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嘘の素肌「第6話」

 ゴールデンウィーク明けの水曜に和弥から呼び出され、僕は仕事を予定より早く切り上げ新宿へと向かった。今年は連休を利用して何人かの女とは会ったが、行楽のようなものは一つも成さなかった。特別会いたいわけでもない人に会う惰性日記。先延ばしにした予定の穴埋めに時間を費やし、その素肌をコレクトするだけの毎日を過ごした。

 排他的な女との付き合い方に自分で呆れ始めると、僕は和弥と話したくなってくる。中学時代から一穴主義である和弥は、決して非道徳な態度で異性と関わったりはしない。その独特な雰囲気から一定層の異性には好かれ、恋人も何人か入れ代わり立ち代わりを繰り返してきた和弥だが、彼氏として誰かの傍にいる時期はなんともヴァージンに、他の異性と二人では食事にすらいかない潔癖な性分。僕はそんな和弥の価値観をこれまで、否定も肯定もしなかった。それは純粋に和弥が恋人の存在を重く考えている故の意識であったが、裏を返せば女というものを恋愛の枠組みだけで搾取しているように僕には映っていた。僕はひとりの女を心底、和弥の言葉を借りれば「最愛」というような感じで愛することができなかった。そもそも女である以前に一個体であろう彼女らの魅力を、ただ一つの恋で無下にできるほど僕は真面目ではなかった。恋にのみ盲目に、他の女を反故にするのは誠実でありながら、それまで僕を育ててくれた人との関係性においては、あまりに不躾な気がしてならなかったのだ。連休で僕は僕の生き方を肯定的にこじつけてしまったので、ここらで一度和弥に叱って貰いたかった。うるせえ女誑し。その言葉を心が求め始めたあたりで誘いが来たので、本当に昔から間だけは好い男だと嬉しくなった。

 最低気温が八度を下回る肌寒い五月の風を浴びながらアルタ前で和弥を待っていると、黒のセットアップを纏った和弥が僕の名を呼んだ。出会い頭、まず忘れないようにと和弥はポケットから銀行のロゴが入った封筒を取り出し、僕へ差し出した。封のされていない中身を確認すると一万円札が五枚刺さっており、「瑠菜の進学祝い、渡しといてくれ」と言われた。

「これくらい、自分で渡せばいいのに」

「会う気にはならないんだよ。遅くなったけど、ようやく貯まったから、頼むよ」

 フリーターの和弥からすれば五万は安くない。それだけの額を包むほど妹への思い入れや気遣いがあるにも関わらず、どうして顔を合わせないのか、その理由は何故だか訊けないままでいた。両親から半ば勘当され、実家に帰れない気持ちはわかる。しかし瑠菜と僕と和弥の三人で会うなら造作もないはずだ。それすら拒む和弥の心理には、一人っ子の僕には到底慮れない葛藤があるのかもしれない。

「さあ、今日はとことん飲もうぜ」

 あらゆる店がごった返す新宿の土地勘は、神奈川在住の僕よりも三鷹に住まいを持つ和弥の方があった。胃袋の気分を訊ねられ、なんとなくエスニックの口だったので僕らはタイ料理屋へ足を運んだ。五万を包んだ達成感からか、和弥と二人で酒をするには珍しく、飲み放題のない、店主も中東系の外国人がやっている金額中程度の店に入った。景気の良い和弥は好物であるトムヤムクンをメインに、生春巻き、ガーリックシュリンプ、タイのソーセージなどをオーダーした。初っ端のアルコールは二人でシンハーを貰った。和弥は連休期間中、バイトと創作という二足の草鞋をこなしつつ、僕の勧めたホラー映画を観に行くために一人で劇場に足を運んだそうだ。和弥はその映画を「七十九点」と評価した。高評価をつけた部分は大方僕の感想と同様で、減点箇所については「茉莉がキューブリックの名前を出したせいで比較しながら観ちまったから、それでマイナス二十一点」と教えてくれた。

 タイで親しまれている焼酎のボトルを勢いで入れてからは、僕も明日の仕事すら忘れ、二人で泥酔するまで酒を浴びた。雑多な呑み屋ではないから、吐いたりするような愚行は和弥も控えていた。呂律が怪しくなり始めた和弥にゴールデンウィーク中に会った女の話をすると、「お前は一体何を目指してるんだよ」と悪戯っぽく笑われた。

「別に何も目指してないよ。ただ誘われてたから、会った。それだけ」

「まあ需要と供給が成立してるなら問題ねえか」

「需要か。僕にあるのが不思議だけどね」

「茉莉は魅力的だと思うけどな」頬杖をつきながら箸で添え物のレタスを抓んだ和弥が言った。「健康な若者で、俳優みたいに顔が良い。常に余裕そうに視える一方で、自己を隠蔽するような影をも備えたミステリアスさ。あとは、相手に何も求めない、全部どうでも良さそうなところが、結局女にはウケるんだろうな。加えて茉莉は来る者拒まず精神で、全年齢射程範囲ときた」

「限度はあるよ」

 僕が回したロックグラスの中で、透明なアルコールの線が微生物のように煌めている。

「歳上からも可愛がられて、後輩からは先輩ぃって慕われる。それで恋人を作らない主義だからいつもフラットに、女の尻を追い回すようなダサさもない。誰かに自分の豊富な経験でマウントを取ったりもしなさそうだし、口も堅そうだし、寂しい夜の相手にしたり、相談にのって貰ったり、現実逃避の為に寝る相手として茉莉は最高なんだろうよ。セックスも上手そうだしさ。どうなんだ、実際上手いのか」

「知らないよ。他と比べられないだろ」

「女が比較するだろ。言われないのかよ、『彼氏よりイイ』とか」

「漫画じゃないんだから」

「漫画だよ、俺からすりゃ、お前の生活は。まあマイナー青年誌の打ち切り目前連載だけどな」

「馬鹿にしないで」

 僕が笑うと、和弥も同じ音で笑った。

「けどあれだ。そんなお前みたいな奴らがはしゃぎまわって汚しまくったベッドを綺麗にメイキングしてたら俺のゴールデンウィークは終わったよ。瑠菜の祝儀算出する為に六連勤入れてたしな」

「良いお兄ちゃん」

「バカにすんな」

 先ほどよりも大きな音量の笑声が、僕と和弥の間で破裂した。

 ここ数年の和弥には女っ気がない。それは創作において邪魔であるからと彼は言うけれど、そう思い込むことで女との乖離を苦の物体にしないよう必死な風にも見えた。最後にいつ抱いたという問いに、和弥は「覚えてねえけど、十七歳の子だった」と、冗談か本気かわからないことを言った。

「さすがに捕まった方がいい」

「んだよ。茉莉は未成年とそういうのなかったのかよ」

「あるわけないだろ。最低限の倫理観は持ち合わせてるつもり」

「倫理があったら子持ちの人妻と不倫しねえって」

「うっさい」

 隔てのない、親友らしい温度感で話が進む夜だった。いつもと違って僕が先に酔い、これから僕の知り合いでも呼んで二対二で飲み直さないかと提案したが、和弥から即時却下された。お前の手垢付きだろ。まあ、そうだけど。厭だね、俺が頑張って腰振ってる時、目瞑ってる女から「茉莉くんっ」なんて言われたら、俺はその女殺しちまうかもしれないから。僕のこと、そんな風に好きな人はこの世にいないから、大丈夫だよ。ほーら、女泣かせの台詞だぜ、それ。結句僕らは店を出た後、下品な焦燥をテンションで発散する為、風俗を探すことにした。最近の和弥は恋人がいない代わりに、たまに格安のメンズエステを利用し手淫で済ませているらしかった。新宿の繁華街で、僕らは案内所を頼らず自分の目利きだけで良さそうな店を探す。途中、和弥から受け渡された封筒の五万円が過り、胸ポケットに入ったその薄い厚みに必要以上の重力が乗った。不良で落伍者のふりをしているが、和弥はあの頃と変わらない。僕が仲介役となれば、再び瑠菜とも向き合えるかもしれない。

 立ち止まって和弥を呼んだ。風俗なんて行かずに、このまま瑠菜の元へ行かないか。そう提案しようとした矢先、数歩先を歩いていた和弥が振り返って「さっきの五万、高級ソープにでも使うか?」とほざいた。僕がさすがに笑えないでいると、「嘘だよバカ」と千鳥足で彼は先へ進んだ。



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