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嘘の素肌「第26話」


 冬の終わりが兆し始めた三月上旬、穏やかな春風と共に今月一回目のパーティーが松平によって渋谷で開かれた。圧倒的主催者根性の松平は多くて週に一度、現在自分が育てているクリエイターを酒の席に集わせ、意見交流の場を設けることに喜びを享受している。彼曰く「人間関係が狭くなりがちな傾向にある表現者同士を結集させることで、クリエイティブに必要な視野の拡大が望める」らしいが、真意はわからない。僕の目から視る松平の行動は、ただ単純に人間同士が触れ合うことで発生する不可逆的な事象を観察したいだけのように映った。その大きな一例としてあるのが、僕といずみだ。僕がいずみの部屋で暮らすようになった事実を仲介役の義理として松平に打ち明けると、彼は大いに歓喜した。インフルエンサーと絵描きでは共通点などほぼ皆無に等しいが、松平はいずみのパトロン的支援行為を後に「狙い通りだった」と僕に公言している。

「桧山みたいな自殺志願者のパトロンの正体が、世の中で明るく前向きなイメージを持たれてるいずみちゃんって構図がサイコーなわけ。桧山は画家だからわかると思うけど、この世の中で一番大事なのは構図だよ。異論は認めない。確度でも発想力でも再現性でもなくて、結局全ては構図が上手くいけばいいって話。桧山のパトロンにいずみちゃんほど美しい構図はないよ。超絶美男美女、二人の釣り合い過ぎてるルックスに相対する価値観の相違。桧山の描く『ディスコミュニケーション』でも暗示されているように、どこまでいったって男女は理解し得ない存在同士だろ。これ、一般常識。それでも、無垢ないずみちゃんは必死に桧山を理解しようと日々奉仕してる。可愛いよなあ。お前みたいなデカダン男を、本気で救えると錯覚してるんだもん。チョー莫迦だよなあ。大爆笑必須のカタルシスほど、人の涙と好奇心を誘うシナリオはないよなあ」

 他人への懐柔度が高い松平の人付き合いの巧さは会社員時代の僕を凌駕するほどでありながら、内なる他者への見下しはまさしく一級品だった。クリエイターによっては炎上商法を用いて伸ばそうとする荒いやり方から察するに、彼が目的を達成する為ならば手段を択ばず報酬を獲得する完全なエゴイストであるのは言うまでもない。「適応と拒絶が大事なんだよ」と松平は常々言う。「社会全体に適応する為に、自分がどんな形であればいいのかを視覚的、感覚的に理解するのは、やりたいことがある人間がやりたいようにやるには大前提必須条件なわけ。ただ、適応だけができる人間の行く末は順応しかない。それってチョーつまんねーでしょ。適応が順応に変わった瞬間、人間の表現力は終わりなんだもん。じゃあ俺たちみたいなクリエイターはさ、受け取り手の感性に適応しながら、与えられるものは賞美であろうとクソであろうと最大限に喜ぶポーズを取らなきゃいけない。それも、順応しない状態でね。だから拒絶が大事なんだよ。つまり怒りと蔑みね。侮蔑や憤怒を燃料に変えて、他者を腹の底で徹底的に拒絶する。勿論、最高のスマイルを演じながら。その適応と拒絶によって生み出されるシンギュラリティメンタルこそ、天下を獲る鍵になると俺は思うんだよ。だから俺は桧山に期待してる。俺に次いで他者への適応能力が高く、俺に次いで拒絶もデカい。そして、俺に次いで顔が好い。この星で一等賞になる為の素質、お前はちゃんと持ってるんだぜ。ま、自覚はなさそうだけどさあ。あ、ちなみに一等賞ってのは、俺が居なければ一等賞って意味ねっ」

 正直企みの多い男だったが、彼の指示通りに絵を描き、露出を増やすことで知名度が上がったのもまた事実だった。どこかフィクサーとしての自己陶酔が過ぎる点に目を瞑れば、優秀かつ論理的な頼れるメンターが松平颯馬という男だった。

 僕の「自殺は予防すべきか」という問いに対しても、出題者である僕よりも先に己の回答に辿り着いたのは松平だった。

「予防? んなもん大反対に決まってんじゃんか」

「どうして」

「死にたい奴は勝手に死ねばいいし、死にたいと思うまでの過程に面白いもんがあるなら、死ぬ事でしかそれは表現できないわけだろ。人から死という表現を奪う権利、誰にもねえよ。自殺の予防ってあれだな、義務教育とか受験勉強みたいだな。エデュケーションの本質から外れてる。とはいえ俺は、桧山みたいに自殺親和型じゃないぞ。究極、死ぬ事って面白いけど博打だろ。死んだら一生発言権を失うわけだろ。そんなん俺はまっぴら御免だね。そういう意味じゃあ、桧山の元相棒は死んで正解だったと思うよ。ギャンブル大逆転の大勝ち。桧山茉莉という化け物を作り出すのに一役買ったんだから、俺からすりゃ死んでくれてチョー貢献ってわけ。あ、莫迦にしてないからな。俺は今、才能ない表現者が最期の最期で才能関係ない自死って表現を選択するの、めっちゃ合理的って褒めてるんだよ。生産性のある自殺には美学も付加価値もある。だから頼むから桧山が死ぬんだとしたら、ちゃんと俺の武器になるように死んでくれよな。あ、約束、指切りゲンマンしとくか?」





 今夜の会場に選ばれたのは渋谷にあるシーシャーバーだった。夕刻、赤坂サカスのマンションでいずみからの送り出しを受け、僕は東京メトロの千代田線に乗車し表参道で乗り換えた。半蔵門線で一駅進み渋谷で下車した後は、松平から送られてきた出席者リストを閲覧しながら井の頭通りを歩く。グラビアアイドル。料理研究家。彫師。ネイルアーティスト。AV女優。舞台役者。シンガーソングライター。アマチュア被写体モデル。女癖が悪い松平が稀に気分で開催する、参加者が僕と松平以外全員女の会だったことに頭を抱える。そうなってくると、今晩の目的は決して意見交流などではない。僕が手を出す前、いずみは松平のものだった。女に困らない性分であろうが、新たなストックを物色したいが故、色とりどりの女を一堂に集結させ、観察し、選り好むのが松平の趣味だ。そのサポートを担う僕に対しては、報酬として松平が選ばなかった女がアテンドされる恣意な仕組み。クリエイターの交流会とは名ばかりの、ほとんどギャラ飲みに近い下品な空間に、僕はこれから足を踏み入れる。心では億劫さを訴えているのに、道中窓ガラスに反射した僕の口元に緩みがあってすこし笑えた。

 宇多川交番付近にある雑居ビルの外階段を上ると店の入口に辿り着いた。松平の名をスタッフに告げ、入り組んだバーの最奥地、完全個室のVIPルームに通された。扉を開けると、大きな部屋には壁を伝うようにして楕円型にソファが設置されており、そこに八人ほどの女が腰を下ろしていた。上座にあたる中央に松平の姿があって、僕は手招きされ、彼の隣にそそくさと座った。ラグジュアリーなオレンジ照明と薄暗い空間に、赤、青、黄と原色配置のシーシャが三台、白黒アーガイルチェック模様のテーブルに並べられている。

「桧山が来たから全員ですね。さあ、乾杯しましょう」

 手元には予め頼まれていたハイボールが既に用意されていた。松平が立ち上がり、乾杯の音頭を取る。女ばかりのせいで、部屋中女の匂いがする。香水が混ざり合った、フェロモンが擦れ合った猥雑な香り。僕は左隣でグラスを握る松平を下から覗き込んだ。彼のミルクティーカラーに染まったパーマヘアが、天井に近づいたことで更に発色よく輝いている。最近彼は更に色気づいて髭なんてものを伸ばし始めているが、甘い童顔マスクには正直似合わない。パープルレンズのサングラスも、ちょっと浮いている。

「本日はお集まりいただきありがとうございます。改めまして、写真家の松平颯馬です。皆さんは僕個人と関わりのある方々ですが、こうして僕を連結パーツとして優秀で才能に満ちた表現者さんが集まられたこと、とても嬉しく思います。初めて参加する方もいるので言っておきますが、実はこれはお堅い意見交流会ではなく、バカ騒ぎしながら表現のモチベを向上させる会です。酔えばきっと、自分の熱意の注ぎどころに対して語りたくなるのが表現者の性でしょう。だから、沢山飲みましょう。今夜は僕もこいつも一晩中空いてますので。どーぞ遠慮なく」女たちの視線が僕を一瞥し、笑い声が沸き上がった。松平は多分、ここにいる女には差異なく相当好かれているのだろう。飄々としているが、真面目と不真面目の塩梅と節度を弁え、個人間の付き合いを適切に行えている証だ。松平らしい、打算的な処世術の賜物。「じゃあ、乾杯!」

 松平がグラスを握った腕をテーブル中央に伸ばすと、皆が姿勢を前傾に倒しグラスを其処へと集めた。彼が中心とした場所こそが、世界の真ん中になるような、そんな感じで。僕は腰を浮かせたりはせず、顔の近くでグラスを傾けるだけで乾杯のサインを済ませた。一口啜ろうとグラスに唇をつけると、隣にいた女が「桧山さん、カンパイです」とカシスオレンジで迫ってきた。谷間が大きく露出した服装の、垂れ目顔の女だった。「ああ、乾杯」


 二時間ぐらいは経ったのだろうか。松平を軸として会話は弾み、盛り上がり、それに比例するよう酒量も次第に歯止めが利かなくなっていた。シーシャを咥えて爆煙を吐き出す褐色肌の女に、刺青だらけの女が旨いフレーバーを教えている。僕はシーシャに興味が無いので、ニコチン切れの荒々しさで煙草を吸おうとしたが、隣にいた狸顔の巨乳に「紙はだめらしいですよ。電子ならOKです」と手首を掴まれた。仕方なくキャビンレッドの八ミリを持って部屋の外へ出ようとすると、狸顔の女は「私もいくぅ」と立ち上がった。しょうもない。今、二人きりになるのは得策ではないし、そもそも僕はこの女に興味がない。テキーラを十杯ほど飲まされ、三半規管は既に狂い始めた我が身であっても、このレベルの女をどうにかしてやりたいという気持ちにはならない。いずみという最強の比較対象が脳裡に浮かぶ。いずみより魅力的に映らない女と過ごす時間は悲しいだけだと、昨晩の銀座で痛感したばかりだった。僕は何かを思い出したように再び腰を下ろし、松平に狸顔の女を押し付けるよう会話を流した。

「そういえばあ、美香みかちゃん何カップなんだっけ」

 僕から女を貰い受けた松平が、狸顔の肩に腕を回しながら訊いた。

「私Hカップです」

 女が腕を下乳に差し込み、豊満なバストをぐっと強調する。さわりたーい、そんな女の声が別のところから聞こえてきて、女が女の胸をノリだけで揉む時間が生まれた。いったい何が楽しいのだろうか。酔っている。酒があって女がいる。これからセックスをするかもしれない。でも、僕はこんな風に飲むのが本当に好きなのだろうか。いや、好きでも嫌いでもどうでもいい。酔えればいい。こいつらに期待など最初からしていない。松平に呼ばれたから顔を出しただけだ。セックスだって、松平が斡旋してくる女が僕で濡れるなら構わず抱く。それでいい、そういう人生でいいと四年前に決めたことを思い出した。

 僕が掌の中でジッポライターを転がしていることに気付いた松平が「桧山、煙草行こ」と声をかけてきた。ついて来ようとするじゃじゃ馬に対し松平は「男同士の作戦会議だからダーメ。イイ子にしてなさい」と軽くいなして部屋を出た。僕らがいなくなったあの空間は地獄だろうなと、扉が閉まり切る直前の静けさを感じ取ってそう思った。


 二人掛けのソファがスタンド灰皿の前に置かれている喫煙所で、松平は肘掛に項垂れながら煙草に火をつけた。男二人が腰下ろすにはさすがに窮屈そうで僕はソファには座らず、灰皿を挟んで松平の対面に佇んだ。

「疑問なんだけどさ、どうして松平はこうやって一ヵ所に女を集めたがるの」

 天井に取り付けられた剥き出しの排煙フードが、僕の口から洩れる煙を吸収していく。

「んー、質問の意図がわからねえ」

「いや、どの女もお前とは個別に関わりがあるんだから、お前の気分次第でどうにだってできる相手だろ。それぐらいの親密さと信頼が無ければ女もこんな会には来ないだろうし。それなのにわざわざ集めて、何がしたいのかなって」

 松平が太腿の上下を組み替え、ジェズアルドのスニーカーを纏った爪先をぐるぐると回す。

「競争だよ。桧山」

「競争?」

「そ。俺と女、例えば密室で二人で居るとさ、女も余裕ぶっかましちゃうだろ? 駄目だよなあ。走ること忘れた馬に乗る気にならねえから、すげえ冷めんのよ。競争心がないって、それだけでオワコンなのよ、人間としてね。夏目漱石先生も言ってたでしょ。精神的向上心のない者は馬鹿だって。松平颯馬大先生はもっと言うよ。精神的向上心がねえ女は白痴だってね。ほら、レースだって結局は構図だろ。自分が今何を武器としていて、横並ぶライバルに何が勝って、劣っているか見極める。俺に選ばれる為にどう戦うか思案しながら、色んな手段を用いて報酬を獲りにいく。適応と拒絶の真骨頂が、女の争いってわけ。そそるねー」

「趣味が悪いな、ほんと」

 立ち上がった松平が大袈裟な足音を鳴らしながらこちらに踏み込んだ。僕が咥えていた煙草を紫のネイルを塗った指先で勢いよく引き抜く。まるで尋問するような、悪徳な微笑みが彼にはよく似合う。

「死んだ親友の吸ってた煙草をこうして今でも吸うお前の方が趣味悪いけどねえ、桧山あ」

 煽るような視線を手で払いのけ、今度は僕がソファに座った。

「五月蠅い。それで、今夜は誰がレースに勝ちそうなんですか、松平大先生」

 僕の問いに「んー、真綾まあやちゃんが頭一つ抜きに出てるね。あ、刺青だらけの彫師の子ね」と答えた。

「意外だ。きつい顔してるし、スレンダーだからお前の射程範囲外かと思ったよ」

「俺はあの子とセックスがしたいわけじゃないんだ。あの身体に何が彫られてるか、裸にして知りたい、いや、撮りたいと思ってさ。まああの子、あんな雰囲気だけど以外に臆病で礼儀正しいんだよ。彼女が彫ったモデルさんの写真を撮ることで俺と真綾ちゃんは繋がったんだけど、仕事の際の報連相も挨拶もチョー丁寧でね。人は見かけによらないって感じ」

 目を瞬かせる松平が「でも、」と音を漏らした。

「でも?」

「でも真綾ちゃん、ウルフカットだったなぁ。俺が貰っちゃったら桧山怒るじゃん」

 僕の襟足をニュアンスする仕草で、短く切り揃えられた自前の後ろ髪を松平は触ってみせた。

「別に怒らないよ」

「えー、てっきりウルフカットの男は、無条件でウルフ女が好きだと思ってたな。意外っす」

「ああ」何食わぬ相貌で新しい煙草に火をつけた僕は「昔からウルフの女が嫌いだよ。視るだけで吐き気がするほど、ね」と笑った。




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