見出し画像

幕末維新ゆかりの地で神社は何のためにあるのかを改めて考える

京都の霊山歴史館は公益財団法人霊山顕彰会の活動の一環として運営されている施設です。

顕彰会は昭和43年(1968年)に設立されていますが、初代会長は松下幸之助氏です。

霊山という地には、明治維新で活躍した志士たちを祀りたいという明治天皇のご意志によって創建された霊山官祭招魂社がありました。(現在は京都霊山護国神社と名を改めています)
招魂社というのは国のために殉難した人々を祀る神社です。
坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允らのお墓も、この招魂社の敷地内にあります。
霊山官祭招魂社は国によって創建された神社で、明治から戦前までは官費で運営されてきました。しかし戦後は国の手を離れたことで霊山周辺はすっかり荒れ果ててしまいました。

国のために殉じた方々に申し訳ないと心を痛めた京都の有志の方々が、松下幸之助氏ら関西の財界人に協力を仰ぎます。
松下幸之助氏は、新しい日本の国を築くために身命を投げ出し奔走した志士の叡智を忘れてはならないとの思いで協力し、設立されたのが霊山顕彰会です。
会は広く全国から会員を募って組織を作り、荒れた墓地など霊山の修復、維新の道など周辺の整備、さらに幕末明治維新に関する資料の収集と研究を行うため霊山歴史館を設立したのでした。

実は招魂社としては東京九段の靖国神社が有名ですが、それよりも前に創建されたのが霊山の招魂社です。

しかし京都に靖国神社のような招魂社があることも、京都霊山護国神社という神社があることも、京都人でも知らない人が多いそうです。霊山顕彰会の理事を務める方が残念がっていました。
霊山護国神社には幕末維新の志士たちだけではなく、明治以降の日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの戦死者も祀られていますが、遺族の高齢化もあって、例大祭などに参列する人の数も以前にくらべればだいぶ少なくなったとのことでした。

今、全国の神社が運営難に陥っていると聞きます。運営難はお金だけの問題ではありませんが、神社を維持していくには多くのお金がかかり、お金がなければ神社は成り立ちません。

松下幸之助氏や出光佐三氏といった大実業家は神社などに多大な支援をしています。
それはなぜだったのでしょうか。

神社はなんのためにあるのか。
神社がなくなったらどいうことになるのか。

一人一人が考えてみる必要があると思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?