死にたくない

養老天命反転地に行った時の話。

俺の大好きな場所。聲の形の聖地と分かってから2度美味しい。11月友達と岐阜旅行に行った時、目的地もあまり決まってなかったから皆をそこに誘導した。なかなかいけないところに旅行を使って友達と行けるのが嬉しかった。
着いた。
「前行ったのちっちゃい時やしな。(ヘッ)」
少し知らないふりして心の中ではすごい楽しみだった。

受付の前で、
「金とんの?」
1人が言った。友達は価値を見出せない場所らしい。まあ悪いやつじゃないし大好きな友達だから全然不快ではなかったけど、寂しかった。とりあえず入ることになった。

中はぐっちゃぐちゃで平衡感覚が狂う。不便から生を実感するみたいなコンセプトだった気がする。正直100%共感できるわけじゃないけど美術の身体鑑賞って感じで楽しいんよな。

「なにこれ。」
「しんどい笑」

z世代め。身体に染み込ませろよ、この不自由を。そそくさと皆が足を進める。なんだか俺だけ浮いてるようだった。楽しいのになあここ。

「お腹空いた」

まだ見てない場所もあったが、皆飽きて体も疲れてたみたいなので行動を合わせる。有料エリアを出る。なーんか悔しいな〜。

屋台が並んでる場所があったからそこで小腹を満たす。
あまりにも養老天命反転地が友達たちには謎だったようで、話題になる。

「ここってなんのためのなになん?」
「この焼きそば美味しい」

その流れで俺もついに言ってしまった。

「ほんまになんなんやろうな笑」

やってしまった。やってしまった!思ってもないのに好きな作品を蔑む発言をしてしまった。敬虔を欠いた。自分に嘘をついた。居心地の悪さに負けて嘘をついた自分がすごく嫌になった。

建前を嫌う自分が、嫌う側にこんなにもあっさりなってしまえることが、情けなかった。それからというものその旅行はちょっぴり元気がなかったと思う。

その場の空気に合わせるために本心とは違う建前を言う場面は生きてて少なからずある。
就活なんて顕著だ。

「御社が第一志望です」
並列していろんな会社を受けるのが当たり前だ。受けてる会社ここだけ!みたいな顔してる人の方が就活生として計画性がないし信用できない。どこにでも第一志望って言いふらしてる人間、欲しいのか?

「学生時代に力を入れたことは…」
力を入れたんじゃない。やりたくてやったんだ。俺の愛する知的財産を内定もらう道具として扱いたくない。

「それガクチカに使えるやん」
「そのエピソード志望動機に落とし込もう」

わかる。わかるよ?自分と会社をイコールで繋ぐ作業が就職活動で、原体験とかが説得力持ちそうなのもわかる。ただその原体験こそを俺は尊重はしたい。

言葉を変えて志望度が高い、能力が高いことを伝え、かつ自分と会社のイコール関係を作れないだろうか。
「この子志望度高いな」
「この子能力あるな」
「ウチとあってるな」
人事に思わせれば勝ち。けど、簡単なのは
「第一志望です、ガクチカは、」
だ。

俺はこの行為にハードルがある。ガクチカという言葉に落としたくないから。思ってないこと言いたくないから。言ったら自分の死が待ってるから。死にたくないから。

死にたくないのは皆共感してくれるだろう。
死とは命がなくなること。うんうん、皆嫌でしょ。怖くて仕方ないでしょ。

俺にとってそれは俺の個性を黙らせた時。他人と同じ形状に自分からなった時。俺は岐阜で一度死んだ。必死に取り戻した自分の輪郭をもう崩したくないし、この輪郭の居心地がすこぶるいい。死にたくないんだ。

死にたくないんだ!

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