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サッカ・デシネ



「例えば私が闇に連れ去られ、隣で二度と目を醒まさなくても、貴方は庭に蒔いた種の手入れを疎かにしないで欲しい。

  いつか咲く花の為に、全てを投げ出せる貴方を私は愛しているのだから。

  私が贈った種なのよ、心配ないわ。

  たったひとり、私の絶命程度で狼狽えることは止して。

  時間が限られていようと、華やぐ世界はきっと貴方を待っているの。大丈夫よ。

  気怠い朝には、私の亡骸なんて無視をして、飄々とした輪郭で欠伸交じりに陽光を浴びて欲しい。

  寝癖を指の隙間で梳かして、霞む瞳で羽ばたく鷺を眺めて欲しい。

  如雨露を握る手から温もりが消えないで欲しい。

  平然と続く幸福の像が、貴方を包んで離さなければいい。


  ただ万が一、私の死によって訪れてしまった寂寞が影響して、蛇口を捻る力すらも貴方から奪うような事があれば、その時は、土に涙を遣って欲しい。

  貴方の涙よ。花は喜んで咲くはずね。

  そして、これは私の我儘だけれど、咲いた花には毎日喋りかけて欲しい。

  勿論咲き誇るまでの間も言葉は紡いでね。

  どうしてそんなお願いをするのかって、野暮な質問はナンセンスよ。

  愛しているのだから、当たり前のことでしょう。貴方、きっとうまく咲かせられるわ。私を嘘つきにしないでね。」



 なあ、メアリ。愚かな僕は今もこの街で、たったひとり、君との約束を守り続けているんだ。

 忙しない喧騒の朝でも、月冴ゆる夜でも、茹だる様な灼熱を嫌っても、寒苦に耳朶を痛めても、僕が花に水を遣るのを忘れた日はないよ。
 
  未だに萌芽しない庭土を見て、連中は僕を「嘘つきメアリの花だから」と莫迦にしているけれどね。気にしないさ。「貴方の心が覚束ないのなら、水の代わりにウイスキーを、酸素の代わりに甘い紫煙を与えてね。」誰が聴いたって、それで花が咲くなんて信じないだろうけど、メアリがそう言っていたんだ。

  僕が慥かに咲かせてみせるさ。琥珀に煌めき、刹那の意識に刻まれる芳香の花をね。信じておくれ。


 僕が花を咲かせたら、君の嘘は本当になるばかりか、きっと世界の奇跡になるだろう。

  嘲笑っていた連中の顔が蒼褪める様子が目に浮かぶよ。

  酔いどれの花弁は香るだけで誰かの頬を紅く染めるだろうな。

  そうなれば、全てが間違いじゃなかったと胸を張れる日も来るはずだ。


 メアリ、でもやっぱり寂しいよ。

  素直は苦手な僕なのに、どうしてかな。

  なあ、もしも再び君に会えるなら、その時は君がくれた花を抱えて迎えに行くよ。

  君は嫌がるだろうけれど、花には君の名前を付けるつもりなんだ。

  永遠に枯れてしまわぬよう、よりいっそう丁寧に愛してみせるから。

  メアリ、君の住む遠い国まで僕は歩くよ。修羅も茨も、怖くはないさ。ほら、君は嘘つきなんかじゃないだろう。

  君が花の種を与えてくれた意味を忘れてしまっても僕は、必ず咲かすと誓うから。美しき花の人。また、いつか、何処かで——。


sacca dessinée.

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