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同士へのエール

一枚の写真が送られてきた。
それは、瞬間的に認識できるような私の中の日常には無いモノで。
写真の後にはこう続く。
まじイライラする
こがんことするやついらん(こんなことをするやついらない)
しね
ごみが
・・・4児の母である娘からである。
毎度ながら、強烈な本音をぶつけてくる。

何が起きたのか?
何のことなのか?
私には、全くもって理解できない。
ただはっきりしているのは、
娘の怒りが頂点に達していること。
そして、おそらく鬼の形相で怒りに任せて罵倒している娘に
泣きじゃくっている孫の様子が目に浮かぶ。

さて、何が起こったのか?
アップルウォッチの充電器を孫にハサミで切られてしまったようだ。

一歩引いた所からすると
そんなことで怒っても…ハサミの置き場が悪いんじゃないの?
といった風な正論をぶつけたくなるのだけれど。
当事者というものは、そんなそよ風の吹く場所に立っている訳がないのだ。
地面から吹き上げるような風が怒りの炎に勢いをつけていく。

びっくりした顔の絵文字で返信すると
「そんな絵文字なんかであらわせんけん!(表せないから!)」
そうなのだ。
そんなモノで表現できるほど単純な怒りではないのだ。
かつて私もその思いを経験した。

「たしか。。F(弟)も同じぐらいの頃にテレビの配線を切ったよ!」
と経験談を続けると、
「だから、何?そんなの許されんけん(許されないから)」と即答。
これは、しばらくほっとくしかないな、と思った矢先に末っ子登場。
いきさつを話すと
「あ!俺も保育園の時におかんの携帯の充電器を切ったことあるね!」
何故か得意げな暴露。
しかしながら、私にはその記憶がない。
ただ、更なる経験談を手にした私はすかさず娘に伝えた。
当然ながら、怒りが鎮まるはずはない。

ーこっちは金を稼ぐ為に働いているのに、何度も無駄に買いなおしばっかりしたくないし!

歴史は繰り返す。
よく言ったものだと思う。
かつて乳幼児の母だった頃、今の娘とほぼ同じ心境だった。
この終わりのない毎日がいつになれば終わりが見えてくるのだろうか?
この無駄ばかりの繰り返しがいつになればなくなるのだろうか?

目の前の子を産み、育てるという固い決心は確かにあった。
ここには偽りはない。
ただ、
予測不可能な些細なことの積み重ねに
時折、
こんなはずじゃなかった…と心を押しつぶされそうになったことも、正直に言うと、偽りなくあった。

今日もひとつ同じ経験が増えたね!などと娘に今伝えたところで
怒りの出口が分岐するだけだろうから落ち着いたら話そうと思うけれど。

まあ、あなたよくやっていると思いますわ!
やっぱり私の娘ですね!









#創作大賞2023 #エッセイ部門

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