掛けて、大きな口でその首を噛み砕こうとした。若い女の血肉は自らの血肉となる。矮小な力で出し抜こうとした小娘クソガキに思い知らせてやる―食事も兼ねて、吸血鬼はもみじの腕を思い切り引っ張った。顔との距離が近くなる。吸血鬼はもみじの肩に爪を立てた。長く鋭い爪が肩の肉に食い込む。
「痛いっ!!」
 もみじはしきりにスプレーを捲いた。今度は吸血鬼の足に付く。吸血鬼は素足だったため、スプレーがかかった箇所が炎症を起こし始めた。

「何すんのよ(しやがる)!!!」

 二人の感情が地下室内に響き渡った。蹴られた衝撃で、もみじの口の中は唾液でいっぱいになったがすぐに飲み込んだ。しかし、体液が逆上してきてそこはかとない気持ち悪さが残っている。今すぐにでも水が飲みたかったが、化物が目の前にいる以上、スキを見せるわけにもいかなかった。
 満身創痍なのは吸血鬼も同じだった。灼かれるような皮膚の痛みに加え、裂傷を感じさせる痛さが全身を襲う。スプレーに当たった箇所の痛みは、粘膜や筋肉、さらには骨にも達していた。
「そのスプレー、あれだろ…"銀"、だよな…?」
 吸血鬼の問いかけに対し、もみじは実物を顔の真ん前に出した。噴射口の上には三角眼鏡をかけた白髪の老婦人が微笑んでいる。テレビのCMでよく見かけた、◯×判定するベテラン研究員だ。
「銀イオンスプレー。あんたの言う通り、本来は体臭ケアに使われるものです。でもこれ、誰でも化物を撃退できる代物でもあるんですよ」
 もみじはスプレーをバックパックの中にしまって、説明を続けた。
「世の中ってすごいですよね。ドラッグストアに行けばこういう対策グッズが普通に売られているんですもんね」
 魔導書のそでから再びペンタクルを取り出して、吸血鬼の両手足に貼り付ける。このように施すことで、化物の身動きを封じることができる。もみじはこの事態を利用して、吸血鬼に事情聴取することにした。

「あの…退治する前にいくつか聞いてもいいかな…?」
「…今度は警察ごっこか?」
「うるさいな、こっちも聞きたいことがあんの。いいから答えてよ」
「どこまでもガキだな…」
 その言葉、後で覚えてろよ…と、もみじは思った。口を開けば皮肉と煽りしか出てこない吸血鬼相手に言ってもいいかなとも思ったが、言葉を喉元にグッと飲み込んだ。
 何を質問しようか…いろいろと聞きたいことはあるが、実際やるとなるとどのように対応して良いか全く分からない。ひとまず、吸血鬼の名前を聞くことから始めることにした。地下室全体に結界を張るために、魔導書からメモ用紙を一枚取り出し、結界の術式を書いた。

「名前は?」
「お前から名乗れ」
「事情聴取だって言ってんじゃん、名乗ってよ」
「拒否だけでイライラしてんなよ、落ち着けって。今の俺は、ヒトの血を吸おうとは思ってない。むしろ助けてくれないか?」
「助ける!? さっきあたしの首を噛もうとしたくせによく言う!! それに『三大欲求の食欲を捨ててます』的なことを言っても、どうせ欲には勝てないでしょ!!」
「次から次へとギャーギャー言う嬢ちゃんだな…じゃあそのうちの一つが欠落してそうなお前に聞くが、ちゃんと名を名乗ってもらおうか」
 吸血鬼の皮肉が止まる気配がなかったので、もみじは致し方なく自己紹介した。
「桐山もみじ。S大学心理学部一年。実家は"退治屋"家業をしています…これで満足?」
「まぁまぁだな。そうさな…"マキビ"でいい」
 マキビは収納ボックスに腰掛けた。若干ニヤついた表情で見つめてくるのがもみじの癇に障る。気を取り直して、事情聴取を続けた。

「あんた何者?」
「見ての通りさ」
「この家に来た目的は?」
「さぁな」
「いつからいたの?」
「こっちが聞きたい」
「どうして地下室に?」
「知るか」
「住人と面識は?」
「それはそいつらに聞いたほうがいいんじゃないか?」
「何よそれ」
「良いから続けろよ」
「…なんで住人を襲わなかったの?」
「さっきも言ったろ。あのメガネ、見かけによらず結構したたかな奴でな。閉じ込められたところを見ると…お前、あいつの掌の上で踊らされてるぞ」
「踊らされてる? 一体何を言って…」

 もみじが異議を唱えようとした矢先、地下室のドアがガチャリと開いた。
「桐山さん…」
 隙間から丸メガネが覗き込んできた。
「こんな真似をしてしまい、申し訳ありません。あの…退治はできましたでしょうか…?」
 自分を閉じ込めた丸メガネへの怒りがもみじの全身を蹂躙する。今にも爆発しそうだったが、それは外に出てからにしようと決めた。
「丸メガネさん、その件について中間報告をしたいです。一度、ここから出てもいいですか?」
「退治できたんですね?」
「そこも合わせてお話します。ドアはそのままにしておいてください。自分で開けますから」
 もみじはそう言うと、再びメモ用紙に結界の術式を書いて、ビリビリと細かく破いた。それをマキビが座っている収納ボックスの周りに囲む。念には念を入れて、魔導書の結界術も詠唱した。マキビが地下室から出ないように―丸メガネたちを襲わせないようにするための措置でもあった。
「そこ、動かないでね」
 マキビにそう告げると、もみじは一旦地下室を出た。

【これからのストーリー】


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