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嘘の素肌「第3話」

 二軒目の大衆酒場で僕は麦の水割りを、和弥は引き続き日本酒を飲んでいる。腹は満たされているので、肴には枝豆とえいひれ炙りを注文した。

「なあ、瑠菜は元気か」

 和弥に訊ねられ、僕は頷く。

「そうかぁ。元気ならよかった」

「珍しいね、瑠菜の話なんて」

「まあ一応、兄貴だしな、俺」

 和弥が大学を卒業してから、彼の妹である瑠菜と僕の関係は以前よりも良好なものになった。僕らより四歳下の瑠菜が抱えた病のことで、和弥は幼い頃から献身的な兄として妹を支え続けてきた。しかし、妹の存在すらも創作の弊害に感じ始めてから、和弥は瑠菜の相手をしなくなった。親友だった僕が和弥の分まで瑠菜を支えようとしているうちに、瑠菜からは「ほんとの兄貴は茉莉くんかもね」と言われるようになった。和弥は瑠菜と僕が仲良くしていることを微笑ましく思うらしいが、実際のところはどうでもいいような、そんな拙さが視線の動きからいつも透けた。

「ゴールデンウィーク明けからかな、就労支援施設に行くらしいよ」

 本来であれば家族間で共有されるような内容を、ほぼ芳乃よしの家から勘当を食らった和弥へ僕伝いで報告する。酒で舌を濡らした和弥が「そうか、立派だな」と笑った。肉親であるのに妹の進路を知らされなかったことへの悔しさもない、さっぱりとした反応だった。

「まあ瑠菜のことは任せたよ。俺は兄貴失格だし、茉莉のことを信頼してるし、何より最優先すべき絵があるからさ」

「わかってるよ」

 ——先天性無痛無汗症。芳乃瑠菜は痛みを感じない身体でこの世界に生まれてきた。日本には罹患者が三〇~六〇名ほどで、常染色体劣性遺伝の形式がとられる指定難病。妹がそのような病を抱えている傍ら、兄である和弥は健全な肉体で不便なく生活をしている。昔和弥から聞いたのは、両親は元々女の子を欲しがっていたらしく、女の子ができるまでは子どもを授かるつもりでいたらしい。夫婦の望み通り女の子として瑠菜は産まれたが、まさか世界的にも珍しい難病を抱えるなどと、両親は想定していなかったはずだ。

 この病において、癌や白血病のような直接的な死へのアプローチは皆無に等しい。症状としての大部分を占めるのは痛みの消失や、発汗の低下が齎す様々な弊害であった。例えば人から痛覚が消失すると、骨折や脱臼などの損傷に早期段階で気づくことができなくなる。無意識化で繰り返された怪我が影響し、連鎖的に骨髄へのダメージを蓄え続け、シャルコー関節という関節変形に至る場合も多い。発汗の面では体温のコントロールが難しく、高体温から熱けいれん、脳症を引き起こすケースも少なくはない。日本の夏は命取りの夏であるが、瑠菜にとっては冗談抜きに殺し屋の夏とも言えよう。

 以前、浅学な一般へこの病について知ってもらおうとインターネット上でコラムを書き、文章をメインとする媒体のSNSに掲載した。無痛症を題材にしたドラマで、殺人鬼が痛みを感じない故に、人を殺すことへの抵抗がない設定みたいにされていたのが気に食わなかったから、その怒りで書き上げたコラムだった。僕はかれこれ十五年以上も瑠菜を傍で視て来たけれど、彼女ほど心が傷つきやすい人はいない。痛みを知らないことは、痛みを考えることだった。直面する痛みから逃げる必要がないからこそ、痛みの本懐に意識を注げる人が、人を快楽によって殺すわけがない。主題に大衆の目を引くようなものを大々的に使い、広げた風呂敷で好き勝手するような奴が僕は嫌いだった。

 ただ、痛みを知らないということは、自傷との結びつきがおのずと強くなってしまう。痛いから逃げてしまえる行為そのものが、その好奇心の赴くままに実行され、抵抗感なく身体を傷つける。心の理論が発達しきる前の瑠菜には、自傷行為の癖が多く散見された。その他に、瑠菜は食事中に舌を噛んでも、それに気づくのが遅い。咀嚼物を呑み込むタイミングで、鉄臭い血液の臭いを嗅覚や味覚の違和感のみで感じ取る。紙ナプキンへ食べ物を吐き出すと、それが真っ赤に染まっていたこともあった。へんな味、へんな触感の延長線上に、僕らが忌み嫌う舌を噛む行為が存在している。それもあってか、虫歯の発見も遅い。彼女の奥歯は十五歳でほとんど銀歯に切り替わっているし、幼少からマウスピースで矯正したものの、人より舌を噛み続けてきた瑠菜の舌先は少しだけ短かった。


「瑠菜は俺より強い子だからさ、そもそも俺があいつの将来を心配することが杞憂なのかもな。今更兄貴面するつもりもねえし」

 少々投げやりに和弥が言った。十歳の僕は、クラス替えで和弥と親しくなってすぐ、彼から瑠菜の話をされた。未熟で不謹慎な僕は和弥に無痛無汗症を抱えた妹がいることすら、彼の特別さに磨きをかけている気がした。普段は落書き(これは彼の絵を卑下する意味ではなく、教科書や机に対して忠実な意味での落書きとして)ばかりして何を考えているのかわからないような男が、妹の相談をしてくる時、瑠菜が乗った車椅子を手押す時、怪我の応急処置をする時だけ、そこにある兄としての表情に移り変わった。彼が一番人間でいられるのは、瑠菜の傍に居る時なのだろう。

 僕はそんな和弥に憧れて、積極的に瑠菜と親しくした。運動が周りと比べて制限されている瑠菜の為に、芳乃家へ遊びに行っては三人でテレビゲームに熱中した。外出の機会が極端に少なかった当時の瑠菜はふっくらとしていて愛らしかった。自分にできる事とやりたい事の境目で、自分を上手く納得させて、希望的観測を絶やさない瑠菜は、努力と才能の狭間で絵描きになって飯を食うと断言した和弥の妹らしくて好きだった。

 終電の時間までまだ猶予はあったが、徳利に残ったお猪口一杯分の酒を煽った和弥は「描かなくちゃ」と何かに焦るように割り勘分の代金を置いて店を先に出た。別れ際に明日の予定を尋ねられ、「瑠菜と映画に行ってくる」と言えば、彼はやはり兄らしい表情を以て頷いていた。僕にとって瑠菜は、僕に宿る腐った人間性を唯一浄化できる装置だった。瑠菜と過ごす時間だけ、今でも僕は正しくあれる。その正しさに縋りたく思う反面、適切に湧き上がる根幹的な本能に陶酔した僕を僕自身が嫌いになれない節があった。瑠菜はその対象外だからこそ、安全な存在だった。それは彼女が女でありながらも、難病患者で、和弥の妹だからだろう。不躾でやはり不謹慎。それでも僕は、どれだけ瑠菜のことを想っても、それが性愛や恋に発展しない心にひどく安堵を得てしまっている。


 立川で和弥と別れた後、国分寺で暮らしている女に連絡した。会うのは三度目で、初対面の夜にセックスは済ませていた。今夜は不思議と、僕のことをいつかは棄てるであろう女に抱いて欲しい夜だった。何者でもない僕・・・・・・・が、女の欲求によって世界に必要な何者かになれる・・・・・・・時間が必要だった。酔っているのかもしれない。不純な動機をあえて臭わせながら「今から会えない?」と電話越しに伝えれば、すらりと背の高い三白眼の女は「じゃあうちおいで」と想定通りの返事をした。瑠菜との約束が正午二時からなので、始発に乗って帰る腹積もりで僕は電車に飛び乗った。途中、コンビニで避妊具とエナジードリンクを買った。



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