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「根拠のない自信」って何だ?

心理学では「根拠のない自信は有効だよ」と捉えている。

本当のところはどうか?

私の答えは「どうでも良い」だ。

有効だろうがそうじゃないのだろうが、そう考えて「立ち止まる」方がペースが乱される。

根拠は無いが出来そうな気がする!という純粋な前向きマインドが備わったのであれば、まずは「着手」してみる。

というのも、「着手する」という行動だけでも冷静に考えたら数十秒は絶対にかかる。
その数十秒の間に「根拠のない自信で動いて失敗をした経験あるよね」という冷静な自分との対話は可能だ。

私はこの「数十秒」を「立ち止まって考える」のではなく、「着手しもって考える」のが好きなせっかちさんなのだ。

具体的な例だとこうだ。

何か自分をバージョンアップしてくれそうなwebツールに出会ったとする。
まずは無料アカウント登録して、と促される。

その時に、「この登録をするかしないか・・・」という数十秒の思考を「動きを止めて」するのではなく、アカウント登録をしながら思考する、というものだ。

そんな私なので、実際、アカウント登録が完了しているころには、「やっぱりやめよ」と判断し、アカウント削除手続きをスタートしちゃうことも何度かあった。

(放置は「脳が不快」になるので、アカウント削除はそのマインドで面倒くさがらずやり切ることができる)

一見すると、アカウント登録と削除の作業時間が無駄になるから、動きを止めてしっかり考えた方が合理的だよね、と感じる。
実際はそうだろう。

ただ、私は、その「動きを止めて一呼吸置いて考える」というアクションで今だに脳が快になったことが無いのだろう。

上記の例で言うと、アカウント登録の作業そのものが冷静な自分との対話を進めるトリガーなのだ。私の場合は。

またいつの日か気づくのかもしれない。
前回の記事のように、今は「偏った半分をやり切る」状態の最中なだけかもしれない。

少なくとも執筆時点では、「『根拠のない自信』の根拠」を探す暇があれば、もうすでに動いている!という自分のスタイルに心地よさを感じているのだ。

そんな「根拠のない自信」だが、あなたはどうだろう?
備わっている方?根拠を実感したい方?

答えは人の数だけ存在するのだろう。
出ない答えを求める時間をエンターテイメントにする、つまり「根拠のない自信は大事だよ」という事に対して侃侃諤諤する、という時間を、行動や休息にあてよう、というのが私の流儀のようだ。

意見交換自体は重要だと思うし大事にもしている。
ただしそれは会社の判断のような「仲間に何らかの影響がある決断」の場合だ。

自分の生き様を定めるとなると、私の場合は多くの情報を目に入れない方が集中力があがる。
少ないことが正義なのだ。

そうなると、最も抽象度が高い「軸」をインプットする必要があり、その「軸」を決める事を最重要事項としている。

その「軸」を間違えなければ、「軸」と自分がどれだけ合っているか/離れているか、のチューニングだけで心の整理が完了する。

「軸」を見出すまでは、色々と範囲を広げて探すのが良いだろう。
私もそうしてきた。偏見や決めつけを捨て、自分よりも抽象度が高い意見だ!と思えば、インプットしアウトプットしてきた。

ただし、範囲を「広げた」のであれば「縮める」ことも同じく重要なのだ。
「縮める」というより「階層を上げる」の方がしっくりくるか。
これが抽象度を上げるという事になる。

自覚があって広げたのであれば、自覚しながら抽象度を上げていき、最終的には全てのことが一言で言えるような哲学ワールドに行けば良いのだ。

執筆時点での私の一言はこれだ。

「愛」

そんな私なので、「根拠のない自信」なるものをあまり口に出すシーンがなかった。これまでの人生では。

ではなぜnoteの書いたのか?それは、、、
長くなるので次回に持ち越そう。

最後までお付き合い頂きありがとうございます。記感想など感じたことを教えてしていただけると、とっても嬉しいです。

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