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7月16日は、駅弁記念日&清州会議が行われる&虹の日&外国人力士の日&阪急伊丹線が開業

【駅弁記念日】

1885(明治18)年7月16日に開業した栃木県の宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売されたとの記録があることにちなんで、記念日が設けられています。

記録によると、日本初の駅弁は、おにぎり2つに、たくあんが付いて、全部で5銭(現代換算約1,000円弱)でした。

上記とは別に、「弁当」という漢字の文字遊びと語呂合わせから、4月10日は駅弁の日として記念日が設けられています。


【清州会議が行われる】

1582年7月16日(旧暦:天正10年6月27日)、織田信長亡き後の織田家継嗣問題、領地再分配に関する会議が、清州城で行われました。

会議が行われた場所から、通称清州会議と呼ばれています。

清州城=愛知県清須市、表記に関しては「清須城」と書く場合もあります。

尾張国清洲城に織田家の有力家臣だった4名、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興が集まり、話し合いが行われました。

《織田家継嗣問題》
織田信雄:信長の二男、織田信孝:信長の三男が、互いに後継者の地位を主張し合い、平行線のまま決定には至らず。

そこで、清州会議にて羽柴秀吉が、信長の嫡孫である三法師(さんぼうし)を織田家当主に立てる ことで一旦は決着し、織田家家臣たちも不承不承ながら、これを了承しました。

柴田勝家

《織田家領地再分配》
三法師が当主となるも、まだ幼く、成人するまでは、擁立した羽柴秀吉が後見人となる旨も、合意を取り付けた後に行われた領地分配では、最も権力と実力もある大名である柴田勝家領を、三法師+秀吉領が逆転しました。

領地配分後:三法師+秀吉領>柴田勝家領

《結果的に》
当時、織田家家臣の中でも、特に羽柴秀吉の地位は低く、清州会議に参加することさえ疑問視されていました。

が、信長に謀反を働いた明智光秀を討った秀吉の功績や政治力もあり、秀吉の最も望むかたちで会議は終了したと目されています。

同会議にて、実質的に信長の後継的立場を得た秀吉は、以後、天下統一に向け、邁進していきました。


【虹の日】

虹は七色なことから、なな(7)い(1)ろ(6)の語呂合わせと、梅雨明け時期で虹が出やすいこととを合わせて、デザイナーの山内康弘氏が、7月16日に記念日を制定しています。

人と人、人と自然などが、七色の虹のように結びつく日にとの願いが込められています。

《余談》
日本では、一般的に虹の色の数は7色とされていますが、国や地域、人種によって色の概念感や視覚的に違いがあるため、
日本:7色:赤、橙、黄、緑、青、藍、紫
アフリカ(の一部):8色:赤、橙、黄、黄緑、緑、青、藍、紫
アメリカ:6色:赤、橙、黄、緑、青、紫
欧州(主にドイツ):5色:赤、橙、黄、緑、青
インドネシア:4色:赤、黄、緑、青
台湾:3色:赤、黄、紫
上記のように、虹の見え方や色の数にも違いがあり、同じ国の中でも、虹の色の数が共通してる訳ではないそうです。


【外国人力士の日】

1972(昭和47)年7月16日に行われた大相撲・名古屋場所で、ハワイ出身力士で、当時前頭四枚目だった高見山大五郎関が、外国人力士として初めて幕内優勝を果たしたことにちなんで、記念日が設けられています。

アメリカ・ハワイ州マウイ島出身で、本名のJesse James Wailani Kuhauluaからとった、ジェシーの愛称で親しまれた高見山関は、幕内優勝を受けて、翌場所には外国人力士初の関脇に昇進。

大相撲界初の外国人力士としてデビュー以来注目され、パワフルで豪快な相撲は多くのファンを魅了し続けました。


【阪急伊丹線が開業】

1920(大正9)年7月16日、阪神急行電鉄の十三駅(大阪府)〜神戸駅(兵庫県)間を繋ぐ伊丹線が開業しました。

「綺麗で早うて。 ガラアキで。 眺めの素敵によい涼しい電車。」をキャッチコピーに登場した阪急伊丹線は、当時主線だったライバル鉄道会社の阪神鉄道と、以後、運行時間、価格、サービスを含め、激しい競争を繰り広げていき、競走結果は利用者に還元される好循環をうみ出していきました。

(以上、ネット検索より)

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