カウンセリング6回目、気づき
今朝も8時からカウンセリング。
前回のカウンセリング後は疲れ果てて
終わってから一日仕事にならなかったこと、
自由に話してと預けられると
正直何を話したら良いのかわからないことを伝えた。
私は生粋の陽キャだ。
いや違うか、陽キャぶる陰キャか。(どっちでもいい)
とにかく、友人や仕事仲間、初対面の人が相手でもどんだけでも話を広げられる。
講演会の場にだって何度も立って
笑いをかっさらったりしている。
それとこの場(カウンセリング)では決定的に違うのだ。
相手ありきで話を盛り上げるのと、
自分だけにフォーカスして内面を掘り下げていく作業は。
するとカウンセラーのKさんはこう語った。
「たとえば、日常について投げかける手法は正直あります。日常生活に支障をきたしてる場面ではそれも有効でしょう。
でもうみさんは、辛い感情に蓋をして、あるべき姿であるようにきっちりと生活をマネジメントしている。
だから日常を尋ねれば、うみさんはきっと淀みなく話されるでしょう。
ただしそれはうみさんの考えに触れることはできても、うみさんの悩みの本質には触れられない。
少しやりかたを変えてみましょうか。」 と。
結果、今日は私が話すことを傾聴するにとどまらず
レスポンスの多いやりとりだった。
その甲斐あって、もちろん負荷もかかるし
感情の振れ幅はあるけど、
「このやりとりを覚えておきたい」と思うフレーズに多く出会えた。
基本このカウンセリングではメモを取らないと決めていて、
感情のままに、心のままにしようと決めている。
でも、いつもカウンセリングが終わると
「つらい、しんどい」という感情だけが残って
何を話したかはほぼ忘れてしまっていた。
(それについては「無意識につらい記憶を抑圧するのでしょう」と言われていた)
今日はだいぶ違った。
目の前の人の喜怒哀楽を感じるのが好きな私は、
本来自分が感じたい感情を
目の前の相手が感じているのを見て自分に置き換えているのだろう
ということに気づいた。
こと、喜びに関してはきっとそうだ。
ものすごい気づきだ。
そして記憶に残ったカウンセラーの言葉。
「本来子どものときに周囲に助けてもらえるべきところ、受け止めてもらうことができず、むしろ不安を増幅しながら学生時代を過ごされてきたんですね。
学生であっても当時はうみさんもまだ子どもでした。
身近な人に不安を預け、「大丈夫だよ」と返してもらうことで本来不安の記憶はマイルドになるものです。
うみさんは子どものときに感じた不安感が解消されないまま大人になった。
一般的には昔の記憶がセピア色になっていくとイメージすると記憶が当時のままで保存されている状態」
と状況分析された。
そのとおりだな、と思った。
だからこんなにつらいのだ。
どうしたら自分を許して愛せるようになるんだろう。
どうしたら自分の笑顔をもっと大切にできるだろう。
今日はいろんなものを得ることができた気がする。
これからゆっくりとカウンセリングを通して考えていく。
今日は仕事休み。
カウンセリングから帰ってきてすぐ、
アボカドのサラダを食べた。
でもやっぱり疲れたから少しダラダラして、
今日はお昼にまつエクの予定あり。
午後にまたサラダ多めの作り置きや買い物をしてこよう。
おつかれさま私。
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