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境界線 第七話

【これまでのストーリー】

「どうした…どうしたよ…」
 魔導書を持つ手が震えている。今この時、マキビ以外で"化物特有の殺気"は全く感じていなかった。しかし、地下室で感じた"殺気"は紛れもなく陽芽のものだと確信もしていた。何故なら、"人間としての陽芽"の気配を読み取れなかった―即ち、"人間の匂い"が今の陽芽になかったからだった。そのせいでもみじは陽芽が紅茶を出してくれるまで、"人間が二人いる"ことに気付かなかったのだ。そしてそれは、マキビにも"別の意味"で当てはまった。
 "化物"となっても、陽芽の顔に感情はなく、ただそこにある父親の身体を貪り喰っていた。そこにある食欲だけが原動力となり、人肉を喰らう死者そのもの―学校で教わった"人ならざる者"が目の前にいた。この状態では、離れて退治することは難しい。"完全な退治"をするには、至近距離で魔導書を読み上げる他なかった。そのためには、陽芽の動きを封じなければならない。
 もみじは陽芽の身体にペンタクルを貼って意識を失くそうと試みることにした。幸か不幸か、陽芽は今"食事"に夢中になっている。しかし、真正面に近づくことは危険だ。仮に近づくことができても、食物としてこの身を化物に捧げてしまうのは簡単に想像が着いた。

「予想以上だな…」
 マキビは変わり果てた陽芽を見て独り言を呟いた。"延命"の先に待ち受けていた成れの果てだとしても、マキビにはそれが活き活きとしているように見受けられた。何なら、欲求を満たそうとしているその姿が美しいと思えるほどだ。
 父親の血肉はどんな味がしたのだろうか、骨の髄までしゃぶり着いた先には何を求めだすのだろうか―マキビは陽芽の喰いっぷりを見ながら様々な興味関心が湧き出た。そして彼もまた、"化物"の本能が騒ぎ始める。
 "化物"の血肉を、この舌で味わってみたい―と。

 もみじは、なんとか陽芽の背中にたどり着きたいと考えた。部屋の角を伝って向かうことまでは思いついたが、問題は物音を立てずに進むかだった。化物が興奮していると感覚過敏に陥ってしまっていることが大半だ。呼吸ひとつにとっても、完全に息を止めて進まないとすぐに見つかってしまう。自分自身に結界を張りたいが、移動しながらでの結界発動は不可能だ。
 いろいろと考え抜いた末、もみじはシンプルな答えに達した。不本意だが、吸血鬼マキビの力を借りて陽芽の動きを封じる。目には目を、歯には歯を、化物には化物を―"退治屋"の矜持もへったくれもない選択だったが、依頼された仕事は責任を持って最後までやり遂げたかった。

 もみじはマキビに言った。

「今からあたしは"退治屋"のプライドを捨てます。そうしないと、退治することができません」

 マキビはもみじに言った。

「お前の力じゃアレは倒せないと思ったよ。かくいう俺も、ちょっとばかし気にはなってたんだ」

 二人は一斉に、それぞれの本題を口にした。

「あなたの力が必要です。手を組みませんか」
「お前の力が必要だ。ひとつ手を組まないか」

 こうして、"退治屋"もみじと"吸血鬼"マキビは、呉越同舟に踏み切った。

「で? アレを退治したいんだろ?」
「そう…陽芽ちゃんをなんとかするには至近距離で封印術を発動しなきゃいけない。ただそうするためには陽芽ちゃんの動きを止めなきゃいけない―あたしひとりでやろうと何度も思ったけど、どう見積もっても死んじゃうんだよね」
「"退治屋"のプライドを捨てた、っていうのはそういうことなんだな。あると思わなかったが」
「うるさいな、だから"手を組む"って言ったじゃんか」
「…それもそうだな」

 陽芽の視界は、もみじとマキビを映した。"生きた肉"を感知した陽芽は、本能に従ってもみじに襲いかかってきた。
「術の準備するから、陽芽ちゃんの相手お願い!」
 陽芽を見るや否やもみじはすぐにリビングの照明を点けた。スイッチを押した瞬間、猛スピードで室内の電気を点けて回る。キッチン、浴室、玄関、トイレ―きらびやかな照明がもみじによってひとつひとつ白く照らされていく。もみじは一階の照明は全て点け終えると、すぐに二階へと急いだ。

 マキビはいつになく喜んでいた。血肉を求めてなお喰らい足りない"同類"を見て、こんなにも身体がゾクゾクするのは久し振りだった。ここまで昂ぶったのは今の身体になった直後以来かもしれない。
 正直、あの"退治屋"には驚かされた。"過去の出来事"をシンクロさせて脳内にフラッシュバックさせる業は並大抵のことではない。人間の陰に隠れて生きなければならない故に、魔導書使いの存在自体は知っていたが、インチキの類だとばかり思っていた。それもまた、マキビにとっては貴重な経験となった。
 目の前の同類は顔色ひとつ変えずにただマキビを求めてゆっくり歩いて来る。口元から出る血と涎がポタポタと床に落ちる。陽芽は声にならない声を出してマキビの身に乗り出した。
(ようやく尻尾出しやがったか…!!)
 マキビはニヤリと笑みを浮かべて、陽芽の肩を噛み始めた。牙と爪は、いつになく長く尖っていた。

「あの、"脅威生物駆除者"の桐山ですけど…特Aレベルの"脅威生物"を確認したので至急来てもらえますか? 襲われた人もいるので救急車もお願いしたいです。場所は…」
 もみじは二階の照明を点けて回りながら警察に応援を要請した。"脅威生物駆除者"は退治した化物の身をその場で処理することはできない。あくまで"駆除"するだけの資格だ。それに加え、凶暴性の高い化物は人間一人だけで退治することは至難の業でもある。今は"大人しい"部類に入るマキビの手助けがあるものの、これをたったひとりで退治するのは骨が折れる。まして、発動するまでの時間が長すぎる。銀スプレーで物理的に弱らせても、陽芽をさらに暴れさせるだけだ。
「他に化物はいるかって? いるっちゃいますけど、それに関しては特Aを退治してからやろうかなって思ってます。意外と大人し…」
「邪魔だ、そこをどけ!!!」
 いきなりマキビがもみじの身体を蹴飛ばした。その反動で、もみじは後ろに倒れ転がった。階段を見ると、陽芽が喉元が潰れたようなかすれ声を上げながら、二階に上がりこんで来た。
「ア”ァ”ッ………!!!」
「陽芽ちゃんやめてよ!!!」
 もみじは陽芽の腹を蹴って一定の間隔を取った。その反動で、手からスマホが落ちてしまった。陽芽は気を止めずにスマホを踏みつけてもみじに近寄った。
 今度こそ、本当にやばい。もみじは魔導書のページを開いて詠唱を始めた。生きるために、後ろに下がって距離を取りながら、マントラを唱え続ける。それに反応したように、マキビが陽芽の身体に馬乗りになって、陽芽の喉元を噛みちぎった。負けじと陽芽もマキビの右肩の肉に喰らい付く。化物の赤黒く濁った血が廊下を伝って階段へと流れた。
 そのスキに、もみじは残りの照明を点けまくった。残すは陽芽の部屋のみとなり、もみじは間髪入れずに部屋に入った。
 光を遮った陽芽の部屋は地下室よりも陰気臭く、廊下よりもかなり血腥く感じる。机の上にある菓子箱を覗いてみると、あれだけびっしり入っていたタブレットがひとつも入っていなかった。
 さっき入った時は何も感じなかったのに、今はいるだけでもしんどい―マイナスな気を振り切る勢いでもみじはカーテンを勢いよく開けた。その刹那、陽芽が物凄いスピードでもみじの両肩を掴んだ。掴まれた反動で、今度は魔導書を床に落とす。至近距離ではあったが、肉を掴もうとする陽芽の握力に圧倒され、引き剥がすことができない。
 もみじは片手で魔導書を拾おうと手を伸ばしたが、陽芽の容赦ない襲撃でバックパックを盾にしなければならなかった。少しでもダメージを減らすために、バックパックのひもを両手に持ち、身構える。陽芽はバックパックを縦横無尽に攻撃し、もみじを襲い続けた。
 いきなり、血まみれの手が陽芽の肩を乱暴に掴んだ。長い爪が陽芽の肩を食い込み、そのまま切り裂いた。陽芽はもみじの身から離れた。その後ろには、全身噛み傷だらけのマキビが床を這っていた。両足の出血が酷く、立つこともできないのだろう。マキビはそのまま陽芽の血を吸い出した。陽芽は声にならない叫びでジタバタと暴れている。
 自由に身動きが取れるようになったもみじは魔導書を拾った。退治処置に移る前に、落としたスマホを回収するために廊下を出た。スマホもまた血だらけになっていたが、動作は通常だった。

 陽芽の部屋に戻ると、何故かマキビの姿がない。しかし今は陽芽の退治処置が先である。警察にも話したが、マキビは後で退治しようと決めていたため、もみじは特段気にせずに魔導書のページを開いた。
 手をかざす代わりに、もみじはスマホの画面を陽芽に見せた。そこには、陽芽が大好きだと言っていたキャラクターのLINEスタンプが表示されている。

 もみじは先程と変わらずに、陽芽に話しかけた。

「陽芽ちゃん…気付かなくてごめんね。あたし、陽芽ちゃんが"化物"になっていること、見抜けなかった。大丈夫、陽芽ちゃんは大丈夫だよ。だから…」

 陽芽のトーク画面に切り替えて、スタンプを送信する。それと同時に、屋内全体が白い光に包まれていった。
 もみじは再び陽芽にスマホ画面を見せる。そこには二人を結びつけたキャラクターが陽芽に語りかけていた。

『あばよ!!!』

 大好きなキャラクターによる別れの挨拶。それを見た陽芽は動きを鎮め、倒れた。

 陽芽の退治が終わってから数分もしないうちに警察が到着し、すぐにバリケードが敷かれた。玄関から鳥井父娘の遺体が運ばれていく。もみじはそれをボーッと見守っていた。
 遺体は"脅威生物事件"として専門部署で処理される。広域の意味での"化物退治"は警察にその旨を報告しなければならない義務がある。直接依頼だろうがクラウドソーシングサービスでの出品だろうが関係はない。ちなみに、ココデハナースは"実際の依頼内容に虚無が見られた"ことを理由として依頼相違報告を行った。今回のケースは"化物退治"は行ったものの、依頼と実状に乖離が見られたことが大きかった。ゴールはしたものの、その道のりが違っていたという有様だ。しかしながら、"依頼者死亡"も該当するため、報酬保証の適用はされるとのことだ。命がけで退治して報酬を貰えなかったらそれこそ意味がないともみじは思った。だが、命を落とさずに済んだからこそ、今この場を見定めることができているとも思った。
 結局、マキビはどこかへ消えてしまった。警官曰く「家の中を隈なく探したが、化物らしきものはどこにも見当たらなかった」という。
「虚偽じゃないんですか?」
 その警官からは眉をひそまれたが、もみじは頑なにそのことを言い続けた。実際、魔導書やペンタクルを使ってマキビの気配を探したが―警官たちの気配しか感じられなかった。
 本職による事情聴取から解放され、もみじは帰路に着くために住宅地を後にした。明日も一時限目から授業が入っている。気分転換も兼ねて出席しようかと考えながら歩いた先に―消えたはずのマキビがいた。あれだけ銀スプレーをかけられたり陽芽の執拗な攻撃を受けたりしたのに、傷は何一つ残っていなかった。

「なんだよ、すぐ帰っちまうのか。"俺を退治する"とかほざいてたくせに」
「今日はもう疲れたんです。退治しなかっただけ、ありがたく思え」
「まぁそう言うなって。お前、案外言動に見合ってるんだな」
「また皮肉ですか…マジでそういうのやめてもらえます? やり合うのも面倒くさいんですよ」

 もみじはマキビを無視してそのまま突っ切ろうとしたが、ずっと引っかかっていたことを思い出して一旦歩みを止めた。スマホに"あの写真"を出し、それをマキビに見せてみる。

「これ、陽芽ちゃんからもらったんですけど…この男の人、本当にあんたなんですか?」

 もみじはマキビと写真の真備を見比べた。よく見てみると、口の形と顔の輪郭は一致している。瞼を閉じて見た"記憶上の真備"の背丈もマキビとほぼ同じだった。
 血色の違いや眉毛の有無等もあれど、何より雰囲気が違いすぎる―とてもじゃないが、もみじは目の前にいる吸血鬼が"真備浩介"だということを信じることができなかった。

 マキビはもみじのスマホを奪い取り、画面をじっと見た。自分と同じ名前を持つ男―マキビは口元をにやつかせた。口元に垣間見える牙が一層妖しさを引き立たせる。
「…知らねぇな、こんな男」
 マキビはそう吐き捨てると、もみじのスマホをいじりながら続けた。
「お前、結構面白い奴なんだな。気に入った。金は取らないから、お前の血を吸わせろ」
「いや、それ以前に吸われたくないんですけど」
 もみじは引き気味にマキビの誘いを断った。マキビはもみじにスマホを返し、鼻で笑った。
「何とでも言え。それとついでに…携帯番号、覚えさせてもらったからな。もしかしたら、呼ぶかもしれないぜ」
「はぁ? もしかしてめっちゃいじってたのって、あたしの携番見てたんですか!? てっきり写真見てるかと…」
 もみじが猛抗議していると、マキビは隣に急接近し、耳元でこう囁いた。

「今度は文字通り、"退治"するんだろ? 上等だよ。やってみろ」
「それは新手の口説き文句ですか……って、あれ?」

 もみじは抗議を続けようとして横を向いたが、いたはずのマキビは既にいなくなっていた。何がなんだか分からなかったが、とりあえず高級住宅地を後にした。

 入学二日目のオリエンテーションで、心理学部長の教授がこんなことを言っていた。

「人間の中には必ず"化物"が潜んでいます。基本的に、それはコントロールが可能なんです。
 しかし中には"化物"に飲み込まれてしまう人も一定数存在します。そうなってくると、コントロールできるのは赤の他人だけです。
 ―まぁ、何が言いたいかっていうと、皆さんはくれぐれも"化物"に飲み込まれないでくださいね。例え美学だったとしても、それが通用するのはご自身の世界だけですから」

 もみじの中で、いくつもの疑問が浮かぶ。

 吸血鬼マキビは、本当に"真備浩介"だったのだろうか?
 もし"真備浩介"なら、どうしてマキビはそれを捨てたのだろうか?
 マキビは彼なりに"化物としての自分"と向き合うことにしたのだろうか?

 真相は、彼に聞いてみないと分からない。マキビの言う通り、もしかすると本当にまた会うかもしれない。今度会ったら聞いてみようかなと、もみじは思った。

 丸メガネは"自分の中にある化物"に取り込まれたのかもしれない。非科学的な存在である魔導書使いに頼ろうとしたのも、ある種のSOSなのだろうなと、もみじは勝手に結論付けることにした。

 帰宅途中、もみじはコンビニを見つけた。青と白の配色は、お気に入りのコンビニの色だ。
 もみじは目の前にある幸せを噛み締めて、そのコンビニの中に引き込まれて行ったのだった。


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