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人生最大の絶不調は変化のチャンスでしかない②

①の続きです。

あの日のお家から見えていた東京タワー。

前回の記事では、結構ありのままドロドロっとしたものを一気にドバーっと放出した感じがしますね。自分で読んでいて痛々しかったです。とても。そしてあの日の自分に言いたくなります。「がんばったね、ものすごくがんばったね。でも、ものすごく痛々しいね。そんながんばらなくていいんだよ」ってね。

自己啓発は薬にも毒にもなる。

私は長年鬱病や過食嘔吐などのメンタル疾患でした。ただし、病院嫌いなので「診断」を受けて「病名」を貰ったわけではありません。向精神薬などは一切飲みませんでしたが、実情はかなりやばかったです。やばさを必死に隠していましたが、それがさらにやばかったと思います。

そんな私が出会ったのは、一冊の「がんばらない系」の本。

がんばらなくて、いいんだよ。

はっ。

私が自己啓発の先生から、いちばん初めに受け取ったのはがんばらなくていいだったということを今思い出しました。

あれ、おかしいな(笑)

先生のがんばらないでいいんだよ系の著作を読み、涙が枯れるまで泣いた私は、先生に会う方法をとして、出版記念の会に参加しました。そこで初めて先生に会いました。がんばらなくていいんだと言うことを言ってもらいたくて。

その頃の自分は、一週間先の予定も入れられない状態。約束した日は元気でも、当日が元気な自分かどうかわからなかったのです。それくらい、エネルギー的にどん底でカラカラでした。

あー、面白い。どんどん思い出してきたぞ。

がんばらなくていいよ・・・よくがんばったね・・・・・と言われたい、がんばらなくてもいい理由を知りたい、その本を出した先生に会いたい・・・その一心で、千葉の田んぼの中からはるばる東京の品川までやってきた。

ところが、その場所にいたのは、とってもとってもがんばって「成功」している「自己啓発」の先生だった。

私は、その先生を一目見たときに、その圧倒的なキラキラした成功者のオーラにショックを受け、「誰でも思うように生きられるんだよ」という「成功者の話」と、いかに先生が「がんばってきたか」の話を聞き、「自分もあんな風に自分の思う通りに生き生きキラキラと輝いて生きたい。鬱でメソメソして動けない自分なんてもう嫌だ!」と思ったのです。

あのね、今わかった。スタートが間違ってた笑

「がんばらなくていいよ」の話を聞きに行ったのに、「こんなにがんばって成功しました。あなたも頑張れば成功できる!」という話を聞くことになり、鬱と真逆の世界観に圧倒されて血迷ったんだ〜。

私は「これ以上頑張りたくなかった」のに「もっと頑張れどんどん頑張れ」っていうルートを選択してたんだね。

超ハードモード!やっベー!

しかも、これ以上ないくらい頑張る先生。業界の中で、あそこまでやる人はなかなかいない、あの人は本物だ、と言われる先生に師事してしまった!

先生の「頑張る」は本物だった。

だから私も引き込まれた。鬱なのに。動けないのに、振り絞ってがんばった。

その頑張りはいつの間にか「こんなに頑張れた自分」という自己陶酔に変わって行ったのだと思う。「幸せ」とかじゃなく、「こんなに頑張ってる自分すごい!ドヤ!!」だ。

こんなに(辛いのに)(お金ないのに)(借金してまで)(睡眠時間削って)頑張ってる自分すごい、素晴らしい、輝いてる!

(あの人より)頑張ってる!(あの人より)すごい!ドヤ!!

上記を、「事実」として見るなら、

・辛いことをしている

・やっていることが辛い

・お金がない

・お金がないのに借金までしている

・睡眠時間を削って体調を崩している

・頑張りすぎてちょっとおかしくなっている

自分の感覚を失っているから、他人と比べることで見下したり見下されたりして安心しようとする。そして落ち込む。自分の持ってないもの、あの人が持っているのに自分が持ってないものを比べたりして。

「やらなければいけない」「頑張らなければいけない」は「やれなかった」「頑張れなかった」と自己否定につながる。

さらに「成功することを目指して頑張る」わけだけれども、「自分にとっての成功とは」というゴールが全く見えていなかった。「億万長者になる」とかいうありがちな成功像を見ようとしていた。

自己啓発が悪いと言っているわけでは全くない。

方法論として合う、合わない、があり、私には結果的に合わなかった。

合わなかった、というのも正確性に欠ける表現で、「私はその方法を永遠に続けることはできなかった」ということ。

合わなかった、でも、一時的にとても必要な方法だった。

これまた結果論だけれど、あの時、あんな風にエネルギー切れになるほどまでに痛々しく頑張っていたからこそ感じたこと学んだことは沢山あって、まあ、「やらなくてもよかった」っちゃそれまでなんだけれど、でも、「おかげさま」と思えるようになったから、よかったんだと思う。

鬱病っていう暗闇のどん底から一気に抜け出るにはいい薬だと思う。

ただし、容量注意、やめ時注意、だ。

先生と私は「背景」が全く違う。生きてきた世界、生きてきた内容、全然違う。なのに「同じ方法」で頑張ろうとしていた。

便秘の人に下痢止めを、下痢の人に下剤を飲ませるようなものだ。

用法、容量、を間違えは、どんな良薬も毒薬になる。

一時期、先生とまともに関われなくなり、自己啓発系の人たちとも自分的に距離を置いていた。

何より、先生にはセミナーとかに行かないと会えないし、セミナー行くと自己啓発空間が居心地悪くて辛くなるから行きたくない。

でも、これを書き終えた今なら、なんか、私は私、あなたはあなた。という感覚になれてると思うから、自然に、必要な時期が来れば会えそう。

相手も自分も責めないで大丈夫。全部必要だったと思える今なら、大丈夫。

とにかく、大ピンチは、「変わる」チャンス。

なんでピンチかというと、「思い」「本音」と違うことしてるからなんだよね。

そこで「自分に合ったやり方」を選び直せると、チャンスなんだ。

ゆるっと、楽っと、ふわっと、「自分が幸せだと感じる生き方」へのルートチェンジのチャンス。




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