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6月18日は、考古学出発の日&おにぎりの日&自閉症プライドデー&ひめゆり学徒隊に解散命令が出される&ビルマがミャンマーに国名を変更&海外移住の日

【考古学出発の日】

エドワード・モース博士

1877(明治10)年6月18日、東京都の品川区〜大田区にまたがる遺跡「大森貝塚」を発見し、発掘調査を行ったアメリカの動物学者エドワード・モース博士が来日しました。

同年6月20日に、モース博士が汽車で横浜から新橋へ向かう途中、汽車の窓から外を見ていたら、貝殻が一帯に堆積している場所を発見し、その後、博士主導のもと発掘調査が行われることとなりました。

このとき、モース博士が行った調査が、日本で初めて行われた科学的遺跡発掘調査で、日本考古学の出発点とされていることから、同氏の来日の日付けが記念日に制定されています。

《日本が受けたモース博士の計り知れない恩情》
モース博士は、このときの来日で日本の文化に興味を抱き、アメリカへと帰国した後も、プライベートで何度も日本へ再来日しています。

その際、日本の文芸品、陶芸品、文学書といったものを自費で購入し、アメリカへ持ち帰り、ボストン美術館へ寄託するなど、日本文化を世界中に発信してくれた人物のひとりで、海外でのジャポニズムの先駆者とも言われています。

また、1923(大正12)年に起こった関東大震災で、東京帝国大学(現:東京大学)の図書館が全焼した旨を聞くと、(日本で手にした)蔵書を全て同大学へ寄贈してくれていて、約1万2千冊以上もの書物が届けられました。

関東大震災では歴史的書物も多く失われましたが、同氏の寄贈により、明治初期の日本のリアルな様子が今日でも伺い知れる一助となっていて、その功績は、日本にとって計り知れないものです。


【おにぎりの日】

おにぎりの化石

1987(昭和62)年11月に、石川県鹿西町(ろくせいまち)にある「杉谷チャノバタケ遺跡」の竪穴式住居跡から日本最古と目される「おにぎりの化石」が発見されたことにちなんで、石川県鹿西町が記念日に制定しています。

日付けは鹿西から、ろく(6)せいの語呂合わせと、毎月18日が「米食の日」になっていることから、合わせて6月18日に選定されています。

同町は、後年に中能登町と名称が変更されていますが、鹿西町時代におにぎりの化石が見つかったことを引き継ぎ、「おにぎりの里」として町興しを展開しています。


【自閉症プライドデー】

自閉症は病気ではなく、キャラの違いなだけとの世界的認知を広めるため、6月18日に国際デーとして記念日が制定されています。

国際表記:Autistic Pride Day

上記記念日とは別に、自閉症のことをより多くの人に知ってもらい、理解と改善策を広めることを主とした「世界自閉症啓発デー」が、4月2日に制定されています。

また、社会問題に対して、さりげない支援を行うアウェアネスリボン活動で、自閉症は「パズルリボン」が世界共通認識として使用されています。


【ひめゆり学徒隊に解散命令が出される】

太平洋戦争中の1945(昭和20)年4月、米軍は次々と沖縄県本土に上陸。

これを受けて、日本の敗北が濃厚となった6月18日に、看護要員として動員されていた女学生徒:222名、引率教師:18名の計240名の「ひめゆり学徒隊」に突如解散命令が出されました。

最前線での負傷者が後を絶たたず、進退もままならない状況下で、現場状況を無視して出された解散命令に混乱をきたし、この日を境に多くの犠牲者を出すことになりました。

結果として、日本国から見放されたかたちの「ひめゆり学徒隊」の生存者たちは、集団自決を決行。

後に、ひめゆり学徒隊の女性徒たちを偲んで、沖縄県糸満市に「ひめゆりの塔」が建立されています。


【ビルマがミャンマーに国名を変更】

1989(昭和64)年6月18日、当時国内外で紛争が続いていたビルマが、国名を「ミャンマー」に改称することを発表しました。

《国名変更事例とその理由》
内政状況による政権の転換、独立、合併を機に、度々行われる国名変更。

近年では、
スリランカ:旧セイロン:1972(昭和47)年
ジンバブエ・ローデシア:旧ジンバブエ:1979(昭和54)年
コンゴ民主共和国:旧ザイール:1997(平成9)年
等の例があります。

また、日本国内と本国での発音の違いから、本国より要請されて名称が変わった、
ジョージア:旧グルジア:Georgiaの表記は変更なし、
上記の例もあります。

加えて、国名が似ているとの理由から、エスワティニ:旧スワジランドに変更された例もあります。
Swaziland:英語表記がスイス国の英語名:Switzerlandと似通ってるとの理由から、変更されています。


【海外移住の日】

1908(明治41)年6月18日、日本からの本格的な海外移住である第一陣船「笠戸丸」が、ブラジル・サントス港に到着したことを受けて、国際協力事業団(JICA)が記念日に制定しています。

このとき、日本からブラジルへ移住したのは781人でした。

移住は、ブラジルの広大な土地を農地へ変えることを目的に、国を挙げて勧められ、以後、日本から多くの人々がブラジルへ移住しています。


(以上、ネット検索より)

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