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上手に頼ろうとすると頼れなくなる。

訪問看護師をしておりますわたくしですが、7月のはじめに、「ヤバいよヤバいよー、鬱に片足突っ込んでるよー」ってことを書きました。今日は7月22日。その後の3週間について書けそうだから書いておこう。

「言える」ことの想像以上の効能。

現状の大変さは変わっていません。変わらないというか、会社の方向性がまた変わることになったり、ありがたいことに新しいお仕事をいただいたりで余計複雑だったり忙しさを増したり。さらにはこの暑さですよ。この暑さの中、毎日毎日朝から夕方まで自転車自転車自転車。日差し対策はしておりますが、とにかく暑い。わけが分からなくなるくらい暑い。体力もやる気も何もかも奪われていう感じです。南国の人がなんくるないさーになるのわかったよ、だってこんなに暑いともう何もしたくなくなるよ。

そんな中で自分にとって「変化」になったのが「言う」こと。

本当はね、もっと頼れたらいいと思うのよね。でもさ、人に頼るってもっと冷静だったり余裕がある時にできることなんだよね。「これとこれをやってもらえたら少し楽になるからAさんに頼もう」って、頼む前に頭の中で色々シュミレーションしてるんだね。疲れ果ててくるともう、そのシュミレーションが出来ないから、誰にも何を頼むかさえ考えられなくて、走り続ける事になり、ある日突然倒れるパターンが起こる。こうなってたらヤバかった。

「ちゃんと頼ろう」とすると頼れなくなる。そんな時は「助けてください」だけでいい。

私は管理者なので、私の上司は経営側の人間になる。その人にずっと「もうヤバいよヤバいよ、私もう限界だよ」って伝えてはいた。その都度言われたのは「じゃあ、どうして欲しいの?」って言葉。

これはねー、「トドメを刺す言葉」ですね。

もうね、どうしていいか分からないのよ。だって、八方塞がりなのは本人が一番わかっているんだもの。

・スタッフが緊急入院中・もう一人のスタッフは新人・さらに新人スタッフも足の具合悪くて無理させられない・毎日マックスの訪問で気力も体力も保たない・利用者は増える・他の職場も忙しくてヘルプに来られない・ずっと募集してるのに新しい職員が決まらない

どうして欲しいのと言われたら、「今すぐ働ける職員を配置して私の訪問を減らして欲しい」ですよ。

だけど社内でヘルプは無理、新しい職員も来ない。どうしようもないってわかってる。頑張るしかないってわかってる。と言うか頑張る以外思いつかない。

そんな状況で「どうして欲しいの?」って聞かれたら、何も言えなくなる。言っても無理ってわかってるし、その他の具体案が出ないから、要求できないんです。

言うだけ言って、言ってもどうにもならないって事を感じて頑張る・・・みたいなのの繰り返しになってたの。

でも、何度目かに、私、キレた。笑

「どうしたいって言われても、どうしたらいいか分かんないくらい限界なのー!!もう無理だってずっと言ってるじゃん!!自分がいちばん分かってんの!心も体も限界だって!」

これはね、「管理者として無能扱い」される恐れよりも、危機感がまさった気がする。それで言っちゃったんだと思う。この人に言ってもどうにもならない、助けてもらえない、それでも言わずにいられない、そんな叫び。書いてて思ったけど、やっぱり「できる管理者」って思われたい、評価されたい、って思いがあったんだねえ。

そんな評価よりも健やかに生きられることの方が絶対的に大切だとわからせてくれましたね、この限界の忙しさは。

この叫びが今までの訴えより響いたのか、エリアを越えた場所からヘルプのナースが来てくれました。やっと「本当にやばい」と思ってくれのかしらね。(遅いよと言いたい気持ちと、ありがとうの気持ちの複雑な感じ)

ヘルプに来てくれたナースは訪問を代わりに行ってくれるわけじゃないんだけど、手をつけられていなかった大事な業務を引き受けてくれる事になり、それによりとても気が楽になった。どうやらその業務を見ないようにしていたらしく(逃避)見ないようにしていても背負ってはいたようです。

あと、気づいたことがあります。

鬱っていうか、単なる過労では?疑惑。

自分の中の「鬱チェックメーター」が振り切れてる状態だったので、やばー鬱に片足突っ込んでる!!って思ってたんだけど。(朝起きれない、物事が決められない、食事を作れない、夜お風呂に入れない等)

そう思うことで、さらに綿密に繊細に自分を俯瞰するようになったんです。今の自分がどんな状態か、常に自分に問いかける、観察する。体調とか思考とか。

そうすることで、これは・・・・過労?働きすぎ??って思った。なんでもかんでも鬱って思っちゃダメかも?と。

こんなに働いて疲れ果てるの久しぶりすぎて忘れてたし、自分の事を「鬱前提」で考えちゃってたかも、と。

そりゃ、こんだけ働けば疲労するし、仕事以外何もできなくなるよね、と。それに気づいた時点で、過労から無意識に鬱に突入することはなくなりました。ここで立ち止まって自分を俯瞰できるかどうか、俯瞰したときに限界に気付いて休んだり助けを求められるかどうかが、とても、大切ね。

「もうダメかも」って、「言葉の保険」ですね。

スタッフにも「何かあったらよろしく頼むよー、それまでは頑張るけど」とか言えるようになった。笑えるようになった。笑ってもらえるようになった。

「大丈夫なふり」するのって、周りから見たら痛々しかっただろうなと。

次はね、スタッフに頼る、をがんばってみようと思うよ。

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