なぜ異常独身男性は女装するのか?

 先日、ツイッターを眺めていたら「異常独身男性、8割方女装経験があるっぽい」というツイートが流れてきて、「そうなんだー」と思ったものであるが、実際のところはどうなのだろうか。プライベートでひとり異常独身男性を知っているが、その人はそういう経験はないようである。そして、私はもう一人の異常独身男性のことを知っている。それは勿論、私自身のことである。私はかつて女装をしていたので、自身の経験を踏まえたうえで、なぜ異常独身男性は女装をするのかということについて考えてみたい。

 女装をしていたのは30代前半くらいであるが、女装自体は昔からやってみたいと思っていた。恐らく最初にそのことを意識したのは、小学生の頃に高橋留美子の『らんま1/2』を読んだ時であったと思う。主人公が水をかぶると女性になるという設定に興奮してしまったのである。とはいえ、女装というものは、なにかのきっかけがなければできないものである。

 それから時が流れて、幾つかの偶然が重なり私はアニメオタクになってしまった。その時に流行していたのが、男の娘であった。それが後押しになり女装してみることにした。ここで一応、書いておくと、私は女装して男性と性的関係を持ちたいというような欲求はない(勿論、無意識に抑圧している可能性もあるが、それについては無意識の領域なのでここでは書かない。逆に美しい男の娘だったら性的関係を持ってもいいかなとは思う)。もうひとつ、女装をしてみようと考えた理由がある。それは年齢である。40代になれば更におじさん化が進んでしまうことが予想されるから、容姿や体型的なことを考えて、今しかないと思ったわけである。

 そんなわけで、男の娘ブームで女装指南書も販売されていたこともあり、本を読みながらメイクを始めてみた。そして、幾人かの女性にもメイクを教えてもらった。当然のことではあるが、化粧というのは女性それぞれでやり方が異なるのでとても勉強になった。概ねメイクをしてもらうとその女性に近い雰囲気になる。ウィッグや女性用の服も買ってみた。ある程度形になってきて、改めてなぜ女装したいと思ったのかと自身に問いかけてみると、「かわいくなりたいから」という答えが返ってきた。自分にとってかわいいとか美しいとかいった要素はほぼ女性的な領域であるように思う。そこで私は幼い頃のことを思い出す。

 幼い頃の玩具といえば私にとっては超合金やプラモデルであったが、それらはかっこいいという領域であったと思う。勿論、それらを楽しみつつも、近所の女の子たちが遊んでいたリカちゃん人形やシルバニアファミリーもいいなぁと感じていた。けれども、男性として生まれていたため、当時それを口に出すのは難しかった。幼い頃に本当は吸収したいと思っていたかわいいを、改めて取り込みたいという欲求が出てきたのだと思う。

 一通りやってみてとりあえず満足はしたので、今では女装はやっていない。多分、女装を続けるのはそれなりの情熱が必要だと思う。男性の場合、無駄毛処理がかなり大変だし、姿形の問題もあるから、メイクにもそれなりの技術が必要になってくる。そして、私のかわいいを吸収したいという欲求は、『プリキュア』や『アイカツ!』といった女児向けアニメを鑑賞していればほぼ満たされることが分かったため、女装をする必要はなくなった。一時期「アイカツおじさん」という言葉をよく目にすることがあったけれども、彼らおじさんたちも、歳を重ねてからかわいいものを再度自身のうちに取り込むという作業を行なっているとも言えるのかもしれない。

 余談になってしまうかもしれないが、百合男子や腐女子といった人々は(ちなみに私は百合男子だと思う)、自身の身体への嫌悪を反転させ同性同士の尊い関係性に昇華させている傾向にあると感じる。いわゆる異性愛の物語だと、自身の美しくない身体を意識しなければならず、それは不安や苦痛を生み出してしまう。

 ここまであれこれ書いてきたけれど、女装をやってみてよかったと今でも思っているし、女性のメイクを見る面白さを得ることもできた。特に眉の扱い方にはその人の個性が担的に表れると感じる。

 異常独身男性がなぜ女装するのかということを、かわいいの再吸収という点からここまで書いてきたが、性的な事柄というのは多種多様であるから、これはあくまで私自身のケースということになってしまうのであろう。けれでも、男性諸氏には一度女装やってみることをお勧めしたい。

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