1月19日(水)〜1月25日(火)までの雑記
1月19日(水)
朝から整体。終えてから昼飯に悩み、渋谷まで戻ってTSUTAYAの上のブックカフェでよくわからないタコライスを食べ。食べながら、〆切ギリギリのコラム原稿に肉付けをする。骨だけ作って頭の中に寝かせている時間が長すぎると自分でも思うけど、自分はそんな感じでしか文章を作れないのかもしれないとも思う。階段を降りて本屋に行き、欲しかった本を2冊買い、バスの中で読みながら帰る。
1月20日(木)
中野駅で用事を済ませ、カレーが食べたくてターリー屋を覗いてみる。しかし今の自分がターリー屋の接客を受ける気分ではないということに気付き断念。そこから200mほど歩いたところでターリー屋のフランチャイズのような店ができているのを発見し、興味本位で入って注文をすると私の想像する理想のカレーが出てきた。あまりにもおいしくて嬉しかったので人生で初めてGoogleマップのレビューを真剣に書く。お腹いっぱい。自己満足。
1月21日(金)
新宿三丁目にオフィスを構えた友人にささやかなお祝いとお土産を持って会いに行く。伊勢丹の鈴懸で竹籠に入った立派そうな鈴の最中と小さなどら焼きを買い、向かいの中野マルイの2階のスターバックスで抹茶ラテを買い、シェアオフィスのフリースペースで一緒に食べる。寿美ちゃんと話していたら勇気が出て、伊勢丹の屋上で営業電話を2件掛けた。今年は雑誌の撮影を増やしたいという目標を掲げているけれど、なんで雑誌をやりたいのかについて考えたことは一度もないということにふと気が付く。なんでだろう?
1月22日(土)
先日撮影したデータのセレクトが来る。本データを作成するにあたりデータを見返し、ああこのカットが選ばれたんだなということを毎回思う。その中に1枚だけ、撮った瞬間のことを鮮明に覚えている写真があった。突然被写体の女の子が笑い出してしまい、しかしそこで撮ることをやめず、シャッターを切り続けた時の写真。見たことのない、素の表情。本名のその子が笑っているような写真だった。
写真という行為は一方通行で暴力的だし、私は彼女たちのことを消費しているのかもしれない。シャッターを切る前の、不安そうに斜め下を見る表情。そこから一瞬で「商品」としての笑顔になるその瞬間。ピンク色の背景紙。ひたすらに大きな面光源。写真を撮るとき必ず相手の瞳には自分が写っており、そのことについて時々考える。
1月23日(日)
夕方から夫と2人で四谷の喫茶店に新年の挨拶がてらフレンチトーストを食べに行く。2mくらいの距離を保ちながら2時間くらい喋り続け、あっという間に夜になる。
1月24日(月)
先日寄稿したコラムが公開される。自分が想像していたよりも多くの人から感想を貰えて嬉しい。夜、右腕と肩に痛みが出る。整体の先生に「りなさんは筋トレよりもピラティスかストレッチ」と言われたことを思い出し、お風呂上がりになんとなくストレッチをしてみる。自分の身体は自分のものだけど、操縦席の中にはまだ触ったことのないボタンがたくさんあるように感じる。
1月25日(火)
タクシーで緊急病院へ行き、焼肉を食べ、のこぎりを買って帰ってくる。文字にすると破茶滅茶な1日。先日撮影した写真が公開され、なぜか被写体のファンの方たちから私宛のお礼のメッセージをSNS上でたくさんいただく。被写体の女の子たちの配信動画をなんとなく見ていると、私のことについて話してくれている子が1人いた。そしてそれが、媚びているわけでもなく、特別感謝をしているというわけでもなく、あくまで自然に「今回の写真も全部良くてすごいなって思ったしさすがりなさんだと思った」と独り言のように言っていたのが嬉しかった。あまり喋ったことのない女の子。私のことを信じてくれているというのがなんとなく分かって、私も写真を撮るときにその子たちのことを信じているから、なんかそれが嬉しかった。信じるって、勇気が要る。あの時勇気を出してよかったなと思うことの繰り返しで人生はできている。昔の日記に書いた言葉。そのことについて思い出す。
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