#7 戦わない女が「嫌われる勇気」を読む前に
超絶平和主義
争いは好まないし(仕事以外ならば)関わりたくもない。
私はそういうタイプだ。
MBTIは提唱者(INFJ)。
うんうんわかる。
お金や地位を得ることを成功とは考えていず、人助けをしたり、世の中にポジティブな変化をもたらしたり、達成感を得たりすることを成功と考えるタイプです。
➡この部分は本当にそう。「ラクして月収200万!きゃぴ☆」みたいなのにはまったく惹かれない。
MBTI診断については賛否あると聞くが、私は提唱者という結果に納得したから良い。
有名人ではMartin Luther King Jr.
ふむふむ。これもまた運命を感じてしまった。
高校時代に吹奏楽部だった私はスケッチブックに楽譜を貼って使っていて、小生意気にオリーブ色のこれが至高だと信じていた。
少しザラザラな表紙を開いた裏側に、おそらく英語の教科書で覚えたのであろうキング牧師のかの名言を、スケッチブックを新調するたびにマジックで書いた。
So even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream.
(今日も明日も私たちは困難に直面するが、それでも私には夢がある。)
キング牧師が何者か?このスピーチが、当時のアメリカの人種差別や不平等を訴えていたことを知ったのはそれから何年か後。大学生になってからだった。
提唱者=平和主義?
私は提唱者だから平和主義なのか?
職場にいるAちゃんも提唱者なのだが、私とは対称的なアタック強めガールなのだ。提唱者にも色々いるのかもしれない。
そして行き着いたのがこちらのnoteだった。
うんうん。私はこれにとてもしっくりきた。
社長は見抜いていた
話は約8年前に遡る。もちろんMBTIも提唱者も無かった頃の話だ。
携帯ショップの店長になって3ヶ月の私に、会社はある研修に行くよう言った。
いわゆるビジネススキルアップだとかの類いの、「リーダー道」と題された3泊4日の泊まり込みの研修だった。
会場こそ海の近くのホテルで、お寺で滝に打たれるようなものではなかったが参加した先輩店長達によると「地獄の研修」「二度と行きたくない」と、皆が口をそろえて言うので私は怯えながら参加した。
内容は今回は割愛するが、参加者はいろんな業種の企業から「こいつを叩き直してください!」と会社に送り込まれているわけで、おそらくだが「この子はこういう部分を特に!」と事前に会社から参加者の評価や情報が伝わっているようだった。
それに合わせて鬼教官から「お前はここが弱い」だなんだと、叱咤激励を浴びせられる4日間。
私の「それ」は「人に合わせて自分を犠牲にしすぎる。部下に指導ができない弱さ。」というようなものなのだと感じた。
まぁその通りではあった。
入社半年で店長になった私は知らないことも多く、とにかく謙虚に謙虚に…を心がけて仕事をしていた。
さすがは社長。飲み会でニコニコおしゃべりしてくれるだけの好々爺かと思っていたが私の弱点をよく見抜いていたのだ。
怒らない?怒れない?
私はあまり怒らない。
「あまり」というのは頻度ではなく、対象者によってだ。
子どもにはすぐ怒る。
宿題をやっていないことには怒らないが、やったと嘘をついたら怒る。
不満を言われるのは怒らないが、それでいつまでも不機嫌でいられると怒る。「人としてどうなん?」と。
過去の恋愛においても、男性とケンカというものはほとんどした経験が無い。意見が食い違えば話せばいいし、怒ってまで主張したいことなんか無い。お寿司が食べたい日に、焼肉屋に行こうと言われても「はいはーい」と従う。従う?合わせる?折れる?どれも違うな。「そうする」、これだ。
(まぁなんとも奥ゆかしい!笑)
嫌いなタイプの男性は?と聞かれて答える「ごみをポイ捨てする人」とか「暴力的な人」なんかとはそもそもお付き合いしないのだから、揉めようが無い。
だから怒りたいのを我慢して怒らない、のでは無い。
仕事での怒りは
こちらは多少の我慢はしている。
どんな仕事でも「お客様」に対しては怒らないけど。だってお客様だもの。
理不尽なことを言われようが、仕事なのだからと怒りスイッチを持つことはまず無い。
一緒に働く仲間(部下)にイラつくことはある。
それでも怒りの感情を持って対峙することはほとんど無く、「だって部下なんだもの。私と同じ考えができるわけがないのよ?」と必ず自分に問うようにしている。
いわゆる6秒待つ、というアンガーマネジメントだ。
そして時が満ちてもなお怒りが収まらない時は、どうやったら感情的にならずに伝えられるかを考えてから向き合うのだけれど。私にそこまでさせる猛者はそうそういない。
少し怒った風に見せる演出はするけれど。
また、怒りの矛先が上司や会社の待遇面である場合も怒らない。
戦ってややこしい従業員だと思われるぐらいなら、辞めれば良いと思っているからだ。
自分の評価
つまり「気にしい」なのである。
こんなことを言ったらどう思われる?
これをやらせたらみんなに嫌われるかな?
と、こちらのセンサーはだいぶ感度が良い。
それで顛末を想像しては「やめとこ」と、平和的解決への道を探し始める。
RPGゲームだとしたら、
▶たたかう
は選ばないのだ。
怒る=嫌われる、なのか?
少なくとも現時点の私はそう思っている。
だって私は怒鳴ったり怒ったりする人が苦手だから。
両親は温厚だし、私はいい子だったからそんなトラウマも無いのに…と思うとさては前世でこっぴどく怒られていたのではないか?と邪推してしまう。
では私を叱って育ててくれた人はみんな嫌いか?
そうではない。
では私がブチ切れても、嫌われないのではないか?
それは自信が無い。
コーチングからの学び
先日の2回目のコーチングで、私は自己肯定感が低いということがわかった。
自己肯定感を高めるために、もう一人の自分と対話する方法を教えてもらったが、もう一つ。
アドラーの「嫌われる勇気」を読んでみると良い、とコーチにおすすめしていただいたのでさっそくポチった。
まさに嫌われることを過度に恐れる、私にぴったりの本なのではないだろうか?と淡い期待を抱いて。
怒っている人が苦手
➡そういう人は怖いと思う
➡だから自分も怒らない
➡怒らないとしても人に対して遠慮してしまう
➡だって嫌われたくないから
こうして文字にしてみると、この思考のどこかにバグが生じていそうなことはわかった。
さて、ここまで「嫌われる勇気」が無い私が「嫌われる勇気」を読んだらどうなるか?
読了後にユーコは変われるか!?乞うご期待ください。
今日のユーコ
おかしい。この前お正月だったのに、もう5月が終わりました。
仕事で月末のルーティンをこなしながら「あれ?ついこの間この作業してたな」と。5月は怒涛の1ヵ月でした。
35歳を過ぎたら月日が経つスピードがおかしくないですか?笑
誰かが倍速再生しているのでは?と思うくらいに。
儚い「今」を大切にしたいな、と思います。
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