日経の書評から「ナチスもよいこともしたか」

「検証 ナチスもよいことをしたのか?」岩波書店

SNS上で「よいこともした」が一定の力を持っていること自体に震撼する

評者(郷原信之さん)はいう

「専門家とそうでない人の見解が同じ土俵で比較され」

私がつけくわえるならばある専門家が別の専門分野で発言するときには「そうでないひと」である。

「今の世の中はオリジナリティーが高く評価され既存概念を覆す創造的破壊が盛んに称揚される。それ自体は間違ってないだろう。だが(略)
”すべて自分の頭で考えることは非常に危ない”(小野寺卓也東京外大准教授)

評者は結んで言う「過去の蓄積をないがしろにした議論は安易な歴史修正主義や何でもありの相対主義に陥りがちなことを本書は警告している」

ここからは私の意見
例えば知的に装った漫才師はあぶない。
頭のいい事業家も立花隆のような知的な謙虚さは持たないようだ。
彼らはあおる。
それらにはちょっとづつ真理が混ぜてあるから、本人に器があるから、大衆は好んでひれ伏すのである。

とても危ない現象だと思う。漫才に限らない。古代ローマの専門家とか、枚挙にいとまがない。ある専門家はほかの分野についてはしろうとなのだからそれは専門家ではなく有名人の発言に過ぎない
どのような職業であれ、専門家であれ、「過去の蓄積をないがしろにした議論」の危なさは強調しすぎることがないのだ。


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