見出し画像

嘘の素肌「第24話」


 天井に取り付けられた丸いLED照明と目が合う。僕はブラウンのベッドスローに革靴を履いたままの足を乗せ、仰向けになって股座に女を沈めていた。女は着衣したままの僕の下半身から上手にペニスだけを引っ張り出し、呂律の回らなくなった舌で健気に舐めずっている。煙草が吸いたくなって、コーヒーテーブルに手を伸ばす。煙草よりも先に女が調子づいて飲み干したクライナーの空き瓶が指先に触れた。隆起した下腹部に熱が溜まっているが、射精の気配はない。頑張ってはいる。けれど女にフェラチオの才能はなかった。冷たい歯がたまに当たる。才能が無いのに頑張ることは無意味だと教えてあげたくなる。慎ましく奉仕することで得られるのは自己満足だけだ。女から響く下品な唾液音を誤魔化したくて、僕は煙草に火をつけた後はだらだらと言葉を紡ぐことにした。灰が顔に降ってこないよう、煙草を持っている手はテーブル上の灰皿に添える。「なあ、君は自殺について、予防すべきだと思うかい」女からの反応はないが、続ける。「例えば君の親友とも呼べる人間が突然自殺したら、君は狼狽するだろうね。で、その次に悲しむ。この悲しみという段階で終わる人が多いけど、ステージを進ませたら、自殺した人間への理解に務めようと動き出す者も一定数いるだろう。それはどうしてかわかるかい。自分が大切な人の心理状況や自殺に至るまでの苦しみを理解していなかった事実を、受け入れられないからだ。愚かで浅はかな自分を認められないから、必死に理解を渇望する。笑えるね。滑稽だと思わないか。だって自殺されてしまったら、今更何をしたって手遅れなんだから。後の祭りの分際で偉そうに僕や私があの人を救ってやればなんて、莫迦らしいよ。死んだ人間を理解しようなんて烏滸がましさは、残された側は一度捨てるべきさ。その代わりに、僕らは純粋な感情と向き合うべきだ。そう、自殺した他者ではなく、己の中に内在する自殺因子についてを。僕はね、人は簡単に死ねると思うんだよ。ああ、言葉足らずだったね。自殺が難しいってことは前提条件として、それでも自殺ってのは、自殺論理さえ整えば簡単に実行に移せる。例えばアメリカの自殺学者であるトーマス・ジョイナーが唱えた自殺の三大要因『自殺潜在能力の向上』『所属感の減弱』『負担感の知覚』が完璧に揃えば、誰だって今際ぐらいには立てると思うよ。でも僕はきっかけが大事だと思うんだ。これら要因をそつなくこなせるようになるほどの衝撃と狼狽。同じくアメリカの臨床心理学者エドウィン・シュナイドマンは『意識の停止』の概念について述べていた。人間は耐え難い心理的痛みを覚えると、それを解消する方法を模索する。しかしながら痛みを回避する最適解を得られなかった人間は、これ以上痛みが発展しないように意識を止めることを選択する。そう、つまり死ねば楽になれるってやつだよ。この意識の停止により、社会への適応を断絶し、自殺者としてのアイデンティティを確立していく。ここで最初の質問に戻るけれど、この凄惨な社会において、深く傷ついた人間が個人で自殺論理を確立し、実行に及ぶことを予防するのは果たして善かな。苦しみの中でも這い蹲って生きろと言ってるみたいじゃないか。ねえ、君はどう思う?」

 女は口内からペニスを剥がし、酩酊により半開きになった上目遣いで「ん、ごめん、ちゃんと聞いてなかった。も一回」と言った。僕は女の頭を撫で、唾液で臭くなったままのペニスを拭かずにパンツへ収めた。女が首を傾げていたので、財布から現金で三万円を取り出し手に握らせた。「僕は帰るから、ゆっくり休みな」有楽町のバーで一人酒を浴びている時に、酒の力で意気投合しただけの本名も知らない女。銀座のビジネスホテルへ流れ込んでみたが、灯りの下で女の顔をまじまじと視ると別に美人でも、魅惑的な女でもなかった。ただ、若さと遊びの作法だけを武器にした、退屈な女だった。

 無価値だと見切りをつけ、茫然と捨てられる女に颯爽と背を向ける。女の動揺を聴いていると勃起も収まったので、単身足早にホテルを出た。すぐにタクシーを手配し、赤坂までの住所を告げた。車内では、先ほど女に投げた質問に対する自分の回答を考えていた。流れていく夜の東京風景に脳が暈け、上手く解がまとまらないうちにタクシーは赤坂サカス内へ入り、TBSのほぼ隣にあるマンション前で停車した。タクシーの運転手へ「人に質問するなら、自分が答えを持ってなくちゃダメですよね」と、主語のない台詞を発しながら清算を済ませる。深々と帽子を被った中年ドライバーが「どうですかね」と曖昧に返したので、僕は意味不明な発言の謝罪をし、タクシーから下車した。肌寒い冷気が鼻先を殴った。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?