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なぜ夜の土手が好きなのか

なぜ夜の土手が好きなのか。

人間って人生で楽しいことや嬉しいこと、または悲しいことや苦しいことを体験すると思うし、それらを望んでいると思う。特に楽しいことや嬉しいことは尚更ね。

で、多くの人はそれを「現実で実現させたい!」と思うと思うんだけど、それって結構難しいし、何よりコントロール不能だ。
もちろんそのコントロール不能性が人生の醍醐味だし、味わい深いものであるとも言える。

しかし、日常的にそんなことを考えながら過ごすわけではないだろうし、上手くいかない現実に鬱憤が溜まる一方の時もある。

じゃあ楽しいことや嬉しいことってどうやって体験するか。
1つは、単純に日々楽しいことや嬉しいことを探し求めていくことだろう。
まぁこれが普遍的だと思う。

もう1つは、自分の思い出つまり記憶から引っ張り出すこと。 記憶を使って二重体験する。

思い出から引っ張り出すメリットは、まずコントロールが可能であること。
まぁ、自分が思い出したい時に思い出せる訳だから当然ですね。
あとは、記憶とは基本的に美化されている、ということ。
当時は辛くても、過ぎてみればいい思い出ということは案外多いし、脳は辛いことばかりを記憶しないように制御している、という話もある。

しかし、いくら思い出したい時に思い出せても情報が欠落し過ぎている。
人間には五感で情報を得ているからね。

ここでやっと、主題のなぜ夜の土手が好きなのか。って所に繋がるわけです。
因みに場所は土手に限らないとは思う。個人的に土手が好きなだけだから、それに照らして話を進めます。

まず、夜の土手には人がいない。何というか、寂寞感がある。
部屋に1人で居るのと、外で1人で居るのは全く違う感覚がある。
そんな違いもありつつ、独りで居られるのでとても落ち着いて思考できるし、記憶を自由自在に引っ張り出せる、素晴らしい環境なのだ。

さて、夜の土手で独りで存分に記憶を引っ張り出せたので、先程も言った五感でその記憶から引っ張り出した情報を補完して、記憶上の体験を現実に引っ張り出す。

まず、視覚。
夜の土手はとても綺麗だ。近所の土手は周辺より少し高くなっており(多分土手ってそういうものだと思うけど)高いところから夜景が観れる。
そこで見る夜景は、土手周辺の暗い部分と遠くに見える明かりのコントラストが、光と闇を表しているようにも感じる。
お陰で、記憶がより当時の彩りを携えて鮮明に浮かび上がってくる。
言葉で表現しにくいが、そんな感じで僕は視覚をハックしている。

次に聴覚。
これは、僕は音楽でハックする。
当時聞いていた曲でも良いし、なんとなくその記憶を補完できる曲を選ぶ。
現代ならイヤホンとスマホがあればどこでも音楽が聴けるから良い時代に生まれたなってしみじみ思う。

続いて味覚。
最近は禁煙ムード凄いけど、たばこ。
個人的に好きだからってのもあるけど、たばこって僕の中にある希死念慮を緩やかに満たしてくれる、というか何となく、有限である命を削ってる感覚と同時に、現実の不可逆性も感じさせてくれる。
その瞬間に生み出した記憶の情報を補完するのに適しているように感じる。
そんな感じで味覚をハックする。

残りの触覚と嗅覚は、ハック出来ない。
自分に合ったやり方はまだ見つけられてない。
でも逆説的に、その欠落感こそ記憶の断片感を醸し出すというか、どこか不足している感覚が、ふわっとしている瞬間に、現実と接続しているという感触を与える。

最後にまとめると、刹那的に都合よく記憶を引っ張り出し、夜の土手という環境に加えて夜景や音楽、たばこで五感をハックして記憶の情報を補完しつつ、寂寥感と記憶上の鮮やかさのコントラストで理想と現実、過去と今を感じつつ、ノスタルジックで楽しい気分を味わっています。

なので、僕は夜の土手に行くのが好き。
分かったとしても、わからない人が多い気がします。
この感覚が分かる人はきっと僕と良い友達になれます。

#なぜ夜の土手が好きなのか #夜の土手 #土手 #ノスタルジック #日常 #思い出の使い方

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