男らしさを求められる社会に疲れる

僕はモテない。

理由はいろいろあるがその中で「女々しい」と言うのも理由の一つだろう。

どちらかと言うと悩みやすく、ストレスに弱い。

自分の障害やうつ病経験で自信が持てないこともある。

モテない男性の特徴と検索をかけると「女々しい自信のない男」はモテないときた。

僕はこの「女々しい」ことが悪であると言う価値観が好きでない。

今日はそんな話をしたい。

子供の時にみたテレビの話

子供の頃テレビで「男性が女性に自分の辛い過去を伝えた場合」と「女性が男性に自分の辛い過去を伝えた場合」で結果がどのように異なるかと言う実験をしていた。

結論から言うと、後者では男性が女性を守らなければと考えより愛は深まる一方、前者では女性が男性のことを重いと感じて逃げていくと言うものだった。

女性はある程度自分の弱さや女々しさのようなものを出しても、日本の恋愛市場においてはむしろ優位に働く。(じゃあ海外はどうか?と言われたら知らないけど)

一方、男らしい女性はメディアでは「かっこいい女性」やら「キャリアウーマン」なんて言われてもてはやされたりもする。

男性はどうか。

男性は常に男らしくあることが求められ、自信のなさや、ある種の女々しさを持った男性は蛇蝎の如く嫌われる。

性別らしさを求める言説は否定されるべきと言うルール

セクハラに該当する言葉として、「女のくせに」とか「女らしくあれ」と言ったものがある。

同様に男性に対して「男らしくしろ」「女々しい」と言うのもセクハラに該当する。

このルールの理念には、「本来どんな性別であっても、いずれの性別らしさがあっていいし、誰からもこうあるべきなんて指図を受けなくていい。あなたはあなたのありのままでいい」と言う優しさと理想に満ち溢れたものがある。

僕は発達障害者で、発達障害者はルールに強いこだわりがある。そのため、普段ウーマンリブやら、男女雇用機会均等やら、女性の働き方やらで自分の権利確保のために声を挙げる方が、そのような崇高なことを言った口で、女々しい男は嫌いなんてことを言っているのを見ると、僕は大いなる矛盾に混乱してしまう。

種の保存で考えれば、明快なことだと言うのはわかっている。

男らしい男性の方が社会的に成功しやすい。女性から見れば、遺伝子を後世に残すためには、社会的に成功した男性が提供する環境で、社会的に成功しやすい遺伝子を持った子供を育てると言うのは至極合理的な選択なんだろう。

ただ、どうしてもこの不公平性が納得いかない。

多少女性らしい要素を持った女々しい男性は生きていくなと言うことなのだろうか?

ならそうとはっきり言って欲しい。はっきり言ってもらわないとわからないんだから。

女々しい男性でも普通に恋愛ができて、結婚ができてって言う幸せを追求してもいい社会になってくれれば、といつも思っている。

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