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嘘の素肌「第11話」

 今年度は新卒採用で春から会社に十名の新人が入社した。三、四年目の社員が一人につき二名を抱える形で研修上がりの新入社員を最低半年は教育するのだが、今年僕は新人教育から外れ、新設されたプラットフォーム事業部のSEOリーダーとして抜擢された。昨年に僕が中心となって取り組んだメディアディレクション業が追い風となったのだろう。自己評価と他者評価の差異に気後れしながらも、会社の新たな剣として身を粉にして働くのは、何者でもない僕の性には些か親和性が高かった。

 思い出すのは昨年度の新人教育。僕はそこで村上流心むらかみりゅうじんと出逢った。当時僕が担当したのは営業部の二名で、岡田おかだという内気な女性社員と、その相反に立つような、自己顕示欲が強過ぎる村上を受け持っていた。岡田は成績に伸び悩む半面、その完成されたルックスと愛嬌から一年で社内でのポジションを獲得した。噂では現在進行形で営業部長と不倫関係にあるそうだが、別に岡田と四十後半とは思えぬ精悍な部長ならサマになっているので、社内で批判的な声を上げる者はいなかった。

 村上は大学進学の際に鹿児島から上京し、学生時代は講義とバイトに勤しみながら、古くからの夢である作家を目指し日々奮闘していた。物を書くことがとことん好きだという理由で一昨年から我が社でSEO関連のライティングアルバイトをしていたこともあり、インターン生としての待遇含みで昨年入社した。僕は当時の村上と接点はなかったが、そこかしこから聞こえてくる「すごい奴がバイトにいる」という話題は耳にしていた。バイト時代の村上が書いた記事を僕も興味本位で一読したが、他の連中とは文章の切り込み方が段違いで、物事をそつなくこなし、社交性も問題ない点から、優秀というレッテルを入社直後から貼られていた。即戦力として扱われる村上の教育に僕をあてがった上の判断は、慢心かもしれないが最適解であったと今では思う。

 村上の長所は、ひっきりなしに考える部分だった。しかしそれが業務上では裏目に出てしまい、配属された営業部ではそこそこの成績を残したものの、そこそこ・・・・という部分が村上の中で大きな劣等を生んでしまった。教育担当である僕が新卒入社一年目で過去最高の営業成績を記録した事実さえ、彼を苦しませる要因に加担しているのだから、神経過敏で高望みが過ぎる気はする。それでも、村上はいつだって上司である僕をライバル視して、「自分もいつか、桧山さんに凄いって言わせますから」と鋭い眼光を常にぎらつかせていた。意欲的な新人に嬉しく思う反面、諸刃の剣である自己の貪欲さに首を絞められる村上が心配で堪らなかった。

 ハングリー精神の塊である村上に興と情が沸いた僕は、一年を通して何度も呑みへ連れて行った。その度に気づかされたのが、村上は覇気があった頃の和弥に似ているということだった。この世の全てを憎み、それ以上の愛を以て包んであげようとする、肥大化した理想主義者。地に足が着いていない、まるで理想肥満という一般からの皮肉にも怯むことなく、己を信じ歩み続ける。壁にぶつかると僕へ理性的な回答を求めにやってきて、苦悩しながらも主観と客観を整理し、前向きに結論付け、チャンスにアンテナを張り続け、次のステージを見据える。村上はそれを二十六歳の和弥以上に実践できる男だった。

 僕が和弥に村上の話をした際、「いいねえ。そいつは俺と違って立派なビジネスマン様なんだから、ちゃんと支えてやれよ、エリートセンパイ」と軽くおちょくられた。和弥と村上。似た者同士の二人。本来であれば村上は僕なんかより、和弥本人と直接話すべきだった。話の階層が同一の二人であれば、すぐに意気投合するだろう。

 ただ、今の和弥をみても、村上が畏敬を覚えない不安もあり、三人で会うような場をセッティングはできなかった。その証拠に、村上は和弥の話題を僕からされた時、「その人、本気で描いてるんですか。桧山さんの親友さんには悪いですけど、俺は本気で作家になる為に書いてますよ」と眉間を狭められた。親友の立場ですら口籠ってしまうぐらい、正直なところ現在の和弥からは「本気」が感じられなかった。頑張ってはいるのだろうが、可視化される成果があまりにも乏しいため、その努力指数のみで和弥の胆力を図るしかない。

 そんな和弥と、同じ表現者という枠組みだけで己を重ねられたら、血の気の多い村上は逆上するかもしれない。酒に逃げたり、弱音を吐いたり、近頃の和弥は凋落の一途を辿っている。破滅こそが創作の糧だと唱える和弥を、視るに堪えないと思う日が少しずつ増えているのも悲しいが事実だった。

 村上が僕の手を離れてからも、酒の席にはこちらから頻繁に誘った。「どうしてもしんどくなったらお前のこと最優先にするから、気兼ねなく声掛けてくれ」と念を押したが、村上から僕を頼ってくることは今年に入って一度もなかった。一昨日、営業部に村上の様子を伺いに行ったが、彼は僕を見つけるや否や電子タバコを手に取って喫煙所へ促し、細く煙を走らせながら、やはり覇気のある声で「俺、全然桧山越えを諦めてないですから。頼りたい気持ちより、負けたくない気持ちが強いんです。だから俺から声掛けたりすること、マジでないですよ」と笑っていた。


 新入社員全員が、いや、会社全体が村上のようになればいいと心から思う。あの頃の、最強だった頃の和弥みたいになればいい。自分の才能を信じ、努力を惜しまず、他人には優しく、己には厳しく。淘汰に委縮せず、一般を鏖殺する勢いすら秘めて、ただ愚直に今を生き、表現する。

 でもそれは結句僕のエゴで、世界の本質としては、できるだけ日々を楽に回したい人々が母数で占めている。僕だってそうだ。与えられたことをこなし、言われた通りに生き、たまに私欲を解放しながら、他人に懐柔して惰性で生きる。生殺与奪の権利を他人や憧憬に握らせない為に、必死に、莫迦のふりをして流されている。和弥や村上は違う。夢という不可視で博打なものに生殺与奪の権利を握らせている。だから強い。得体のしれない恐怖感と日夜向き合っている。心が壊れてしまうんじゃないかって程の、大きなものから目を逸らさずにいる。きっと彼らは眼底が圧し潰されても、絵を描き、物語を綴るのだろう。

 あれやっぱり僕は、この歳になっても未だ、何者にもなれていなかった。年齢は関係ないのかもしれない。何者でもない人間は、一生何者にもなれないのかもしれない。であれば僕はこれからどうなるのだろうか。仕事中に慊りない事ばかりを考えたその夜、僕は抱えきれぬほどの議論の種と鬱屈を内に秘め、麻奈美さんとの待ち合わせている池尻の店へ向かった。昨日から本格的な梅雨入りを果たした関東甲信越。傘を弾く雨粒の音に胸が鳴ったのは、やはり僕がその程度の人間だからだろう。





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