12月27日は、ピーターパンの日&ダーウィンが「進化論」への世界一周航海に出航した日&浅草仲見世記念日&寒天発祥の日&冬季エベレストに日本人が初登頂した日
【ピーターパンの日】
1904(明治37)年12月27日、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇「ピーターパン」が、ロンドンで初公演されたことにちなんで記念日が制定されています。
元の原作は『小さな白い鳥』 というタイトルでしたが、その後、何度か加筆修正され「ピーターパン」と改題し、上映されています。
大人にならない永遠の子どもたちが、おとぎの国ネバーランドで楽しい冒険を繰り広げる物語は大ヒットを記録し、イギリスのみならず、アメリカ・ニューヨークでも上演されるなど、世界中で人気を博しました。
また、1953(昭和28)年にはディズニー映画にも登場するなど、今日でも世界中の人々に愛され続けている童話のひとつです。
【ダーウィンが「進化論」への世界一周航海に出航】
1831(天保2)年12月27日、イギリス海軍海洋測量艦「ビーグル号」が世界一周の航海に出航。
この船には、後に、自然科学者、地質学者、生物学者などの分野で、いづれも卓越した知見を示したチャールズ・ダーウィン氏も乗船していました。
出航時、ダーウィン氏は22歳ながら、その才能が認められて乗船を果たし、寄港する先々で、主に、植物学、地質学、環境学に則った実地調査を進めていきました。
世界中を約5年間かけて巡った航海は、その後、1859(安政6)年11月24日に発表された「種の起源」(原題:On the Origin of Species、通称:ダーウィンの進化論)の考えに多大な影響を与えたと考えられています。
【浅草仲見世記念日】
1885(明治18)年12月27日に、東京・浅草の「仲見世」が新装開業したことにちなんで記念日が制定されています。
浅草仲見世は、雷門から浅草寺へと続く参道の両脇に位置する日本最古の商店街で、開業当時はレンガ作りの新店舗が、東側:82軒、西側:57軒の計139軒連ね、正月や見本市など大きな賑わいを見せていました。
が、1923(大正12)年に起こった関東大震災の影響で、多くの店が倒壊してしまい、復旧時に鉄筋の建物として、現存の仲見世に再建されています。
再建後も連日多くの観光客が集まり、東京を代表する人気スポットのひとつになっていて、今日では、外国人観光客が東京観光で訪れる必須ルートにも含まれています。
また、だんご、せんべい、最中、どら焼き、鯛焼き、ソフトクリーム、揚げまんじゅう、などなどを歩きながら気軽に食べられる「グルメ観光の街」のひとつとしても人気を博しています。
【寒天発祥の日】
現行の暦で12月頃に、寒天の元となる「ところてん」が、初めて京都・御駕籠町から島津藩(現:鹿児島県)に提供されたとの史料が残されていることと、京都・御駕籠町のある伏見区の「ふ(2)し(4)み(3)」の語呂合わせを「24+3=27」と解釈して、伏見寒天記念碑を建てる会が記念日に制定しています。
《寒天とゼラチンの違い》
寒天とゼラチンは非常に似ていますが、寒天は、テングサ、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したもので、ゼラチンは(動物から摂れる)コラーゲンを加えて抽出したもののため、化学的には異なる物質とされています。
また、一般的に、ところてんは天草てんぐさを煮て溶かして固めた食べ物で、寒天は、ところてんを凍らせて乾燥させた、フリーズドライ食品のひとつともされています。
加えて、江戸時代に、ところ天の食べ残しを(保存の意味合いで)寒い戸外に出しておいたところ、夜に自然に凍って日中に解け、何日かするうちに脱水・乾燥した寒天ができたと言われていることから、寒ざらしのところ天との意味で、「寒天」の名が付いたとされています(諸説あり)。
【冬季エベレストに日本人が初登頂した日】
劣悪な環境や人命に関わる、あまりにも大きな危険性から、ネパール政府は、エベレストへの冬季登頂は理由問わず禁止の措置を長年設けていました。
が、時代とともに装備や器具の発達や充実性を考慮し、1979(昭和54)年に冬季登頂が解禁されました。
多くの登山家が冬季エベレストへの登頂を試みる中、1982(昭和57)年12月27日、登山家の加藤保男氏が、日本人として初めて冬季エベレスト単独登頂を成し遂げました。
加藤氏が冬季エベレストへの登頂に成功したことで、エベレストをネパール側・チベット側の両側から登頂した世界初の人物になると同時に、世界初となる春・秋・冬のエベレスト3シーズンの登頂成功者として記録されています。
加藤氏の出身地・埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)では、登頂への功績を称えて、同市第一号の「市民栄誉賞」が贈られています。
(以上、ネット検索より)
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