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境界線 第二話

【これまでのストーリー】

 丸メガネの案内で、もみじは地下室に足を踏み入れた。思ったよりも広々としている。
「この地下室はね、建築家の先生に『地下室を作れば広さは確保できる』と言われたもので作っちゃったんですよ。最初はファミリーシアターにでもしようかと考えていたんですが…現実はそう甘くないですね。今やこんな有様です。本当に"構想"で終わっちゃいましたよ」
 もみじは丸メガネのうんちくを受け流しながら、状況を目視する。地下室には照明がない。正しくは、電球が切れてから長らく放置している状態だ。物置として使っているため、電球を替える必要性を感じなかったという。確かに、物を取りに行くくらいならドアを開けたままでもそこそこの視界は確保できる。もみじはスマホのフラッシュライトを懐中電灯代わりに照らし合わせながら室内を散策したが、結局"音"の原因を見つけることはできなかった。
 しびれを切らしたもみじは、バックパックから魔導書を出した。そでには三色ボールペンが二本、見返しには自家製のペンタクルシートとメモ帳がそれぞれ数枚ずつ格納されている。魔導書術には欠かせない必需品だ。そこからペンタクルシートを一枚取り出し、右人差し指と中指の間に挟め持った。それを前に出して気を念じて"音"の出る要因を探った。ペンタクルはもみじの気に反応したのか、少しだけ光を帯びていく。もみじはペンタクルが指し示す方向に従って、ゆっくりと奥へ進んだ。

(そこだ…!)
 もみじはインナーボックスの手前で立ち止まった。全ての神経を耳に向け、改めて"音"の正体を探った。すると、ごく小さかったが「ア"ァ"…」という呻き声が聞こえた。丸メガネの予感通り、"化物"は地下室にいた。
 急いでスマホを取り出しライトを当てると、人型の何かが小さく蹲っている。体格から推定すると…男だった。
「なんかおっさんみたいなのがいる!!」
 もみじは丸メガネにそう言った。それを聞いた丸メガネはもみじに退治を懇願する。
「きっとそいつですよ! 早く退治してください!!」
「ちょっと待ってください」
 両手が塞がっていたため、もみじは"人ならざる者"目掛けてペンタクルを投げ捨てた。ペンタクルはインナーボックスの中に入ってしまったが、奴がいる壁際からインナーボックスの手前まで簡易結界を張って一時的に閉じ込めることに成功した。
 スマホをジーパンのポケットにしまい込む。そしてもみじはようやく魔導書を開き、そこに書かれた文字を詠唱する。魔導書の文字は基本として音にすることができない。"目で追い、頭で読み解き、心で唱える"ことで初めて術が具現化する。いわゆる"マントラ"の一種だ。
 丸メガネはそれが奇妙に見えて仕方がなかった。もみじがいきなり本を開いたかと思えば急に何かブツブツ唱え出して、奇妙に感じたからだ。しかしこれで"音"の悩みに苛まれずに済むと思うと清々する。
 次第に、動画にあった"音"が現れ始めた。間隔はまばらだが、ガタガタバンバンドンドンと狭いスペースで暴れているのが容易に想像できた。マントラの詠唱が大きくなっていく。それに比例して"呻き声"もまたボリュームを上げる。もみじは、これまでにないヤな気がある、と思った。マントラの手応えは感じているものの、なかなか姿を現さない。簡易結界が消えるのも時間の問題だ。
 もみじは別のページを開いた。すぐさまごく自然的に別のマントラを唱え始め、化物をおびき始めた。姿を現した時に退治のマントラに移行して、滅する。魔導書術における化物退治のセオリーだ。これで化物退治できなかったら"退治屋"の名前が廃る。効力は弱いとはいえ、簡易結界が退治術のアシストの役目を果たしてくれるので、今回の仕事もすぐに片付くはずだ。
 もみじは改めて右手を前にかざし、退治のマントラを唱え始めた。奥にいる化物はまだ姿を現さない。
「早く…早く、出てきてよ!!」
 もみじの詠唱はいつの間にか自分の言葉に変わっていた。退治のマントラは、"浄化詠唱"とも呼ばれる。化物の力を奪っていくマントラだ。魔導書術ではこの浄化詠唱が大きな武器となる。その際に必要となるのが、術者の"言霊"だ。いくら魔導書のマントラを唱えても、術者本人の言葉で紡がなければ意味がない。そのため、力を放出するには自身の言葉を口にしなければならない。家族からは「適当な言葉でいい」と教わったが、もみじの場合は本音を言うようにしていた。

 その本音が魔導書に伝わったのか、もみじの掌から白い光線のようなものがふわっと湧き出て来た。光線は壁際の角を直線的に引き、止まった。簡易結界の効果も切れた。
 その刹那、奥の角からようやく化物が現れた。黒シャツに濃紺のジーパンの出で立ちだったので"元人間"だと思われる。血が全く通っていないのか、肌は筋肉が今にも浮き出そうなほどに白い。事実、手足の甲には所々血管が浮き出ている。おそらく、何らかの理由で一度死亡した後天性の化物と考えられる。その証拠に、目は白と黒が混ざったように混濁していて瞳孔も大きく開いている。口元から牙のようなものが見えたので、吸血鬼に変異したのだろう。
 吸血鬼はもみじを見るや否や、その場に襲いかかってきた。手足の爪が鋭く光る。もみじは魔導書を握りしめて、吸血鬼の頭を打った。
「うわぁああ、こっちくんな!! 鎮まれ馬鹿!!!」
 もみじは魔導書の詠唱を唱えながら、吸血鬼から距離を取ろうと後ずさりし始めた。
「マジヤバエクスペクトパトローナム早く鎮まれ怪物よあたしは血を啜られて死にたくない頼むから鎮まってくれそして素直に退治させてくれ頼むよお願い頼むから…」
 思いつく限りの本音をマントラに変えて力を魔導書に蓄える。魔導書はもみじの想いほんねに応えるように光り始めた。ページを読み終え、次のページを捲った次の瞬間、突然、そこから大量の光線が吸血鬼の目を目掛けて発射した。ペンタクルから発せられた光線よりも何倍も大きくて眩しかった。
「あぁぁぁああぁあああああああ!!!!」
 吸血鬼はその光を全身に浴びて、ついにその場に倒れ込み、動きを止めた。急いでもみじが吸血鬼に近寄ると、既に意識はなかった。目は大きくかっ開き、放心状態のようだった。

「…なんだ、おっさんじゃないじゃん」
 もみじは吸血鬼の顔付きを見て、そう呟いた。外見は三十代前半で高身長。眉毛はなく、唇は薄かった。典型的な吸血鬼の風貌だなぁともみじは思ったが、心なしかその姿に魅入られる人も少なくないとも思った。
 吸血鬼が意識を飛ばしているうちに、もみじは魔導書から封印用ペンタクルを額に貼り、魔導書をバックパックにしまった。
「やりましたよ、丸メガネさん!」
 もみじが形だけの笑顔を後ろに向けると―さっきまでいたはずの丸メガネがいなくなっていた。スマホライトやペンタクル、魔導書の光線で全く気付かなかったが、地下室のドアも閉まっている。もみじは猛ダッシュでドアに近づき開けようとするが、鍵がかかっていた。そういえば、あの長ったらしいうんちくの中で、丸メガネはこんなことも言っていた。

「我が家の構造もですね、ちょっとだけこだわっちゃったんです。この地下室、敢えて外から鍵をかけるタイプにしたんですよ。理由は特にないんですがね、瞑想にドハマリしている友人がいまして『本格的な修行をするために外付けの鍵を導入してみるといい』って言うんですよ。最初は冗談かと思いましたが、妻が本気になりましてね。『本気で鍵をかける奴なんていないわよ』と言って、本当に付けちゃったんですよ! もちろんあくまでインテリアで、ですけど…本当に閉じ込めることはないですよ、ハハハッ」

 ―本当に閉じ込められてしまった。地下室に今いるのは、退治した化物の残骸と人間のもみじだけ。個人宅だったのでWi-Fiは繋いでいない。もちろん、携帯回線は圏外だ。ココデハナースからメッセージを飛ばそうにもできない。もみじはありったけの力でドアをノックし、丸メガネを呼んだ。
「丸メガネさーん!!! もう退治は終わりましたよ!!! 開けてください!! 丸メガネさん、お願い開けて!!! 開けてよ!!! 開けてって…!! 開けろってば!!!!」
 必死にノックし、意味もなくドアノブを回し続ける。ドアノブを回したら開くのではないかという根拠のない希望が、もみじを一層急がせる。
 後は化物の残骸を地上に出して然るべき措置をするだけなのに、想定外のことが起こってしまった。もみじはありったけの力を出して地下室の外にいる丸メガネを呼び続けた。

「オイ」

 突然、後ろから男の低い声がもみじを呼びつけた。また何かいたのか、と全身をざわつかせて振り向いてみると―先程退治したばかりの吸血鬼が起き上がっていた。額に貼ったはずのペンタクルは、無残にも床に落ちてしまっていた。

 この状態でまた交戦するのか―もみじの頭がパンク寸前になった。もみじはしまったばかりの魔導書を急いで取り出し、臨戦態勢に入った。しかし吸血鬼は、もみじに向かって静かにこう切り出した。

「あのメガネの言うことは聞くな」

【これからのストーリー】


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