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父との思い出

昨日は父の命日でした。昨日のうちにnoteを書こうと思っていましたが、涙が出てきてしまい、今日になってしまいました。

父が亡くなったのは58歳でした。私が学生の頃、その数年前からそれまで仕事を休んだ事のなかった父が突然体調を崩して、入退院を繰り返すようになりました。

あと数年したら定年を迎えるはずでしたが、倒れてから亡くなるまでの間、どんなに苦しかった事か。私は必ず元気になると思っていましたが、今思うと私は現実を認めたくなかったのだろうと思います。

一番上の兄が結婚したのは父が入院していた時でした。きっと出席したかったでしょうけれど、体調が思わしくなく残念ながら欠席しました。私は最初の旦那さんと結婚が決まっていましたが、父が元気になるのを信じて待っていました。段々体が弱りやせ細っていく父が、ある時私のお腹を見て言いました。「赤ちゃんできたのか?」と。私はとてもよく食べるので、それで太ってしまい「違うよ、食べ過ぎて太っただけ」と笑いながら答えました。そう答えるのが私の中での精一杯でした。それから半年もたたないうちに父は亡くなりました。我が子の結婚式を一人も父は見る事が出来ず、今思うと「なんで嘘でも生まれるよって言わなかったんだろう」と思います。

私と兄達は少し年が離れていて、私が物心ついた時は、母も兄も父の事を嫌っている記憶しかありません。母の「家は母子家庭だから」という口癖、父は休みの日は家でゴロゴロしていた記憶しかありません。今思うと、だいぶ昔から父は心身ともに疲れていたのではないかと思います。朝から晩まで私達の為に必死で頑張ってくれていたのだろうと思います。

いつも無口な父が思い立ったように「ラーメン食べに行こう」と言ってきた事がありました。車で5分ほどのラーメン屋に行くのかと思いましたが、方角が違うし不思議に思っていましたが、高速に乗り始めたので「え、どこ行くの??」と聞いたら「いいからいいから」と楽しそうにしていました。冗談を言ったりして数時間後ついたのは新潟県の「寺泊」。そこで蟹ラーメンを食べました。きっとテレビで見て食べたくて仕方なくなったんだろうな。父は突然思い立ったようにどこかへ行く事が時々ありました。楽しかったなぁ、もっといろんな所へ連れて行ってもらいたかったし、一緒に過ごしたかった。

父は太陽星座射手座もためか、楽しい事が好きで、理想や目標をもって突き進む人のようでした。家では無口でしたが、会社ではとても明るかったという事を聞いたことがあります。あまり威圧的にいうタイプでもなかったのできっと「早く気付いてほしいなぁ」と私達に願い、ずっと見守っていたのだろうと思います。

父が亡くなって、心から「申し訳ない事をしてしまった」と思いました。家族としてもっと父に寄り添えたのではないかと感じ、「私に何が出来るだろうか」と考えた結果、「父のように心身の疲れをためて病んでしまう人を減らしたい」という気持ちに至り、リラクゼーションの仕事に就きました。

全くの未経験から入った私は本当に大変で、いろいろな事がありましたが、諦めずに続けてこられたのは「父への謝罪と感謝」の気持ちからです。

その後もずっと「父は何を伝えたかったのだろう」という事を考えてきましたしこれからも考えると思います。星よみで誕生日は「取扱説明書」と言われています。その事を知ったから星よみとタロットに惹きつけられました。星よみとタロットのお陰で、私が感じてきた疑問、ぐちゃぐちゃに絡み合った糸が少しずつほぐれてきたように思います。

多分父は、「ようやく自分で気付いたんだね。よかったよかった。本当に大切な事は何なのか、きちんと考えなさい、ずっと見守っているから」と笑っているのだろうと思います。お父さん、楽しい思い出をありがとう。いろいろ気付かせてくれてありがとう。

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