カウンセリング22回目、打ち明け話
職場のおじさんから出張中の車内で
余命わずかなことを打ち明けられた。
肺転移ステージⅣだそうだ。
この先どう生きるかという話を、
淡々と、かといって悲壮感もなく。
生き方を押し付けるわけでもなく。
なぜ、着任して間もない私にそんな重い重大な話を、、、と率直に思ってしまった。
前の職場の同僚から、陰湿なセクハラにあっていて退職を考えていることをラインで打ち明けられた。
話を聞く。
大した言葉は各々返せないけど。
でも、せっかく推しくんと会って息を吹き返して
、周囲との境界を守ろうとしているのに立て続けに重い話だと疲れてしまう。
ちゃんと休まなければ。
でも私を選んで話してくれた。
期待に応えたい。
でも線も引かなきゃいけない。
ただデリケートな話だから言葉も選ばなきゃいけない。
そんな風にここ最近過ごしていることをカウンセリングで話した。
相手の話を聞くことで、どんな思いが自分にあるのか?
よくよくカウンセラーと話しているうちに、
「話を聞いてもらえなかったかつて(子どもの頃)の自分」=聞いてあげたい相手として、それを相談してくる相手に私が勝手に投影しているのでは、、、と思って少しぞっとした。
相手のためじゃないのか、
自分のためかよ。
でも結局相談してくる相手は
当然かつての自分ではないわけで、
話を聞いてもらった相手は多少スッキリするだろうし、私もその時の万全を尽くした気でいるけど、結局疲労感が残る。
その繰り返しなのかもしれない、という見解に至った。
だから酔って聞く話が気楽なのだとも気づいた。
「ごめん聞いてなかった」とも
「なんとかなるってそんなん」とか軽く言えるし。
ただ自由奔放に発言する人をうらやましい思う一方で、
社会人としてそんなんでいいのか?
そして自分は本当にそうなりたいのか?とも思ってしまう。
私は私でいたいとも思う。
いろんな話をしたような気がするけど、今朝の話なのに忘れたこともある。
仕事で全て記憶が上書きされる。
カウンセラーに話してはいるものの、話した途端感情に蓋をすることもあった。
でもできるだけ明確に伝わるように、理路整然と話したい。
父との関係も含めてもっと話したような気もするけど、詳細は忘れてしまった。
カウンセリングの締めで、
カウンセラーはこんなことを話した。
カウンセラー
「今日のお話で私が感じたことが2点あります。
ひとつは、うみさんが勤務時間のないカウンセラーみたいだなということ。
もうひとつは、うみさんはカウンセラーである私にも負担がないように、迷惑をかけないように言葉を選んで話をされているなぁと感じました。」
あは、そうかもです。
こう見えて真面目なとこがあって。
その逃げ場の、飲酒かもです。笑
体は大事にします。
カウンセリングを受けて本当に良かったと思う今日この頃。
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