死都東京あるいはオリンピック

 「今年は暖冬だね」そんな言葉が交わされる日々が続いていた。雪が降らなければ交通が乱れることはないし、慣れない雪かきをする必要もない。けれども、雪が降らなければそれはそれで寂しく風情がないようにも感じられる。そんなふうに思っていてたら、この日は気温が下がり、夕方から雪がちらつき始めた。だが、天気予報によれば積もるほどではないとのことであった。
 私は天気予報を見て安心する。そして、改札を抜けて立ち飲み屋へ向かうことにした。駅の広場には、クリスマスの時期に設置されたイルミネーションはまだ残っていて、静かに降る雪と合わさって、冬らしい空間を作り上げているように感じられる。幼な子がその空間を走り抜けて、その後を母親が追いかけている。広場を抜けて少し歩くとその立ち飲み屋はある。

 雪が降り始めたから客は少ないだろうと思っていたが、店には幾人かの客がいた。店主と「雪降ってきましたね」と言葉を交わしてコートを脱いでからホッピーを注文する。黒板の今日のオススメに目を移して品目を確認してから、肉豆腐とハムカツを注文した。「そういえばこの前、F駅に行ってきたんだけど、随分変わったなぁ」と常連客が店主に話しかける。「再開発でタワーマンションがどんどん建ってますよね」「やりすぎだよ」常連客は少し困ったような顔をしてハイボールを飲み干した。

 私は二人の会話を聞きながら、あの街には随分と足を運んでいないなと思った。再開発が終わりに差し掛かり乱立するタワーマンションの下で目眩を覚えてから、その街に行くことはなくなってしまった。タワーマンションほど自分の生活から程遠いものはなかった。社会に出てから低賃金のまま歳を重ねてしまい、今でも安いアパートで一人暮らしである。再開発前はFにはまだ自分の居場所はあったような気がする。けれども、街が再開発で異物を取り除いてきれいな姿に変わっていく度に、取り残されているような気持ちになった。それは、2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定された時に覚えた違和感と似ている。
 Fには時々行くヘルスがあった。風俗店で誰かを指名することなんてなかったけれど、そのお店には好きな女性がいた。花の名前の女性だった。そのヘルスも再開発で壊されてしまった。私には街が浄化される度に、東京という街が滅亡へと向かっているように感じられる。

 長引く不況と広がる格差。テレビでは外国の人々を利用して日本を褒め称える番組が氾濫している。しかし、それは失われた希望や自信の裏返しにしか思えない。かつて煌びやかだった帝都は死んでゆく。今ここは、ネオ東京ではなく死都東京となった。虚無のなかでオリンピックが始まる…。

 ふと「オリンピックには来て欲しくないですね」という店主の声が響く。常連客との会話を追っていたわけではないので、どういう流れでその言葉が生まれたかはわからない。けれども、ホッピーを飲みながら私があれこれ考えていたことを店主が代弁してくれているように思えた。
 「すみません。熱燗を二合で」と私は酒を注文する。外を眺めるとまだ雪は降り続いている。東京に降る雪は美しいと感じてしまう私がいる。

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