見出し画像

私の生死観

私は生まれた瞬間に死にかけた。

だからって訳じゃないけど、子供の時からなんとなくあります。
それは多分祖母の影響もあります。

生まれた瞬間にもう死がついてまわります。
オギャーで死んじゃうかもしれないです。
突然事故にあって死んじゃうかもしれないです。
かと思えば、もう生きるの飽きたんだけどってくらいまで死なない人もいます。

うちの祖母がまさに「もう生きるの飽きたんだけど」でした。
50代で突然私の祖父である夫を亡くして、40年生きちゃいました。
享年92歳でした。

祖母の話すことはとても貴重なものでした。
戦時中のお話から、東京に上京するお話から、結婚までの話から、祖父の亡くなり方から、ひとりで40年生き続ける話まで。

それはそれはもう1本の映画になるくらいです。
代わりに小説書きたいくらいです。

とても苦労していた祖母だったけど、そのお話をきくのが好きな孫でした。
祖母は最後は「早く私を連れて行ってくれ」と言っていましたが
最後まで「ありがとう」と言っていました。

苦労の方が大きいのに、小さな幸せで「ありがとう」と言う祖母なのです。
お花を買って渡すだけで「そんなことしなくてもいいのに」と言い
大好きな生菓子を買ってくれば喜んでいました。

最後は施設で至れり尽くせりしてもらって「お姫様になった気分だわ」
と言ってぽっくりひとりで亡くなりました。

私も、そんな小さな幸せでいいんです。
道にお花が咲いてるの発見して、写真撮ったり
街中で綺麗だなと思った所を写真撮ったり
美味しいご飯食べたり
夜にゆっくり眠ったり

高級なブランド物が欲しいとか
高級レストランに行くとか
贅沢をしたいとか
そんなんじゃなくて小さい幸せちょこちょこあればいいと思っています。

でも、欲ではない譲れないことってあります。
想いだけは譲れない。アイデンティティとか。

それを、あーでもないこーでもないと周りがとやかく言う。
無理やりさせる。押し付ける。
自分のことじゃないからいくらでもできるんですよね。

でも決めるのは本当は本人で
本人が貫き通したいなら、それで良いんです。
それが本人の人生だから。
生き方を決めるのは本人です。

祖母の遺言は、
「死んだ人間にお金はかけなくていい。
生きてる人間にお金を使いなさい。
直葬でいいから棺桶にお花いっぱいにして燃やしてくれ。」
その通りにしました。

死んだら戻ってきません。
どこかにいるかもしれませんがわかりません。
故人のお願い通りにする。
生きている私たちの都合やエゴで送らない。

日本は仏教が多いから四十九日ってありますよね。
でも仏教じゃなかったら?
きっと、本人が残りたいと思ったら残ってて
もういっかと思った時に成仏するのかなって勝手に思ってます。

最後は灰になって、土に帰っちゃうから。
生まれる前に戻っただけなのかも。
お墓も関係なかったりして。
各々が想い出してればそれでいいんじゃないかなって思ったり。

祖母は苦労して、そして40年ひとりで老後を送り
生き抜きました。
生きている間は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないのかもしれないです。
いつか死ぬんだから、流れに身を任せて本人のやりたいようにやればいい。
悔いのないように。
生き方は人それぞれだなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?