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【🇩🇰フォルケホイスコーレ留学後🇩🇰〜便利な世界の中で失ったもの〜】


久しぶりに自分の中で感じたことを言語化したいとnoteに向かっています。
留学の前に私は、自分の考えや感じたことを言語化するのが苦手(特に文字に書くことが苦手)だった。

でも、少しずつ自分の思いを文字や口にすることでその苦手意識も薄れてきたし、むしろ、何か心の中で「モヤモヤ」を感じた時に文字に落としたくなる。

はい。という前置きは置いておき、本日は

「便利な世界の中で失ったもの」


をタイトルに文章を書いていく。





4月から新生活を迎えた私。
正社員としての初めての仕事、今まで家族に頼りっぱなしだった料理、洗濯、掃除等、家事を自分でするようになった。

便利な世界に生まれてきた私。
この社会は便利さをお金で買うことができる。
仕事で疲れて料理したくないなと思えば、スーパーでお惣菜を買うことができるし、外食だってすることができる。
大量にある汚れた服も、洗濯機、乾燥機に入れてしまえば、後は何もせずに待つだけ。
本当に便利だし、助かっている。

便利さとは、「時間を短縮すること」だと私は思う。
すなわち、『お金で便利さを買う=お金で時間を短縮する』ことだと思う。
忙しい社会で生きている私たちにとって、一見、時間を短縮することは必要不可欠のように思われるが、実際はそんなことないのではないだろうか。

ここ数年、縄文時代の生活の方が幸福度が高いのではないかと思うことがある。それは、『生きることに精一杯』だからである。これが、理にかなっているなら、生活の中で短縮すべきではない時間はたくさんあると思う。野菜を育てる、そして調理する。『日常生活の中に生きる喜び』はたくさんある。そして、その時間は短縮されてはいけない時間だと思う。

縄文時代のような生活に戻ることは難しいけれど、日常生活の中の1つ1つの行動を丁寧に、目の前にあるものを向き合うことはできる。そして、生活の中に「生きる喜び」を見つけていきたい。


久しぶりに自分の感じたことを文章に落とし込みました。少しわかりにくいとこともありますが、ここまで読んで下さりありがとうございます。

SEE YOU NEXT TIME WHEN I FEEL SOMETHING THAT I WANT TO WRITE
(また、文字におこしたいと思うまでバイバーイ!)



追伸:お金で短縮された時間で、また、時間を短縮するような便利さに触れる。こうやって、社会が加速していき、私たちはまた、忙しさの中で生きるのではないだろうか。


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